早寝記録

白の神様

 白の神様――第一印象はこれだった。
 清く穢れのないところにいる。一目見て人間ではないとわかる。かといって異形でも妖怪でもない。強いていうなら幽霊だ。それには生気がなかったが、とても美しいと思った。
 元団長は神主の格好をして柊のものよりもシンプルな狐面をつけた男だった。きつね色をした美しい髪の毛が白い月を受けてきらきらと輝いている。一つにまとめた長い髪の毛が風になびき、狐のしっぽのように揺れていた。
「誰だ、これは」
 狐面がまっすぐに俺を見ている。
「凌平。この前紹介した子ですよ」
「この前?」
「団長、出て来ませんでしたが、確かに紹介しましたよ」
「……ああ、そういえば呼ばれた記憶はある」
「出て来なかったから俺の判断で今は掃除してもらってます。上手なんですよ」
 久納が穏やかな笑みを浮かべる。
 面を付けているから元団長がどんな表情でいるかはわからず、おれはそれに不安を覚えた。
 おれは理解していた。久納は団長だけど、元団長には敵わない。元団長の一存でおれはどうとでもなる。掃除係から、箱の中の見世物になるかもしれないし、もしかしたら雅ちゃんのようになるかもしれない。
 おれがここに来た日、団長がドアを壁に出した時に柊は緊張したように顔を強張らせたが、彼にはわかっていたのだ。あれはおれの処遇を決める審査だった。しかもあの時は審査官が二人いた。久納と、元団長。
 そして、今二回目の試験が行われている。今回柊はいない。その代わりになぜか久納があの時の柊のようにおれが仲間であることを証明しようとしてくれているようだった。
「久納、お前がこれを気に入っていることはよくわかった」
「そうですか。十分です」
 風が吹いていた。季節はわからないが、肌寒いくらいだ。しかしさっきから久納に掴まれている手首がすごく熱い。
「久納」
「なんでしょう」
「見たところ、それはまだ人間のようだが」
 わずかに久納の手の力が強まった。これは危険な質問なのだろうか。狐面の目玉部分にある小さく丸い覗き穴。その先にある元団長の目を見ようとしたが、覗き穴の奥は何も見えなかった。
「どういう意味ですか?」
「気に入っているならなぜ住人にしない」
「気に入っているからといって住人にするなんて話は聞いたことがありません」
「しかし、ここに人間はいらない。いつも言っているだろう」
「住人である必要もありません」
「久納」
「なんでしょう」
 久納は絶えず口元に笑みを浮かべているが、彼のこめかみには汗が滲んでいた。彼に汗は似合わない。段々と、久納に対して申し訳なさがこみ上げてくる。彼はおれのために危険を冒しているのではないか。きっとそうだ。彼の緊張が今の状況を表している。
 柊に抱いた罪悪感を埋めるために今日のおれは行動していたのに、ここでもおれは他人を困らせている。久納に抱く罪悪感を、おれは何で埋めればいいのだろう。ここに来てからおれは人に迷惑をかけ通しだ。きっとこのあと久納への罪悪感を埋めようとして行動をすれば、また他の人に迷惑をかけることになる。
 いっそのこと死んでしまいたくなった。自分のために人が動くことがこんなにも胸を痛くさせるなんておれは知らなかった。
 迷惑を掛けたら嫌われて捨てられるのに――。
 唐突に、こんな考えが浮かんできた。
「お前も、稲見と同じか」
 元団長がふっと笑ったのを感じ取り我に返る。久納の笑みが一瞬途切れた。
「ねえ、おれ、いいよ」
 思わず彼らの会話を遮る。おれは不安に突き動かされていた。
 突然口を挟んだことで怒られるかと思ったが、元団長は気を悪くした素振りも見せず「続けろ」と短く言った。
「凌平、ばかなことは」
「お前は黙っていろ」
 元団長の言葉を受けて久納は言葉を詰まらせたが、おれに一瞬向けられた目は険しく、馬鹿なことは言うな、と訴えかけていた。申し訳なく思いながらも、おれは久納の頑張りを無にする。
「おれ、住人になってもいい」
「ほう」
 元団長が面を取る。彼の顔が初めて現れた。意外と中性的で、涼やかな顔立ちをしている。神様だから想像もできないほど長く生きているのだろうが、外見的にはまだ二十半ばくらいに見える。
「初めてのタイプだな」
 おれは、彼からカタカナ語が出てきたことに驚いた。こんな場合でも、おれは案外と落ち着いている。もしかしたらだいぶ前からおかしくなっているのかもしれない。自分としては不安に突き動かされながらも、ちゃんと考えて冷静に物事を判断できていると思っていた。
「興味が出た。よく見たい。凌平、こっちへ来い」
 元団長がおれを手招く。彼とおれたちとの距離は四メートルほどだったが、やけに遠く感じた。素直に彼の元へと行こうと足を進めようとしたが、久納がおれを引き止めた。彼の手は未だに強くおれの腕を掴んでいる。
「久納」
 元団長がおかしそうに久納の名を呼ぶ。
「だ、……久納、大丈夫だよ。ありがと」
 おれは彼を安心させたくてできるだけ静かに告げた。久納の表情は変わらない。しかし手の力が一瞬強められ、ゆっくりと緩んで行く。おれは最後にもう一度だけ振り返って久納の顔を見たあと、元団長へと足を踏み出した。