雅
『お前は色の住人だ。これを忘れるな』
一度寝て起きてからもクチナワに告げられた言葉が頭から離れなかった。また、それに対しての自分の感情もよくわかっていない。
色は嫌いだ。敵ばかりだし、誰もいない。悪い意味で人間が好きな異形が多いから気持ちが休まることもない。
その点箱は良い。見せ物も色に比べたら良心的だし、命の危険だってあまりない。
しかし、俺は色の住人だ。
凌平と初めて言葉を交わしてわかった。
俺の居場所は箱じゃない。
なぜそう思ったのか、詳しい理由はわからない。だけど、それほど良い理由でないのは確かだ。
無意識にため息をこぼす。
色小屋の掃除を終え、青とともに再び箱へと来た。しかし、日中に来たときのような高揚感はない。クチナワのせいだ。あいつがおかしなことを言うからさっきは少しだけ解放された感じだったのにそれがなくなってしまったのだ。
『俺がお前を殺そうとしたことがあったか?』
俺にこう尋ねるクチナワは苛立っていて、まるでふつうの人間のようだった。
「御国? 何落ち込んでんの?」
「は? 別に、落ち込んでねえよ」
「ま、どうでもいいけどー」
青が腕をまくり、掃除用具が入ったロッカーから掃除一式を出した。青い髪の色以外はこいつも俺と同じ人間のようだが、彼は異形で、れっきとした「色小屋」の住人だ。
青が俺に向かって箒を投げる。それを受け取り、汚れているようには見えない箱を眺める。
「御国、どっち行く?」
「東。お前ここから半分やれよ」
「ふーんふん! なんか偉そうだけどま、いいや。従ってやろう!」
青は子供っぽく跳ねながら掃除道具をもって奥へと消えていった。俺もモップと雑巾などが入ったバケツを手に東側へと向かう。
広い室内に、コンクリートと思われる箱が等間隔に置かれている。ここは朝でも昼でも暗く、常時置き行灯によって照らされていた。ぼんやりとした橙の灯り。その中には消さなければ消えない蝋燭が入っている。
奇妙な場所だ。
しかし、奇妙だと思える俺はどこからきたのか、何者なのかわからない。
(俺、なんでこんなことしてるんだろ)
記憶がほしい。そうしたらこの鬱々とした気分から少しは解放される気がしている。人間でも異形でも良い。記憶がほしい。
人間の常識を知っていることはなんの救いにもならない。もしかしたら俺は異形として世の中を見て、それをあたかも人間として体感した気になっているだけかもしれない。『たぶん』は怖い。『絶対』じゃなければ信じちゃいけない。記憶は作られるのだ。
しかしこんなことを考えていたって俺は自分のことを人間だと思っている。
そう思わないとやっていけないから。確たる証拠はない。だけど、俺は人間だ。
淡々と箱掃除をしていく。汚れはあまりないから難しい作業ではない。それに、青もいるから手分けしてできる。
10個ほど掃除をし終えたところで一際汚れの目立つ箱に当たる。作業服のポケットから青とまとめた紙を取り出すと、『火野兄弟』と書かれた場所だった。
火野兄弟――双子の兄弟で、夢ちゃんの兄貴とは違いふたりで見世物になることに決めたんだったか。中は煤だけを残してもぬけの殻で、あたたかさはない。とりあえず、箒で掃いていく。煤にまみれながらようやく掃き終わったところで、おもむろにドアのあたりを叩く者があった。異形か? 不思議に思ったが、ここが箱だからだろうか。俺は持たなければならないはずの危機感を忘れ、好奇心とともにドアを開けた。
「あ……」
ドアの向こうには見知った顔がある。
女物のかわいらしい着物に身を包み、おかっぱ頭のカツラを着けた以前の知り合い。
「や。御国。元気?」
そいつはヘラヘラと笑いながら目を細め、中に入ってきた。
雅――妹の夢ちゃんの代わりに女装をして見世物になったかつての仲間。
「御国が凌平の代わりに掃除をしに箱に上がってきてるって聞いてきちゃった」
「……来ちゃったって。誰に聞いたんだよ。お前、男だってついに誰かにバラしたわけ?」
「いいや。今の相棒の火の車に教えてもらったんだよ。あいつ、顔広いから」
着物の裾をたくし上げ、雅があぐらをかいた。
「俺が男だって知ってんのはお前だけだよ」
そういう雅と俺は落ちた直後に知り合った。落ちて早々こいつは見世物になる選択をしたのだ。逆に夢ちゃんは元団長のもと掃除をすることになった。
「でもさー。凌平ってもう起きたんじゃねえの?」
雅が聞いてくる。でも、確か凌平は自分が起きたことを秘密にしてくれと言ってなかったか?
「火の車から聞いたのか?」
「そ。あいつ地獄耳なんだよ。団長の部屋にいる小さいなんかから聞いたんだって」
「俺はしらねえ」
しかし、凌平は秘密にしてくれと言ったのだ。一応知らないふりをする。
「嘘つけ」
雅が笑う。
「お前が凌平と会ったことも知ってるよ、俺。つうか、だから御国が箱掃除になったこともわかってるわけだし」
「あ、そ」
箒を壁に立て掛け、バケツに張った水に雑巾を浸す。
「イギョウにも俺のファンがいるらしく男だってバラせねえし、女声なんか出ねえから誰ともしゃべれなくて、ストレス半端ねえんだけど」
「火の車としゃべってんじゃねえの」
「共通の話題がほぼない。俺もずっと箱の中でじっとしてるから話題ねえし、地獄のニュースとかここの噂話教えてもらうくらい」
「地獄観光とかしてみりゃいいじゃん。死んだんだろ、お前」
「あ。知ってた?」
「クチナワが言ってた。でも実感わかねえや。悲しむべき?」
「いや、いいよ。心臓止まったくらいだし」
雅が朗らかに笑う。その姿は完全に女に見えた。もう成長することのない雅をなんだかじっと見れなくて背を向けて雑巾で壁を拭いていく。
「なあ」
今まで明るかった雅の声のトーンが落ち、そっと振り向くと雅と目が合った。
「何」
「凌平には気を付けた方が良いよ」
そして、思いがけない言葉を発した。
「どういう意味だよ」
「あいつ、灯に似てる」
「灯に?」
「正確には、灯が来た時と似てる。あの頃と違って人間はほぼいないけど。あいつは驚くほど自然に異形にとけ込んでるし、団長に気に入られた。灯の時は稲様だったけど、神様が人間を気に入ると禄なことが起きない」
「……久納は神様じゃないだろ」
「似たようなもんだよ。元団長に寵愛されてる分、稲様よりも質悪いんじゃないの」
「どんなんでも、色の俺には関係ない。それに、ここにはこれ以上壊れるもんもねえだろ。もうみんな壊れてる」
「俺、死んでも幸せになりたいと思ってるんだよ」
「そうかよ」
「そうだよ。口だけでなんにもできてねえけど。ってことで、俺そろそろ戻って寝る」
「死んでも寝るのかよ」
「寝れちゃうんだよ、不思議なもんで。多分この場所が普通じゃないから」
「死んでも良いことねえな」
「ないよ。……ねえ、また来て良いでしょ」
雅が立ち上がり、乱れた着物の裾を直しながら見慣れた笑顔で尋ねてくる。
「変わった奴だな、お前」
「良いってことだね。どうもどうも」
へらりと笑って雅が箱の中から出ていった。すれ違いざまに肩を叩かれたが、温度を感じなかった。軽く叩かれたくらいで温度がわかるとも思えない。死んだことを気にし過ぎてそう思うのだろう。
『死んでも幸せになりたいと思ってるよ』
雅の言葉がなぜか重く響いた。