早寝記録

甘い匂い

 久し振りの祭り。普段はひっそりとしている神社はまるで生き物のように活気に満ちていた。その中に俺と凌平はいたのだ。たった五分前までは確かにいた。
 凌平は、どこだ?
 金がもったいないという凌平に外で待っているように言って、一緒に来た他の奴らと見世物小屋に入り、くだらない見世物ショーに辟易して五分も経たず出てきたらそこに凌平がいなかった。漠然とした不安を覚えた。
「凌平がいねえ。探しに行こうよ」
 友達らを促して一歩を踏み出したところで理解できない言葉が聞こえた。
「誰を?」
 祭り特有のいろんな露店の匂いが交じり合った風が気持ち悪い。
「凌平だよ、決まってんじゃん!」
 腹が立って感情のままにぶつけるが、仲間たちは各々顔を見合わせて変な顔をしている。まるで俺ひとりがおかしいみたいだ。凌平という名前にすら心当たりがないように見える。
「ごめん。俺、帰る」
 一応謝りみんなに背を向ける。呼ばれたが気にせず走った。嫌な予感がしたのだ。なんだそれくらいでと思われるかもしれないが、もう凌平に会えない気がした。
 敢えて人混みに凌平は探さない。俺はまるで何かに導かれるように、愉快な祭りの音楽と人が生み出す騒音から逃れるようにして境内の奥へと進んだ。人の気配とともに露店がなくなっても頭上の提灯が途切れないのが気味悪かった。
 ふと、道を外れ山を下る。俺の記憶が確かだと、下りた所にあの祟るという神様の祠があるはずだ。
 今は夜だが、初めてチョコをお供えしてからちょくちょく来ていたし、夜にも来たことがあったから当たっているはずだ。もしかしたら凌平もそこにいるかもしれないという思いを抱いて祠を目指すことにした。
 だけど俺が向かおうとしている道無き道には灯がなく少し怖い。
「う、わ」
 一瞬意識が飛び、気付いたら地面に片膝を付いていた。今俺の眼前に広がっているのはただの闇だ。完全なる暗闇。しかし冷静に考えると、提灯が一定の間隔でぶら下がっている道から少ししか離れていないから、何も見えないのはおかしい。立ち眩んでいるだけなら良いのだが、そんな感じでもない。
 試しに振り返っても提灯はなく、加えて何の音も聞こえないことに気がつく。ついさっきまで確かに聞こえていた木々が揺れる音さえなく、俺はいよいよ恐怖に侵された。こんなこと、ありえない。視力も聴力も全て奪われたような感覚。
「凌平……」
 頼りなげな自分の声が聞こえた。このことから、俺の耳は正常でただ音のない世界にいるだけだということがわかる。いっそう不安を覚える。
 そもそも、どうして俺はあいつを一人にして見世物小屋なんかに入ったんだ?
 俺も凌平も普通の中学生みたいになれていたのに、今の状況はなんだ。
 もう一度振り返っても、やはりあるはずの提灯は見えず、なんの音も聞こえない。木々は揺れているはずなのに、葉のこすれあう音も、風の音も聞こえない。だけど立ち上がって足を踏み出したら土を踏みしめる音がした。

 夢なら良いのにと思った。俺は夢を見ていて、目が覚めたら祭りの日の朝。
 でも夢を見ているのではない。なぜなら、俺は木の音が聞こえないのも、さっきまでそこにあった提灯がないのも、俺のこの状況全てをおかしく感じている。
 夢ならば、どんなにおかしなこともすんなりと受け入れられる。目覚めてから変だと思うことはあっても、夢を見ている時におかしいと思うことはまずない。
 明晰夢なんてものもあるが、それとも異なっている。

 とにかく、凌平を探そう。
 仮にここがおかしな世界でも何でもいい。とにかく、凌平を探さなければ。

(一番は、家に帰ってくれていれば良いんだけど……)

 変な状況に陥っているのは実は俺だけで、凌平はただ祭りに飽きて一人でさっさと帰っているだけなら良い。
 しんとした森の中を手探りで歩く。目が慣れたのか他の要因からなのか、ぼんやりとだがあたりの景色が見えるようになっていた。景色と言ってもただの森で、動物の気配もなく虫の声も聞こえない。空には月もなく、星も出ていない。そのくせ雲も見えないが、真っ暗な空だった。
「凌平」
 呼んでみる。歩く度にパキパキと細い木の枝が音を立てる。
「凌平、帰った?」
 ばかみたいな質問を宙に投げる。もちろん返事はない。
 たったひとりで暗闇に囲まれているという事実を敢えて考えないようにここまで来たが、そろそろ恐怖が決壊しそうだった。俺が必死で作った堤防を恐怖が轟音を立てて壊そうとしている。
 神様がいるのなら助けて欲しい。
 だけど、きっと数個のチョコと飴玉じゃ助けてもらえない。安く買える甘いものしかあげられなかった。
「なんだよ……」
 足が地面に根付いているようだ。だけど、安定感はなく浮いているようでもある。仕方なく足を進める。自分が歩む方向が合っているのかわからないが、じっとしていても仕方ない。そもそもゴールがあるのかもわからないが。

 自分が土を踏みしめる音と、段々荒くなってくる息遣いだけを聞きながら歩みを進める。凌平は無事だろうか。強そうに見えて意外と寂しがりだから、もし俺と同じような状況にいたら泣いているかもしれない。
 どうして祭りにふたりだけで来なかったのだろう。ふたりなら絶対離れなかった。なぜ、俺は彼を置いて見世物小屋の中なんかに入ったのか。
 祭りの夜はひとりきりになってはならないと昔から言われ続けてきたのに。

 また、意識が一瞬なくなった。
 ふと気づくと頭上に提灯があった。しかしさっきまでの提灯とは違う。祭りの橙色の光ではなく、夜の海のような深い青。その時誰かのうめき声が聞こえた。
「凌平?」
 声のする方へと駆ける。一際太い幹の木から覗くと、井戸があった。その近くに少年が倒れこんでいる。凌平ではないが傍に寄る。井戸の真上には提灯が浮いている。
「う、わ」
 少年は血まみれだった。青い光の中でも真っ白い肌だということがわかるが、その白い肌にはべっとりと血がついている。見覚えのない制服を着ているが破れており、獣に引っかかれたような傷跡が覗いていた。年の頃は多分俺と同じくらいか少し上。左目の下には泣きぼくろがある。見たことのない顔だ。
「だ、大丈夫?」
 左肩を弱く叩くが、少年は目を閉じて呻いている。額には玉の汗が浮かんでいた。
「か、はっ――」
 少年が血を吐く。
「え、ちょ、ちょっと」
 心臓あたりが痛む。助けないとと思うが、どうすればいいかわからない。腕や足、腹にも傷がありそこからも血が流れている。止血? まずは血を止めないと。でも、どうやって?
「なあ、大丈夫?」
 意味のない問いかけ。夢ならいいのに。
 夢ならいいのに。
 夢ならいいのに。
 何を考えたら良いのだろう。考えてもなんにもならないことばかりが頭に浮かぶ。夢ならいいのに。
「誰だ?」
 大人の男の声が聞こえ少年から声が聞こえた方に目を移すと、喪服を着た眼鏡の男が井戸を挟んだ向こうにいて俺達を見下ろしている。井戸の向こうには湖しかないが、どこから来たのかなどはどうでも良かった。ここは夢ではないが非現実的なことばかりが起こる場所だ。
 男は青い光を背負っている。そのせいかひどく顔色が悪く見えた。まるで死んでいるよう。
「ど、どうしよう。こいつ、死にそうで……」
「そんなのは見ればわかる。お前は誰だ? 呼ばれていないのになぜこんなところにいる?」
「見ればわかるって……」
「誰だ。答えろ」
 威圧的な男の態度。男が段々と近づいてきて井戸を挟み真近に見下ろされる。ひどく冷たい目に俺は怯んだ。
「……み、御国。御国舜」
「御国か。なぜこんなところにいる?」
「祭りで……。とも、友達とはぐれたんだ。それで、探してた」
「誰に呼ばれた?」
「え?」
 男が歩き、おれの目の前でしゃがんだ。
(頬に、鱗がある)
 おかしな痣。
「答えろ」
「――っ」
 男の眼鏡の奥の瞳が変化する。瞳孔が爬虫類みたく縦に長くなった。ひし形を上下に引っ張って細長くしたような形。猫の目にも似ているが、なぜか蛇のようだと感じた。そしてその目に俺は恐怖を覚えた。この男の感情がわからない。それに、この目を見ていると全てを見透かされているような気になってくる。
 なんでも良いから答えないと。答えなければ殺される気がした。それに、この男を満足させて少年をなんとかしてもらいたい。望みは薄いかもしれないがゼロじゃない。
「俺、祠を探してたんだ。呼ばれた、わけじゃないと思うけど、この山に、前神様がいた祠があって、友達、そこにいるかもしれないと思ったから……」
「祠?」
「そ、そう。確か、蛇の神様」
 初めて祠に来た次の日、なんとなく祟を起こす神様のことを少し調べてみた。その結果、蛇の神様だということがわかったのだ。
「……そうか」
 男が目を伏せる。伏せられた目が再び俺を捉えた時、男の瞳は俺と同じ人間のものに変わっていた。
「最近降ってくる甘ったるい信仰はお前のものか」
「え……?」
「無意識に呼んだのだろう。甘い信仰をいつも白蛇は喜んでいた。そのせいで、部屋が甘い匂いになってしまった」
「し、白蛇?」
「俺の主だ。一応礼を言う」
 ふ、と男が笑った。
「お前をこのまま帰して、これからも甘ったるい信仰を白蛇にやって欲しいが、お前はもう戻れない」
「ここ、どこなの?」
「狭間だ。俺もそれしかわからない」
「……狭間」
 聞いてもわからなかった。男が怪我をしている少年に目を遣り、乱暴に抱き上げた。男の喪服に血が移るが彼はちっとも気にしていないようだ。
「そいつ、助かる?」
「異形と混ぜる。また人生をやり直すことになるが、まあ命があるだけ良いだろう」
 言っていることはわからなかったが、命を助けるらしいことはわかった。それだけで今は十分だ。俺は少年のことは知らないし、死んだら終わりなのだから生きられるだけで多分良い。それに、俺は凌平を探さなければならないのだ。時間を食っている場合でもない。
「ありがとう」
 礼を言い、立ち上がって男と井戸に背を向けた。
「おい、どこへ行く」
「と、友達を探しに……」
「無駄だ」
「無駄?」
 振り返って男を見る。青い提灯は先程よりも強く発光している。湖の水面が光っていてなんとなく幻想的だ。湖の向こうにも森が広がっている。俺の後ろにも、右も、左も。このどこかに凌平はいるのではないか。
「お前の友達は呼ばれた。それは別の道だ。探しても会えない」
「ってことは、凌平がどこにいるか知ってるの?」
「呼ばれていないのはお前だけだ。それ以外は把握している」
「無事?」
「いずれ会える。互いに記憶はないが」
「え?」
「御国、井戸に入れ。白蛇もお前なら喰わない」
 そう言って男は井戸の中に少年を放り込んだ。
「あっ」
「安心しろ。中に面倒見の良い蛙がいる」
「……蛙」
 何もかもわからないことばかりだ。非現実的すぎていちいち突っ込む気にもなれないが、この現実を夢だと否定する気にもなれなかった。
 男がまた近づいてくる。体の向きを変え、俺よりも背の高い男を見上げる。男も俺のことをじっと見ていた。
 喪服だし誰かもわからないし威圧的でなんだか怖いが、とりあえず信じることにした。心細い世界に独りでいたから、何かにすがりたかったのかもしれない。だから俺はこんなにすんなりと信じてしまうのだろう。
 すっと男の目が細められる。優しい眼差しだ。小さな頃、母親がくれたあたたかいものに似ていると思った。
「ここで俺と話したこともお前は忘れるが、俺達を裏切らない限り命は奪わない。あの甘い信仰は、有難かった」
 男が穏やかに言う。
「あんたは誰なの?」
「お前と同じだ」
「俺と?」
「落とされて生かされた。さあ、行け。そろそろ先に投げた子供が目覚める頃だ」
 入るしかなさそうだった。男の言ったことは普通ではない。井戸に飛び込めなんておかしい。だけど、ここはおかしな世界だ。そして俺も段々とおかしくなっているのを感じている。飛び込むしか道はないと確信しているのだ。
 男に言われた言葉を反芻する。
 ――いずれ会える。互いに記憶はないが。
 いつか凌平と再会出来た時、今まで築いて大切にして来た関係はなくなり赤の他人になっているのだろうか。
 井戸に手を付き縁に足を乗せる。そして慎重に井戸の中に足を投げ出すようにして縁に腰掛けた。男が俺の横に来る。バカなことをしている自覚はある。自分から井戸に飛び降りるなんて狂気の沙汰だ 。わかっているのにもう迷いはなかった。
「落ちたら、あんたもいる?」
「いるが、期待はするな。俺はお前に優しく出来ない」
「なんで?」
 もしかしたら、これは俺が望んだ通り夢かもしれない。夢は望んだ通りになるという。俺はこの男は優しいと会ったばかりなのに根拠もなく思ってしまっている。
「俺は人間には優しく出来ない」
「よくわかんねえけど、良いようにしてよ」
「ああ」
 男が穏やかに微笑む。頬の鱗がそれに合わせて動いた。
「落ちたら忘れんの?」
「ああ。全て抜ける」
「……そっか」
 井戸の中に目をやる。わずかな光さえない黒い穴。
「案ずるな」
 男の言葉を聞くより早く俺は覚悟を決め、井戸の中へと飛び込んだ。

 凌平がいなくなったのは俺のせい。俺が、あいつを置いて見世物小屋に入ったから。
 だから記憶がなくなったとしても、凌平が困っていたらなんとしても助ける。そんな自分でいたいと思った。