種
船を漕いでいた。うとうととし、瞬きの間に意識を持っていかれそうになる。
おれは頭に反し睡眠欲に抗おうとしない体に抵抗するため、布団に横たわるのを止めた。緩慢に肘を支柱として体を起こす。ありえないくらいの重力を感じた。
床におかれている針時計を見ると、帰ってきてからすでに2時間が経過している。
――二時間もうとうとしてた……
実際はうとうとしていたのは最初だけで、眠ってしまっていたのだと思うが。
眠気を吹き飛ばすように激しくがぶりを振る。
ふと気になって隣の布団を見ると、柊がいなかった。布団は畳まれておらず、起き上がったのをそのままに放置されている。
「まだ帰って来てないのか、トイレか」
無意識に声が出た。それを聞いて、自分も行きたくなり、立ち上がる。欠伸をひとつして、部屋の隅に転がっている提灯を手に取り、火の種を提灯の中に放った。室内が明るくなる。
どうせ戻ってくるのだからと、おれは脱け殻のような布団を蹴り、踏んづけて一応の格好を整える。柊のものはもちろん放っておく。
柊は結構だらしないやつだ。あいつに掃除をまかせていたなんて、団長も耄碌している。少しの間一緒に住んだだけのおれでもわかるのに。
思わず小さく笑みをこぼす。気づき、誰もいないとはわかっていても口許を引き締めた。
さっき火野兄弟に言われたことを思い出す。
――連れてこられたのに、どうして仲良くしてんの?
イギョウとは、見世物小屋に住まう人間たちが作り出した言葉だそうだ。異形と音は一緒だが、イントネーションがわずかに違う。
「イギョウ……」
つぶやいてみる。何度か、柊に異形の話をしたことがある。今思えば、その度柊は一瞬硬直するか、取り繕うように笑っていたように感じられる。
「柊も……」
思い至り、自然と声が出る。異形の話をする時の柊は明らかに変だった。「どっちのいぎょう?」と尋ねられたこともある。今だからわかることだが、どっちのいぎょう? とは、「異形」と「イギョウ」どちらのことかを尋ねていたのだろう。
柊は、人間ではない。決め付けるのは尚早かとも思うが、おれにはこれが真実に思えてならなかった。
火野兄弟と柊では、おれは柊の方を信用している。
連れてこられたのに、と火野は言ったが、それでも柊のことは嫌いではない。声を大にして、堂々とは言えないけれど、おれは確かに柊のことが嫌いでないのだ。自分でも不思議だった。
その時、控えめな戸を叩く音が聞こえた。音の出所は真っ暗な廊下へ続く扉の向こう。およそ三週間、ここを訪ねてきたものは人も異形もイギョウもいない。柊の居場所を聞いてきた愉快でさえもここに来ることはなかった。
「柊?」
たった三週間。こんな短い期間で全てがわかるわけないが、願望も込めて扉の向こう目掛けて投げかけた。控えめな音が止み、ゆっくりと扉が開く。
そこから、狐面をつけた巫女さん姿のいつもの柊が現れた。
ただ、いつもと違う所は、装束が煤ですっかり黒く汚れてしまっている所だ。
「真っ黒」
からかってみる。狐のお面をきちんとつけた柊の表情はわからない。彼は未だ暗闇を背に戸口に立っている。面をつけ、幽霊のようにぼうっと立っている。笑っているように見える狐面が不気味だった。
「柊」
動こうとしない柊の名前を改めて呼ぶ。今更ながら、人の表情がわからないのはこんなにも不安なのかと思った。
「……疲れた」
小さな柊の声。彼はようやく扉を閉め、予め敷いてある寝乱れた布団へと倒れこんだ。
「柊、布団汚くなるって」
「いいよ……だって疲れたし。俺、もう寝ます」
「ダメでしょ……」
おれの言葉を聞く前に、柊は眠りに落ちていった。
眠ってしまった柊との距離をつめる。四つん這いで、じりじりとにじり寄る。
夜は明けきっているというのに、クラヤミ6号は夜より暗い。提灯の薄ぼんやりとした明かりが常に必要だった。真上から柊の顔を見下ろす。もちろん、狐面で顔のほとんどが見えない。
狐面に指をかける。冷たかった。うすく目を開いた狐がおれを嘲り笑っている気がした。
ゆっくりと、慎重にお面をはぎ取る。
あどけない少年の寝顔が見えたとき、どうしようもなく馬鹿げた安堵感を覚え、ほっと胸をなでおろした。
イギョウが何かはわからない、火野兄弟は、人間として来て、途中で異形と混ざり合ったものだと言って軽蔑した。
それでも、柊の寝顔を見て思った。
――柊は、おれと同じだ