早寝記録

弱さ

 目の前で閉められた扉に手を掛け、開けようとするがびくともしない。今しがた閉じられたばかりだというのにドアノブにはいくつもの南京錠がぐるぐると巻かれていて、どんなに強く力を入れても無駄だった。
「御国!」
 どうか聞こえろと扉の向こうに向かって叫ぶ。すぐに壊れてしまいそうな木の扉を渾身の力を込めて叩く。
「開けて! いるんでしょ! 御国!」
 叫び、両の手で馬鹿みたいに扉を叩く。しかし、いくら叫んでも叩いても、俺が出す音のみが虚しく響く。
「御国……」
 どれほどこうしていただろうか。声は枯れ、とうに手の感覚はなくなっていた。ずるりと腕を垂らす。叩いていた部分がところどころ赤く染まっている。
 どこにも行けず、その場にへたり込む。自分が犯してしまった罪が今になってずっしりとした質量を持って俺に襲いかかっていた。だって、見てしまったのだ。俺をクラヤミ廊下に出し、扉を閉める瞬間御国が泣いたのを。

 どうして信じたんだろう。クチナワがいきなり俺を許すはずがない。解放するにしても、こんなに簡単に立ち会いもせず俺を自由にするはずないのだ。

 御国が助けてくれた。

「――っ」

 冷たく固い床に両手をつき、うなだれる。ただでさえ真っ暗なクラヤミ廊下が完全な闇になる。音は聞こえない。しかし、静寂が煩かった。全くの無音は時に暴力的な音になる。精神の弱さがそのまま音となり耳に届き全身を支配する。

 俺はバカだ。昔から変わらずずるく自分勝手で人を不幸にする。
 一瞬で頭が冷えて、自分がしたことの重大さを思い知る。

 御国は閉じ込められた俺の所に凌平を連れてきてくれた。久納の寵児となった凌平を、クチナワの敵である俺のところに連れてきてくれたのだ。
 俺は、手出しできないにせよ、クチナワは今後ずっと俺を色に閉じ込めておくのだと思っていた。前に色に閉じ込められて見世物になった時は久納が箱に上げてくれたが、それは稲様への餞であり、俺を哀れんでのことではないと思っている。そしてそれはおそらく正解だ。凌平といる時の久納はまるで人間のようだが、ここを仕切る異形たちの中で久納が一番人間に興味がない。色小屋を巡って人間と異形らが争っていたときも無関心だったし、無残な人の死体の横をそれに目もくれずに鼻歌交じりに通り過ぎることができる。クチナワでさえ死体を一瞥し、眉を顰めるというのに。
 調子の良い鼻歌と奇妙なハイテンション。何を考えているかわからず底が知れない久納が俺は怖い。
 だけど、彼は稲様とすごく仲が良かったから、稲様の相棒として見世物になっていた俺を一度だけ助けてくれたのだと思う。
 何が彼の琴線に触れたのか、凌平を異常にかわいがっているようだが、恐ろしさは簡単には拭えないものだった。
 それに、凌平は初めからどこか人間離れした雰囲気があった。彼は不自然なほど自然に提灯小屋に溶け込み、異形からちょっかいをかけられることも目をつけられることもなく箱に受け入れられた。俺がイギョウだと知った時も、変わらず接してくれたしずっとそばに居てくれた。凌平にとって俺は見世物小屋に引っ張りこんだ張本人なのに……。

 だから、俺はクチナワに憎まれ痛めつけられて、それを糧にして生きてこれたのに、もう会えないと思っていた凌平を御国が連れてきてくれた時、自分の立場も犯した罪も全て忘れて喜んでしまったのだ。
 御国が危険を冒していることにも気が回らなかったし、その後もっと危険な依頼をしてしまった。
 御国に、稲様を復活させる計画に加担させようとした。

『凌平に、稲様を持っててって伝えて欲しいんだ』

 御国に告げた自分の言葉。
 なんてバカなことをしたんだろう。癒しの力を持つ凌平が頭のおかしくなった稲様を持てば稲様が元に戻ると思ったのだ。それをクチナワの掃除夫である御国に頼んだ。
 もし御国がこれを実行してしまい、万が一クチナワにそのことがバレてしまったら――
「最低だ」
 だめだ。考えたら、自分を正当化してしまう。俺はわかっていたじゃないか。御国の立場も何もかも。
 最低とつぶやいた自分の声はまるで他人の声だ。ひどく冷めていて、耳に障る不快な音。
 また、俺のせいで人が死ぬのだろうか。クチナワは御国を殺すかもしれないが、そうしたらおそらくクチナワは壊れてしまうだろう。

 俺は緩慢な動作で立ち上がり、扉に背を向けた。何をしていいか、何をすべきかはわからないが、何も出来ず、すべきことなどひとつもないことを、なんとなく理解していた。