再会
俺に続いて凌平がクラヤミ廊下へと出る。クラヤミ廊下は常に真っ暗だが、なぜか見えるのだ。行くべきところも俺自身も、そして凌平も。
団長の部屋から出た凌平を見て、自分がすごく悪いことをしている気分になった。自分を守るように作業服のポケットに手を突っ込むとやけに安心した。歩き出す前に凌平を振り返ると彼はどこか思い詰めたような顔をしている。
「……つうかさ、色に行く前に一回冷静になって行ってどうするか考えた方が良いんじゃねえの? 柊には会えるだろうけどさ、連れ出すのは無理だよ」
「クチナワに交渉する」
なんでもないことのように凌平が言う。
「無理」
「だって、久納が帰ってくる前になんとかしなきゃだめだ。久納とクチナワ仲悪いし、久納心配性だからあいつが帰ってきたら絶対止められる。柊はクチナワに入れられたんだから」
眉を寄せ、斜め下を向いたまま目が合わない。おそらく完全に熱くなっているのだ。
「……俺の立場はどうなんの」
凌平と目が合った。はっとしたように彼は顔を上げた。
「なんか、まずいの?」
「会わせるくらいは大丈夫だと思うけど、もしお前が柊を連れだそうとしたら殺されるだろうな」
本当は会わせるだけで危ねんだよ、と言ってやれたら良いのに。というか、どうして言えないんだ。
「……ごめん。考えてなかった。クチナワが怖いっておれ聞いて知ってたのに」
「良いよ別に。俺、危険なことはしねえから。行こうぜ」
「ああ。ありがとう」
小さく笑って凌平が歩きだした。道など知らないはずなのに迷いなく色の方へと進んでいく。ずんずんと進む凌平の後を歩いているとふいに凌平が険しい顔をして振り返った。
「聞くの忘れてた。こっちで合ってる?」
「合ってる」
「御国、先歩いて。おれ、付いてくから」
「……だろうな」
案外抜けている凌平を追い越して先を行く。癒しの力を持つ凌平が後ろにいるからかなんだかぽかぽかしている。すんなりと異形にとけ込める理由はこの力から来る彼独特の雰囲気にあるのかもしれない。
こんなことを考えながら進んでいると、凌平が小さな声で何かをつぶやいた。
「なに?」
歩きながら振り返ると、凌平がなにやら難しい顔をして俺を見ている。
「いや……なんか、前にこういう夢見た気がして。デジャブってやつ?」
「あ、そう」
「おれ、夢と現実の区別もつかねえんだよなあ。御国はそういうことない?」
「まず、夢を見ねえからな。昔のことも覚えてねえし」
夢でも良いから過去を見たいと思ったことは今までに何度もあったが、幸せな夢も不幸な夢も、現実的な夢も非現実的な夢もなにも見たことがない。
「ただ、今見てるもんも、全部夢みたいだ。醒めれば良いのにって思うけど、そんな気配もない」
「いつからここにいるの?」
「さあ。2年くらいじゃねえか」
「2年も夢から覚めないなんて、いやだな」
「いやなもんだよ」
「でもおれも、もう現実がわかんねえ。この場所が非現実的なものだってことはわかってるけど、現実を現実感を持って思い出せないから、もうこれが現実なんだって思う」
は、と凌平が笑う。
「ゲンジツって言葉言い過ぎて、なんかよくわかんなくなってきた」
「まあ、伝わった」
前方に、色小屋へと続くドアが見えてくる。やはり真っ暗闇の中でもうっすらと見える。見えているのか感じているのかはわからないが。ドアに近づき鍵穴に鍵を差し込むのを凌平が物珍しげに眺める。
「物理的な鍵だ」
「……そうだな?」
「久納のとこ、ひとりでに誰も入れないようになるからなんか変な感じ」
「俺不法侵入したけど」
「それはおれが中にいたからだよ。きっと、部屋も生きてるんだ」
「……お前、最近来たって言う割にすげえ馴染むの早えなあ……」
「現実に未練がないんじゃないの。思えば、帰りたいってあんまり思ったことねえし」
「ふうん」
家族とかいそうだけどな、と何となく思った。大事に育てられていそうだ。だって雰囲気があたたかい。それを言うと柊は金持ちの雰囲気があるし、雅だってそうだ。一番諦め悪く足掻いてるのが唯一育ちの悪そうな俺だから少し恥ずかしい。
かちゃりと鍵が開き、俺は躊躇わずドアを開けた。もう見慣れつつある鍵小屋の景色が広がる。
(俺はなにをしてるんだ?)
急に怖くなった。クチナワが嫌いな久納が愛する凌平に手を貸すことは、明らかにクチナワにあだなす行為だ。クチナワが凌平に手を出せなくても、俺には手を出せるだろう。背筋に嫌な汗が伝う。でも、それをわかっていて俺はこいつを連れてきた。それが怖い。自分の行動の理由がわからない。
「……御国?」
俺がこんなにもクチナワを恐れていることを知らない凌平が俺の顔をのぞき込んだ。
「大丈夫? なんか、顔色悪い?」
「大丈夫」
大丈夫じゃないのに俺の口は勝手に動いている。俺は心の底から大丈夫じゃないと思っているし、クチナワのことが怖くてたまらない。痛い思いをしたくないし、見世物になるのは死んでもごめんだ。それなのに俺は足を動かして凌平を柊が入っている箱に案内しようとしている。まるで俺の中にもう一人の俺がいて、そいつが勝手に俺を動かしているような感じがした。俺は一人なのに。
鍵小屋を通り抜け、広間に出る。甘い匂い。いつも嗅いでいる色小屋の匂いだ。ひどくふわふわとしていた。現実味がない。思考も体も、重力などありはしないかのようにふわふわと浮いている。
「こっち」
それでも俺の足は柊の箱に向かう。ギギ、と甲高い鳴き声に天井を見上げれば、ナイフのように尖った耳まで口が裂けた化け物が、白目のない瞳で俺をまっすぐに見据えていてあわてて目を逸らす。うわ、と凌平が小さく声を出した。
「色の異形とはあんま目合わせんな」
凌平に注意をして柊の箱を目指す。鍵小屋からあまり遠いところになく、すぐに柊の箱の前に着いた。悪いことをしているという自覚からか誰かに見られているような気がする。
「ここが柊の箱」
「柊……」
俺の立場など何も知らない凌平が柊の箱を何とも言えない表情でまじまじと眺めている。失望、後悔、いろんなものが混じった表情に思えた。
作業服のポケットから鍵束を取り出し、箱の角、下方にひっそりと存在している鍵穴に箱の鍵を差し込む。
「開いた」
凌平に言って、ほとんど壁と同化している取手を引き、扉を開けて凌平を中に押し込んだ。そのあとで俺も中に入り扉を閉める。
「……凌平?」
柊は先ほどとなにも変わっていない。扉とは反対側の壁に背を預け、お面をつけて座っている。それでも今の柊の表情が手に取るようにわかる。ぽっかりと口を開けて、目を見開いているだろう。
「柊……」
凌平がつぶやく。柊がまた凌平、と言って腰を浮かせた。凌平に駆け寄りたかったのだろうが、手枷が邪魔をして近づけずその場に尻もちをついた。おせっかいかと思ったが放心している凌平の背中を押してやる。
凌平ははっとして柊の前に跪くと、そっと柊の面を外した。柊の顔は情けなく歪み、涙に濡れていた。それを確認し、静かに箱から出る。平気そうだったが、柊もやはりつらかったのだろう。
(……そりゃそうか)
罪悪感が薄れる。なにも解決はしていないが、ふたりを会わせることができて良かったと思った。てくてくと目的もなく歩き、適当な箱の前に座り込む。柊のように箱に背中を預けてみた。冷たい。箱の冷たさが背中から体に入り込み、全身を凍らせてしまいそうだ。
クチナワが俺の行為を知ったらどうするだろう。蛇に襲われるくらいだったらまだ良いけれど。蛇が口から耳からいろいろな穴に向かって来るのは恐怖でしかないが、恐怖があるだけで痛みもそれほど感じない。怖くて虚しいが、それだけだ。
一番嫌なのは、掃除夫を外されて見世物になることだが、不思議なことに思考に分厚い膜が掛かったように危機感は薄っぺらいものだった。まあいいか、と考えてしまっている。ふたりを会わせられたのだから、良いか……と。
「御国?」
名を呼ばれてはっと顔を上げると、青が怪訝そうに俺を見下ろしていた。
「いる気がして来てみたら会えちゃったあ! っていうか、御国何やってんの?」
「別に……」
「具合悪いの?」
「……凌平を連れてきたんだよ。柊に会いてえっつうから」
言うと、青の顔色がさっと変わった。そしてしゃがんで俺に向き合うと肩を揺さぶってくる。
「何してんだよ! 御国、自分が何したかわかってんの!? りょう、凌平は、久納のっ――」
肩を揺さぶる力は次第に抜け、青の手が弱々しく俺の腕を掴む。
「知ってる。やっぱまずいよな、これ」
「ま、まずいよ。クチナワが知ったら……」
「もし俺がクチナワに連れてかれたりしたら、俺に用事ができたとでも言って凌平を箱に帰してよ。俺と一緒じゃなきゃ正規ルートでも行けるだろ。嫌だったら箱に帰る道を教えてやるだけでも良いから」
「何言ってんの……御国、そんなやつだっけ? 自己犠牲の精神とか持ってないんじゃなかったの」
「何? 心配してくれてんの」
「まじめに、どうしちゃったんだよ。こんな毒気の抜けた御国、おれは嫌いだ」
「そうかよ」
そのとき、遠くに見える柊の箱から凌平が出てきたのがわかり、立ち上がる。
「青」
「……何?」
「凌平には何も言うなよ」
「何もって?」
「クチナワのこととか、俺の立場とか。気遣われたくねえんだ」
「わかったよ……」
しぶしぶ了承すると、青が蛙の姿に変わり俺の頭に飛び乗った。慣れた感触に少し安心した。