記憶
なんとなくやる気が起きず、2時間も掃除に掛かってしまった。クラヤミへと続く廊下の前に戻ると、青がふてくされた顔で壁に寄りかかっている。
「おーそーいー」
「手伝いに来てくれれば良かったのに」
「いやですー」
「じゃあどっか遊びに行ってりゃ良かったじゃん」
「ふんっ」
面倒くさい。
青を無視して掃除用具入れに掃除道具をしまう。やけに気が重い。雅や柊がすべてを受け入れ前に進んでいるように見えたからかもしれない。俺は人間であることにしがみつき、戻れもしないのにここに染まろうともせずいつまでも悩んでいる。戻る場所さえ俺にはないのかもしれないのに。
もし俺が記憶がないだけの異形だったとしたらさぞ滑稽だろう。
「御国ー?」
青に顔をのぞき込まれる。
「……悪い。帰るか」
青の目が見開かれ、ついででこに手を当てられる。
「だ、大丈夫? どうしたの? 死ぬの?」
「意味わかんねーよ。ほら、戻るぞ」
青の反応を待たずクラヤミ廊下へと向かう。もちろん色小屋に帰るためだ。戻って井戸にでも行くか、寝よう。考えることが億劫だった。自分が誰で、どこから来たのか。そして、今後どうなるのか。
青が後ろから人間の姿のままひょこひょこと付いてくる。こいつは不満に思っていないのだろうか。気ままな異形に掃除は向いていないのに。
またため息が出た。
いったいどうしたいのか、自分でもわからない。
色小屋に戻り、青を別れて俺がむかったのは自分の部屋でも井戸でもなく柊の箱だった。別に理由はない。さっきも掃除の時に会ったし、話すこともない。
柊の箱の中に入ると、いつものように壁に背を預け顔を伏せていた柊が顔を上げた。
「こんな時間に珍しいね」
「暇なんだよ」
そんなことを言い、少し迷ったがなにも言わず床に腰を下ろす。
「なんかあったの?」
「別に、なにもない」
柊が付けていた面を外した。色素の薄い、中性的な姿。掃除の時によく話すようになったが、彼が嫌われる理由が見あたらない。稲様を選んだからか? それだけの理由なら、人間たちはひどくもったいないことをしていた。こんな場所にいていろんな目に遭ってこれだけきれいな人間はそうそういない。
凌平は元気だったよ、と教えてやりたくなった。実際に会って確認したことを知ったらこいつはきっと安心するだろう。
しかし、凌平は誰にも言うなと言ったのだ。だから言えない。
目的ができた。
「俺、行く」
腰を上げると、柊が身じろいだ。実際動いても手枷足枷があるから反対側の壁に背を付けるようにして座っている俺には届かないけれど。
「え? 今来たばっかじゃん。もう少しいなよ」
「あとでまた来る」
「ほんと? 一日中こうしたまんまですっごい暇なんだよね。ほんとに来てよ?」
「多分な」
いじわるーと柊が笑う。俺はそれを見つつ今度こそ立ち上がった。
向かうは箱だ。掃除以外で行って咎められるかもしれないという考えには思い至らなかった。
改めて考えると自分の行動はおかしい。
柊のところに行って、彼のために凌平に会いに行こうとしている。行動と思考がちぐはぐで、我ながら心配になる。
でも、このときの俺はなにも考えていなかった。何かに動かされるように、思考しているつもりで半ば無意識で行動していた。
箱までは何の障害もなくたどり着くことができた。クラヤミ廊下も変わりない。真っ暗な中にちゃんと看板があった。
クラヤミ廊下は今日は少し肌寒い。発生源などないように思えるのに暗闇の中に風が吹いていた。
ノックをしようとして、はたと気づく。自分の考えなしの行動がようやく見えた。
(久納がいるかもしんねえじゃん……)
なぜ凌平に会えると思ったのだろう。久納がいたら凌平が起きていることは隠すだろうし、俺が久納に会いに来る理由なんてないから不審がられる。
それでも、来てしまったものは仕方がない。考えもせず扉を叩く。そして、この前のように扉を開けてみると、不用心なことに今日も鍵は掛かっておらず、俺は中に入ることができた。
しかし、やはり人様の部屋。立派な不法侵入だが、背に腹は代えられない。俺は凌平に会わなければいけないんだ。よくわからない使命感に動かされ、俺は室内へと侵入した。
「……御国?」
入った途端声が聞こえ安堵する。昨日覚えた凌平の声だったからだ。気づかないうちに強ばっていた体から力が抜ける。
暗い室内の中凌平は確かにいた。昨日と同じように床に座っている。
「……おまえ、もしかしてなんか探してんの?」
その体勢に違和感を覚え尋ねてみると凌平が肯定した。
「そう。おれ、なんかなくした気がするんだよね」
「なんかかよ」
「おれ、忘れっぽくて。それが何か忘れちゃったんだけどさ」
「ふうん」
はは、と凌平が力なく笑う。
「とりあえず、座んなよ。で、なんかあったら教えて」
「なんかってなんだよ」
「なんかだよ。おれが探してそうなもん」
言われて、なんとなく散らかり放題の床に目を滑らせるが、がらくたが無秩序に放られているだけに見えた。
「あ。そういえば背中大丈夫? 結構痛そうだったけど」
「ああ、平気。なんか治った」
「へえ、すごいね。人間とは思えねえ」
「……そうだな」
「やだな。冗談だって」
けらけらと凌平が笑う。なんだか、第一印象と印象が違う。もっとクールな奴だと思っていた。でも、なぜだか少しだけ意地が悪く生意気そうな凌平がしっくりきた。
「御国、何できたの? おれとしては一人で暇だしありがたいんだけどさ。用事?」
「用事。つうか一人って、久納は?」
「久納は元団長にどこかに連れられて行ったよ。見世物探しとかなんとか言ってたかも。色小屋の」
「確かに減ったけど、増えたらめんどくせえな」
また掃除が大変になる、とうんざりした。
「で、用事なんだけど」
「うん。なに?」
「柊がお前のこと心配してる。ここにいること、教えても良いか?」
尋ねると、凌平の顔から表情が消え、驚いた。とっさになにも言えなかった。抜けた、という表現がぴったりだと思える。まるでもぬけの殻。今ここにはなにもない。さっきまで饒舌にしゃべっていた姿が俺の妄想だったろうかと思えるほどの変貌ぶりだった。
「凌平」
呼んでみるが反応はない。不安になって手を伸ばしかけた時、ようやく凌平の目に生気が戻った。ほっとひと安心する。
「思い出した……」凌平が呟く。
「は?」
「なんで、忘れてたんだろう」
凌平は焦っているようだった。眉が八の字に情けなく下がる。
「おれ、柊のこと忘れてたんだ。忘れてたんだ!」
一瞬、泣くのかと思った。しかし、凌平はすぐに落ち着きを取り戻し俺に目を戻す。
「ごめん……」
「いや。いいよ。思い出したなら、良いじゃねえか」
「……おれとあんたは初対面? おれ、忘れてる? 大丈夫?」
「昨日が初だよ。大丈夫」
できるだけ優しく言うと、凌平に小さな声で礼を言われる。
「柊、今どこにいんの? あいつは大丈夫なの?」
「色小屋にいる」
凌平が青ざめる。色のことも思い出したのだろう。
「けど、大丈夫だよ、たぶん。俺さ、色も掃除してるけど柊殴られてもないしふつうに見える」
「それなら良かった。……おれのせいだから」
凌平が悲しげに目を伏せた。俺は優しい人間じゃないから彼の今の胸中に思いを馳せることは出来ないが、後悔と俺に対する気遣いなど人間が持ちうる様々な優しさのせいで苦しんでいるのだろう。
「……行ってみるか?」
無意識だった。無意識に言葉が出て、それを認識した時にどうか肯定するなと思った。行くなんて言うなよ。自分で言ったくせにこれを願う。そもそも撤回すれば済む話なのに、どうしても口が動いてくれない。
「おれでも行ける?」
凌平がおずおずと尋ねて来る。動かなかった口がやっと開いた。しかし出てきたのは意図しない言葉。
「行けると思うけど、久納がいる時の方が良いかもしんねえよ。色小屋あぶねえし。はじめに行くか聞いたのは俺だけどさ」
「待ってるなんてできねえよ」
「でも、柊はお前を助けたんだろ。だめじゃん、自ら死にに行くのは」
「おれ、決めたから。あんたがおれを連れてかなくてもどうにかして行く」
凌平の決意は固いようだ。意志の強い目にかつて同じような目をした少年を思い出した。灯――柊の兄貴分で、人間のリーダーだった。俺の所にはあまり情報が入ってこなかったが、柊は灯を裏切り異形である稲様についたから人間たちから疎まれるようになったらしい。
雅は灯が来た時と凌平が来た時のことを似ていると言った。確かに凌平は今まで来ては消えていった人間たちとはどこか異なる雰囲気がある。一瞬全く違うはずの灯と凌平が重なって見えた。今、灯を裏切った柊を、姿形も性格も違うのにどこか灯と似ている凌平が救おうとしている。
「……わかったよ」
俺は自分の意思で肯定した。もしもクチナワに出くわしても、忘れていたがこいつは団長に気に入られているのだ。クチナワもあの狐の神様には頭が上がらない。それに加えて久納がわざわざこいつをイギョウにしたのだ。クチナワも簡単に凌平には手出しできないだろう。
己の身の危険を感じたが、それはすぐにどこかに消えていった。