早寝記録

タガ

 篠笛の一本調子な音楽と、静かに、何かを追い詰めるかのごとく鳴らされている和太鼓。漏れ出した箱の中の灯だけで照らされている室内と相まってとても不気味に思えた。軽快な足取りで前を行く団長の手を掴みたい衝動にかられたが、自制心と、まだ残っている矜持によってなんとか抑える。
 おれは、夜の見世物小屋を団長に案内されることになった。ずっとひきこもっていたおれにとってははじめての「見世物の入っている」夜。そして、じきにたくさんの客が訪れるという。その前の時間をもらったのだ。
 箱と箱との間を団長について歩く。
「やっぱり、見世物小屋の一員になったからには異形をちゃんと見てほしいんだ」
 団長の言葉に、おれはどきりと自身の胸がざわつくのを感じた。
 異形――人ならざる者。
 見たくないと思った。昔から、お化けは平気でも、遊園地によくいる着ぐるみが大嫌いだった。表情の変わらないあの顔が怖くて仕方なかったのだ。しかもでかいから威圧感がある。異形と聞いてまず思い浮かんだのが目を見開いたまま口だけで笑みを作っている着ぐるみの思い出だった。
 しかし、見て欲しいという言葉とは裏腹に、団長はたくさんの箱を中も見ぬまま通りすぎていく。
「はじめてにはうってつけだよ」
 しばらく似たような箱を眺めながら歩いていたが、ある箱の前で彼は足を止めた。振り返った彼はおれの顔を見ながら願いがかなった子どものように邪気のないうれしそうな顔をした。
「はじめてっていっても、凌平のはじめて、なんだけど」
 嬉しそうな表情の団長を見て思わず頷いてしまった。彼がさらに笑みを濃くしておれの袖を引っ張る。
「さあさあ、もっと近付いてよ」
 促され、素直に近づく。覗き穴の真ん中に来た。まだ穴との距離があるため中は見えないが、今まで平静を保っていた心臓の鼓動がだんだんと激しくなっていく。しかし、この時になって気がついた。
 驚くことに、この鼓動の速さは恐怖がもたらしたものではない。
 灯を見た時の心地良い緊張を思い出したからだ。
「本当に良かったよ。この見世物はね、誰より先に凌平に見てもらいたいと思っていたんだ」
 団長に肩を抱くようにして引き寄せられ、彼はそれからおれの顔を覗き穴に近づけた。
「ほら、覗いてみて……」
 団長の穏やかな声に導かれるように、ゆっくりと左目をつぶる。右の目で、覗き穴から覗けるように。
 左目をつぶり、右目を覗き穴にくっつけたその瞬間、世界と自分とが切り離されたような感覚に陥った。
 ふわりと宙に浮く様な心地良い浮遊感とともに、世界が箱の中で始まり、完結する。
 おれはその「見世物」から目が離せなかった。
 轟々と燃え盛る火の車。前面には般若のような、作り物のお面のような顔がこちらを睨んでおり、側面についている車輪は大きく、そこからは炎が立ち上っている。威圧感を放っているにもかかわらず狭い箱の中に閉じ込められている姿がなんともいえず滑稽だ。
 しかし、何よりも目を引いたのは火の車の隣に佇む一人の美しい少女だった。古臭く庶民的な和服に身を包み、火の車がまとう炎の直ぐ側で顔色ひとつ変えずにつったっている。
 燃える車と氷のような少女との対比が見るものに強い印象を与える。
「女の子が雅(みやび)ちゃん。化物のほうがやっぱり地獄にいた火の車。みやびちゃんが連れてきてくれたんだよ」
 隣から団長の声がする。
 ――そうか。この子があの「死んでる」雅ちゃんか。
 頬の赤らみには生気があり、まるで生きているみたいだった。
 おれは、化け物と命のない女の子を現実として受け入れ、見世物として鑑賞した。まるで夢のように自然と非常識を常識として受け入れたのだ。
 そんなことにも気づかずに顔を上げる。隣の団長を見ると、彼は満足気に微笑んでいる。それが美しくあたたかく、とろけてしまうのではないかと半ば本気で思った。
「もういいの?」
「もういい」
「どうだった?」
「絵みたいだった」
「好き?」
 団長の無邪気な質問に、すこしだけ考えたあと、わずかに首を縦に振る。間違いない肯定の証。
「良かった!」
 どんどん行こう! と団長が張り切った声を上げる。足取りは飛べるのではないかと思うほどに軽さを増している。
 陰鬱に奏でられているおはやしの中を、さっきよりもすっとした気持ちで進んでいく。途中で、いきなり騒がしくなった。人の声が重なって生み出される不快な音だ。知らず、おれは眉をしかめた。
「客が入ってきたね」と足を止めずに団長が言う。
 近くで足音がして振り返り、ぎょっとする。一瞬ですっとした気持ちが消え去り、恐怖におののく。たった今目にしたものを忘れようと、おれは早足で団長を追った。
 たった今見たものはこの世のものじゃなかった。気持ちが悪い。瞬間的にしか見ていないのに、記憶に留めまいと掃き捨てようとするのに、さっき見た火の車よりもみやびちゃんよりも鮮明に脳の奥深くにこびりつく。人間じゃない。人間かもしれない。けど、わからない。だって潰れた目が体中についていたのだから。
 吐き気がこみ上げる。おれはたまらず前をゆく団長の背にしがみつき、彼の背へと顔を押し付け固く目をつぶった。何もかも見るのが怖かった。足を止めた団長に正面から抱きしめられる。団長からはたしかに人間の温かさが感じられてそれだけで安心した。
「大丈夫だよ。ただのお客さんだから」
「大丈夫じゃねえよ。全然大丈夫じゃない」
「今はだめかもしれないけど、慣れるから。ねえ、凌平、ここじゃあ人も異形も同じなんだよ。命と好奇心があるのなら誰でも受け入れる。見世物小屋では見世物か客か、このふたつに全てが分類される。見る側の人間もいれば見られる側もいる。異形も同じこと。見られるものもいればもちろん見る側だっている。何かおかしいかい?」
 その問いかけにおれは答えを返さなかった。
 おかしいと言ったところで何も伝わらない。命なんて言い出されても、気持ち悪いんだから仕方が無い。潰れた目と目が合ったんだ。怖い。恐ろしい。かわいそう。痛そうだ。どうして潰れているのか。おかしい。ひたすらおかしい。おかしいが、おかしくない。明らかにおかしいが、おかしくなくもある。頭がこんがらがる。
 混乱するおれの背に回された手の力が更に強められる。
「大丈夫。凌平には素質がある」
 団長がにっこりと笑った。すぐそばの箱ががたがたと揺れている。
「受け入れられるよ。だって、君の心はあたたかい」
「何にも知らねえだろうが……」
 返した言葉は消えそうだった。怖い。自分たちの横を何かが通りすぎていく。ぎゅっと目をつぶっているおれには異形のものたちが生み出す様々な音が聞こえていた。