早寝記録

予感

 なんやかんやと久納の部屋で凌平と過ごした後、俺と青は凌平から紙とペンを借り、箱の見取り図を作ることにした。
 箱は、一言で言うと広かった。青は凌平のことを良い奴と形容したが、このばかみたいにある箱を毎日ちゃんと掃除していただけで良い子に思えてくる。色ほど汚れていないと言っても、中を延々と掃き掃除するだけでも嫌になる。
 色は、多くても30ほどの箱しか無い。新しい見世物が入ってきてもすぐに駄目になることが多いから、少ない時はほんとうに少ない。数が減ればクチナワがどこからか異形を連れてくるが、少ないまましばらく放置されている時もある。
 それに比べこっちは色の倍は箱があるし、空き箱がないように見える。
 1時間半ほどかけて見取り図を作った。青は掃除初心者だから、俺が箱の汚れを評価して、青がそれを紙に書く。青は何も言わないし俺も突っ込まなかったが、紙に字を書ける蛙なんて聞いたことがない。人間の真似事をして覚えたなどであるならばこいつが純異形だと思えるが、青には昔の記憶がないようだし、もしかしたら青は俺と同じなのかもしれない。彼は元人間で、だから記憶がないのだ。
 でも、それがどうした。青がかつて人間だったかどうかなんて、俺には関係ないだろう。青は青だ。こいつが異形でもイギョウでも、憎たらしいことに変わりはない。

「凌平のこと、気に入ったの?」
 見取り図を作り終え、疲れきったところで青に聞かれた。
 異形でもイギョウでも人間でないからなのか、憔悴し壁に背を預けへたりこんでいる俺とは違い、青は着物の裾をはためかせながら軽い足取りで箱の様子を観察していた。
「気に入ったわけじゃねえよ」
「だって、随分優しかったじゃん。いっつも誰と話しててもそっけないのに」
 箱を見上げていた青がきっと俺を睨み、こちらに寄ってくる。何を怒っているのか気になるというよりは、疲労感から面倒臭さを覚えた。
「んなことねえよ」
「あるよ!」
 青がムキになって俺の目の前にしゃがんで顔を突き出す。当たり前だが人間姿の青は蛙に見えない。蛙の異形というよりは子猫の異形。意外と甘ったるく可愛い顔をしている青はまだ子供っぽさが抜けないが、あと数年すればほどほど格好良くなるだろう。……異形が成長するかはわからないが。
 心の中で褒めていることなど知らず、青は飽きもせず頬をふくらませて怒っている。
「だって御国ごめんって言ったじゃん!」
「言ったっけ?」
「凌平に、いじわるしたって謝ってた!」
「悪いと思ったら謝るよ、俺だって」
「しゃべり方が優しかった!」
「気のせいだろ」
「気のせいじゃないし!」
「背中痛えんだよ。元気もなくなる」
「今はいっつもの御国だ。さっきとは違う!」
「しつけえな。そういや忘れてたけど、てめえが俺を床に転がしたんじゃねえか」
 そうだ。なんで忘れていたんだろう。思い出した途端に背中の痛みが再発する。ずきんずきんと痛んでいるが、あのピラミッドが突き刺さった割に、血はすでに止まったし、痛みも忘れられるくらいささやかな時がある。
 数十分だが、凌平の側にいたからだろうか。
 そういえば、柊は凌平が来てから仲良くしていたんだっけ。それならば、柊は気付いているのだろうか。前はよく柊が異形に捕まって怪我をしたとかいう話を聞いていたが最近はないから、もしかしたら知らないかもしれない。俺だって怪我をしなければ気付かなかっただろうから。

 興味がある。
 凌平は、他の人間とはなにかが違う。
 彼の能力も珍しいが、それとは別に他の人間とは異なる何かを感じている。
 久納のお気に入りの凌平を調べることは、クチナワに仇なす行為だろうか。

「御国が、俺を潰そうとしたのが悪いんだ……」
 小さな声が聞こえ、思考を中止する。目の前でしゃがんでいる青に視線を戻せば、普段壊れたスピーカーのように騒がしい青はめずらしくうなだれている。
「なんだよ、気持ち悪いな」
「御国!」
 青が顔を上げる。怒ったような表情。
「凌平を気に入ったらだめだよ」
「なんで? つうか、お前だってさっきまで凌平さん凌平さんって言ってたじゃねえか」
「俺はいいんだよ! 俺なんか、クチナワは歯牙にもかけないから」
 クチナワ、という名前にぴくりと肩が揺れたのがわかった。名前だけでビビった俺に気付いたくせに青は何も言わない。
「でも、お前はダメだ。ちょっと前に言ったじゃんか、お前を潰そうとしてるやつがいるって。クチナワの機嫌取っとかないと、いざってときに助けてもらえないよ」
「機嫌とっても助けてなんかくれねえよ。つうか、お前俺がどうなってもいいんじゃねえの?」
 いつもバカにしてくるくせに、と非難を込めて言うと、青はつり上げていた目を綺麗に下げて、満足気に笑う。
「前にも言ったけど、俺はいいやつより生意気な方が好きだからねえ」
 そう言って青が俺をまたぐようにして乗っかってくる。そして、両手で俺の両腕を固定するように掴んだ。試しに少しだけ腕を動かそうとして少しも動かない。こういうことがあって、青が異形だということを思い出す。普段、蛙の姿でいる時でさえあまり意識しないが、青がその気になれば自分をすぐに殺すことが出来るのだと実感した時に、彼が人間じゃないのだと感じる。
「生意気な方が好きなら、俺、おとなしくなっちゃダメなんじゃねーの?」
 ぐ、と掴まれた腕に力が掛かった。
「蛙は天邪鬼なんだよ。あまのじゃくのじゃくはおたまじゃくしのじゃくなんだ」
「ぜんぜん違う」
「そうなんだよ! ああ、もう腹立つ!」
 叫び、青がしがみついて来た。行動の理由がわからない。勢いだろうか。
 普段なら突き放すが、疲れもあるし、何よりも青からは人間のぬくもりがあった。それを感じた瞬間、俺の中に変な感覚が生じる。ふと、手を青の背に回そうとしている自分に気付き、手を引っ込める。そんなことしたら、いつも強がっているのに弱いと思われる。って、違う、強がってるわけじゃない。俺は独りで平気だし、こんなとこにだってとうに慣れた。住人たちと慣れ合っていないだけで、ここでの生活なんか昔昔に受け入れたし、寂しくもない。そりゃあたまには少しだけ寂しくもなるけど、人間なんだから仕方ない。
 すぐに青を引き剥がそうと思いつつもおとなしく抱きつかれたままでいると、不思議そうに青が見上げてきた。
「なんだよ……」
「落ち込んでんの?」
「別に、落ち込んでねえよ」
「最近、変だ」
「青だって十分おかしいから安心しろよ」
「御国、青って言うけど、おれ、雨蛙だよ」
「どうでもいいじゃん。青いのは本当だし」
「……背中、痛い?」
「別に。そんなに痛くない」
 嘘を吐いた。何か思惑があってのことではなく、ほぼ無意識だった。俺を見上げる不安げな瞳と、普段の青とは異なる殊勝な態度が俺にこんなことを言わせたのかもしれないが、これについて深く考えるつもりはなかった。
「……一回色に戻る。見取り図出来たし、もうここには掃除まで用はねえから。戻って寝る」
 俺にまたがるようにしてしがみついている青の肩を押す。青は何か言いたげだったが、寝るならしょうがねえ、とか何とか言って俺からどいた。立ち上がる時、背中に刺さるような痛みを感じたが、表情に出ないように必死に耐えた。この怪我の原因は、やはりどう考えても青のせいだ。あいつが俺を尻で押しつぶしたから、こんなことになった。だから、青が罪悪感を覚えても良いんだ。
(……どうでもいい)
 考えることに疲れてしまった。体も、まだ掃除をしていないというのにいつもより疲れているみたいだ。
 これからすぐ色に戻って寝ようとしても、凌平に会ったことや今の青に対する俺の態度について考えてしまい中々寝付けないことは明白だが、今はそれに気づかないふりをして、思考を消して何も考えないようにするのが一番大事だ。

 胸が、ざわつく。
 嫌な予感なんて不確かなもの信用出来ないが、ただでさえ悪い俺の生活が、もっと落ちていく予感がした。