早寝記録

柊曰く

 柊の部屋にはクラヤミ6号というふざけた名前がついている。住人は居住区に至る廊下をクラヤミ廊下と呼んでおり、その名の通り、彼の部屋に行くためには暗闇の中を進んでいく必要がある。人の目は暗闇に慣れると言うが、クラヤミ6号にいたるまでの道は提灯がないと歩けないほど暗い。
 右側の壁に手をつき、提灯片手に真っ暗な廊下を進んでいくと、でかでかと雑な字で書かれた“六”の文字がある。そこが柊の部屋だ。
「団長の破棄したい人って、知ってる?」
 広くはない柊の部屋だから、布団を二枚敷くだけで空きはなくなる。おれは布団の上にうつ伏せに転がりながら、同じくラフな格好で横になっている柊になんとなしに尋ねた。
「はあ?」
「さっき、掃除終わりに団長と会ったんだけど、その時に破棄したい人がいるって言ってたから。ていうかさあ、やっぱりあれをひとりで掃除するのは厳しいよ。時間掛かる」
 おれの言葉に、柊は苦虫を噛み潰したようななんだか苦そうな顔をして起き上がった。破棄したい人、といった瞬間に表情が変わったから、見当がついているのだろう。
「要は、団長の嫌いな人でしょ?」
「人かものかはしらんけど」
「人だよ人。灯さん」
「あかりさん? 女?」
「男! 目が赤く光るだけのつまらない見世物」
「へえ」
 柊がため息をつく。そんな柊を見ながら、ある疑問が浮かんだ。
「……柊も見世物なの?」
 急に疑問に思ったことを実際に質問してみると、なぜだか柊が丸く目を見開いた。
「今更? 俺になんて興味無いと思ってた」
「別に」
 曖昧な返事をする。興味はあったが、そのままを伝えるのは悔しい。それに、今まで疑問に思わなかったのは、柊がまるで見世物らしくないから。彼が人に興味本位で見られているところが想像できない――というよりも、もしかしたら想像したくないのかもしれない。自分をここに連れてきた張本人ではあるが、おれは柊に敵意を感じていなかった。好意とは違うが、奇妙な連帯感のようなものを感じている。
「どっちの別にだよ……」 
 おれの考えていることなんて知らず、柊があきれた声を出す。
「……ま、いいか。俺ももちろん見世物だよ。見世物じゃないのなんてここでは凌平と団長くらいだ。今日もね、掃除したいのは山々だったけど、最近サボってるから出し物の準備をしてたんだ」
「そうなんだ」
「そうだよ。まあ、俺は見世物っていっても参加型だからそんなに大変じゃないけど。だから掃除もやってる」
「掃除はちょうどいなかったんじゃないの?」
「掃除メンバーが立て続けに死んだんだ。……そういうわけで、それからは俺がひとりでやってた」
「へえ」
 間が空いた。柊が思案するように視線を斜め左に下げたあと、曖昧な表情で提灯脇の薬箱を手にとった。そして、そのまま置いて使えばいいものをわざわざ重たそうに膝の上に乗っけると、おそるおそるといった様子で中段の引き出しをあけた。
「わ!?」
 開けたと同時に煙が立ち上り、その中を黒い物体が駆け抜け、煙を突き破る。
「なに、今の」
 突然のことで驚くおれに柊はふんわりとした笑みをくれて、自らの右肩を指さした。
 柊の肩から、小さな、動物のしっぽのようなふもふもとした毛のまとまりがのぞいている。
「俺の見世物。――いてっ」
 またもそれが素早く動き、今度は柊の頬に赤いひっかき傷を作った。
「見世物じゃないね。相ぼっ、てっ」
 頬の筋が増える。
「神様、神様だよ。見ての通り狐の神様」
「速くて見えねえ」
「せっかく興味持ってくれたから、見世物自慢でもしようと思ったのに!」
 狐の神様は、気を悪くしたのか、室内をものすごい速さで縦横無尽に駆け巡ったあと、箱の中に収まって自ら引き出しを閉じた。
 結局、おれが狐の神様を見られることはなかった。
「気が向いたら今度穴から覗いて。気まぐれだけど、仕事はきちんとやってくれるんだよ。……ただのこっくりさんだから楽しいかはわからないけどね」

 ――見せてあげる。

 最後の言葉はひとりごとのようだった。他人に届けようとして発せられた言葉でないくらい小さな声だったから、おれはそれが本当に柊の口から出たかさえわからなくなった。しかし、柊はおもむろに立ち上がり、枕元に置いてあった部屋を照らすものよりも一回り小ぶりの提灯を手に取り、おれにも立つように促した。
「ついてきて。案内するよ」
「どこに?」
「見世物の所。団長の破棄したい人。今公開してないから、レアだよ」
 手にした提灯に火を点けながら、柊は綺麗に微笑んだ。橙の光の中で笑う柊は妖しげで、Tシャツ姿なのに、一瞬だけ彼がとても綺麗に見えた。
「何じっと見てんの?」
「別に……」
「ま、いいけど。さ、行こう」
 柊がドアを開けて暗闇の中へと出ていき、右へと進んだ。そのあとを付いていく。狭く真っ暗な廊下を、柊の小さな提灯のあかりを頼りに進む。途中から距離の感覚も方向感覚もなくなってしまったが、柊は迷いなくどこかへと向かっている。いつも行く箱のたくさんある部屋には、時間的にもう着いているはずだ。そこは一本道だし、おれひとりででも行ける。部屋を出てから、すでに結構な時間歩いたように感じたが、感じたものが本物か定かじゃない。
 静かな廊下に、ただひたすらにカランカランと、柊の軽快な下駄の音が響く。
「ずいぶん遠いみたいだけど、こっちにも箱あるんだ」
「うん。ひとつだけだけどね。さっきも言ったように、今は非公開だから。元団長が奥の奥へとしまったんだよ」
「なんで?」
「俺にはわからない。したっぱだし」
 そこからまたしばらく歩くと、ぼんやりとだが、暗闇の向こうに鉄格子の嵌められた扉が見えてきた。近づくに連れて鮮明に見えてくるそれには、罪人を閉じ込める檻のような冷たさがある。
「あの中にいるんだ」
 柊が袖から鍵を取り出し、扉の鍵を開けた。ギイと錆びた音を鳴らし、扉が開く。
「どうぞ」
「……うん」
 すこしの恐怖と不思議な胸の高鳴りを抱いて扉をくぐる。扉の向こうは狭い部屋だった。柊の部屋よりもちょっと広いくらいで、中央に、大きな箱が一つぽつんと置かれている。見世物が入れられているものと同じだが、ただひとつ違う所はどこにも入口が見当たらないという点だ。いつもおれが掃除する見世物の箱は、中から出られる扉が付いている。外からは見えにくいようになっているが、目を凝らせばわかる。しかし、目の前の箱にはそれらしき区切りが見当たらない。
「覗いてみて」
 箱のすぐそばに立った柊がおれを手招く。彼の顔の横に、覗き穴があった。素直に近づく。しかし、思いもよらずかなりゆっくりとした動きになってしまった。
「あかり、一旦消すね」
 内緒話でもするように、柊が顔を寄せてくる。
 頷くと、ふっと光が消え、暗くなった。
「覗いて」
 暗がりの中、柊に袖を引っ張られ急かされる。目の前には穴がある。一寸ほどの小さな穴だ。心臓が高鳴っている。おれの中で見たくない気持ちと好奇心がせめぎあう。徐々に穴に顔を近づけていく。
 ついに、おれの目が穴の中を捉えた。