早寝記録

元凶

 青には柊になど会いに行かないといったが、別に、わざわざ会いに行かなくても柊には会わなければならない。たとえ会いたくなかったとしても。
 色小屋は日に2度掃除をしなければならない。営業時間前と後だ。
 色小屋の箱の作りは上のものと異なり、外からは鍵がなければ開けられないようになっている。客層も上とは違って異常なやつが多いし、鍵がなければ万年見世物不足は否めない。
 それでも、どこから迷い込むのか、覗き穴から箱に中に入ってしまう異形がいる。大抵中で殺される運命をたどるのだが、営業時間前にその掃除をするのが俺の役割なのだ。
 時計を確認すると丁度午前四時。色小屋の営業が終わり客が全ていなくなる時間だ。
 俺は一番初めに柊の箱を掃除しようと思っていた。そうして彼の箱の前に来たわけだが、なぜか中に入るのをためらっている自分がいる。
 かつて、色小屋と箱がひとつだった時代、元団長とクチナワの怒りを買い小さな筒の中に閉じ込められた哀れな神様がいた。柊は最後までその哀れな神様を選び続けたばかりにこの見世物小屋中の者たちを敵に回してしまった。
 とくに、人間たちの彼に対する態度はひどかったと聞く。稲様がいなくなったあとの数ヶ月間は、出来立ての色小屋に閉じ込められた柊がいつ異形、それも幽霊になってもおかしくなかった。そんな彼を箱に引っ張りあげたのが現団長である久納だ。
 久納が色小屋の全責任を任されたクチナワからどうやって柊を奪ったのかはわからないが、柊は久納のおかげで今も生きたままでいられる。
 ――緊張する必要なんてねえよ。
 俺は自らに言い聞かせた。
 どうせ柊なんて異形やイギョウたちに遊ばれるだけだし、そんなに汚れていないはず。見世物殺しはご法度だし、殺しが起きたらその時にクチナワから俺に出動命令がかかるのだ。今夜は呼び出しがなかったから誰も死んじゃいない。
 それに、俺は柊と友達じゃないのだから喋る必要もない。こう思ってはじめて鍵を持った手が動いてくれた。
「掃除に来た」
 憔悴していると予想していたのに、柊は予想とは裏腹に壁に背を付けてじっと前を向いていた。狐面をつけているから表情はわからないが、意外と力強い目と目が合う。その瞬間悪寒が背中を駆けた。
(だからお面は嫌いなんだ)
 心の中で毒づく。繰り抜かれた目の部分から覗く人間の目に俺は昔から恐怖を抱いていた。昔のことはなにひとつわからないが、この恐怖が突然のものではないことくらいはわかる。
 俺は、柊の視線を受けながら黙々と掃除をしていった。
 どんな表情で自分を見ているのだろう。常に付きまとう視線が鬱陶しかった。

  いつもより疲労を感じ、俺は色小屋掃除を終えた後提灯小屋の裏手にある古井戸に来た。ここは俺が行ける唯一の「外」だ。箱からは他に行けるところがあるらしいが、俺の居場所である色小屋からはこの古井戸にしか行けない。名前はわからないがとてつもなく高い木が小屋を囲むようにしてそびえており、細く伸びた木の枝は風もないというのに揺れている。葉はまるで世界を隠す目隠しだった。
(俺は、ここに落ちたんだ)
 そっと井戸を覗く。井戸の底は深くて広い。そしてその最奥に巨大な白蛇が鎮座している。ふいに身を裂くような一筋の冷たい風が井戸から吹き上げ、頬をかすめた。
「何をしている」
 背後から声がかかり振り向く。小屋を背に、クチナワが立っている。周囲に灯はなく、髪も服も黒いから、彼はまるで闇だった。
「気分転換に来たんだ」
 叫びを上げる心臓を騙しながら、俺はクチナワと向き合った。つかつかとクチナワが井戸に、俺に近づく。
「なるのか。気分転換に」
 いつものように無表情のままクチナワは俺の隣へと並び、目線を下げて井戸を覗いた。
「空気が良いから」
 クチナワは俺の答えを鼻で笑い、ひとこと「帰るぞ」と言った。身を翻し小屋へと向かうクチナワを素直に追う。
 ――そういえば、クチナワが柊を落としたんだっけ。
 あの少年は、こいつを前に何を大層なことをしたのだろう。稲様と仲が良いだけで色小屋に落とされて拷問まがいのことをされるのだろうか。
 いずれにせよ、俺だったら柊のようにはできないな、と思った。色小屋での彼の所業を見てきたものならば絶対にこいつには逆らえないはずだ。
 逆らったものの末路を柊も見てきたはずなのに。
 ぞくりとした。
(だっせえ。少し想像しただけなのに)
 情けない自分を口には出さず罵倒して、俺は開いてしまったクチナワとの距離を慌てて詰めた。
 住人たちは俺がクチナワの掃除夫――所有物だと思い込み、直接俺に手出ししてくる者は少ないが、実際は掃除さえできれば俺じゃなくてもいいのだ。逆らわず、異形とケンカをしてもちゃんと掃除をしているから俺はまだクチナワに雇われているだけ。情も何も持たれちゃいないし、俺にだってない。

 俺は、クチナワと自分とを繋ぐものは恐怖だと思っている。