約束
「もう良いのか?」
「ああ、うん。ありがとう。必ず助けにくるって約束してきた」
「まじか。青春だな」
笑ってみるが、もちろん凌平の表情は冴えない。連れだって歩き出す。目指すは鍵の小屋。何か考え込んでいる凌平を良いことに、気を遣わず無言で進む。小屋の中に入り内鍵を掛けたところで緊張が解れた。まだ緊張を解いてはいけないとは思う。このあとクチナワに会ったらどうなるのかわかっていないのだ。さっきの青の反応からしても俺がやったことは許されないこと。そう思うし、今までなら考えようとしなくても恐怖におののいていただろう。しかし、今俺を支配しているのは恐怖ではない。恐怖ではないが、ほかのなんでもなかった。おそらく俺はうまく考えることができていないのだ。危機を、実感を持って考えられていない。
もう甘い匂いは消え、鍵の錆びた匂いが鼻をつく。クラヤミに至る扉に行くためのはしごを登る前に凌平と向かい合う。
「俺、助ける手助けはできねえよ」
たとえ思考に靄がかかっていたってこれだけは言っておかなければならない。言わなければ俺はきっとまた頭に膜がかかったようになってよく考えもせずに手を貸してしまうような気がした。言っておくと、もし俺がこいつらの為に危険を侵そうとした時に凌平が俺を止めてくれるかもしれない。こいつは多分良いやつだから。
「わかってる……」
凌平が沈んだ声を出す。俺が促すと彼は階段を上ったが、クラヤミ廊下に続くドアがあるスペースで足を止めた。
「柊から聞いた。クチナワの下で掃除してるんだって? あんた」
「あ? ああ。そうだけど」
「クチナワって危険なやつなんだろ。柊も言ってたし、おれも一度会ったことがある」
「柊を色に入れた張本人だしな」
俺は、なぜか恐怖を悟られまいとしていた。
「御国、クチナワのことすっごいすっごい怖がってるんだよ!」
「青、だまっとけよ」
頭の上の青が身を乗り出して叫ぶ。凌平が伏せていた目をあげた。
「そうなの?」
「……怒らせたら面倒くせえ」
「殺されちゃうかもねえ」
「……殺されんの?」
「別に、んな情けない顔する必要ねえよ。殺されるときは殺されるけど、別にお前を色に連れてくんなって言われてるわけでもねえし、大丈夫」
「なんだよ御国、ぐぇっ」
またよけいなことをほざきそうな青をつかみ上げ首を絞める。死なない程度に締めながらクラヤミ廊下に続く鍵を開け、凌平の背を押してクラヤミの中にやり、青もついでにぶん投げる。人型になった青が焦ったようにこっちに向かってきたところでドアを閉めて鍵を掛けた。
青が俺がクチナワにびびってるとか、そういうことを凌平に教えたとしても良い。俺がいる前で言われたらたぶんクチナワを怖いと思っていることが凌平に知られてしまうけど、伝聞で聞く話は真実ではなく噂の域を出ない。本人から聞いたり、本人の反応を見て初めて真実だと言うことがわかる。
(青、来んなよ)
心の中で言う。クチナワがどう出るかわからない分青は色小屋にいるべきじゃない。不本意だが、異形の中には俺と青を仲良しだと思っている奴らがいるから、もしクチナワもそうだとして、クチナワが俺に激怒したらあいつもとばっちりを受けるかもしれない。青がどうなろうと別に俺には関係ないが、俺のせいで誰かが不幸になるのは胸糞悪い。俺は自分の都合で青を安全な箱にやったのだ。
いくら行き来を制限されていないとはいえ、確か箱から色小屋への正規ルートは色小屋の営業時間内しか通られなかったはずだ。
だから鍵のない青は俺が箱に行って合流するか、色小屋の営業時間である深夜2時まではこっちに来れない。
(……何で俺、こんなことしてんの)
凌平と青の消えた扉を見ながら深いため息を吐く。凌平がいなくなり、一気に後悔が俺を襲った。怖い。恐い。クチナワが恐ろしい。見捨てられたくない。あいつだけなんだ。ただの掃除夫だとしても、俺がいなくなってわずかでも困るのはあいつだけ……。
逃げたい。逃げたいけど逃げる場所がない。
帰りたい。帰りたいけど帰る場所さえわからない。
怖いし大嫌いだが、クチナワに見捨てられたくなかった。
階段を下り、おそるおそる鍵の小屋から出る。甘い匂い。箱が並んでいる広間には誰一人いない。足を踏み出す。自分の靴の音がやけにでかく感じる。歩みを進める度、みぞおちあたりに違和感を覚える。空気が抜けるような感じで、それに伴ってちくちくと痛みが生まれる。
これ以上クチナワを怒らせるようなことをしたくなくて柊の箱には寄らずに自室を目指す。誰の姿も目には見えないのに絶えず何かが苦しむような声が聞こえていて、その場にしゃがみ込んで耳を塞ぎたくなった。