柊ニクシ!
色小屋へと続く階段を眺め、箱掃除をする日々に、俺は悶々としていた。御国と一緒に来ていたクラヤミ廊下にある鍵小屋へと続くドアにはもうたどり着けなくなっていたし、それを考えると今色小屋に行く手段はこの階段しかないのだ。
普通だったら色小屋が解放される深夜二時になると階段の番をしているクチナワの蛇が眠るのだが、御国と別れてからあいつらは俺がいつ行っても攻撃を仕掛けてくる。なぜかはわからないが、クチナワが俺を通さないように命令しているのだ。色小屋に行けたら今御国がどうしているのかも一発でわかるし、あいつの頭の上から動かないことだってできる。けれど俺は今籠の中の、いや、箱の中の蛙だから御国が今どうしているのかを知る術も、一緒にいられる手段もない。
「ああ! もう俺どうにかなる! 頭おかしくなる!」
階段の蛇に対し、怒りをぶつける。蛇は恐いから、手出しはしないけれど。
「もうおかしいよ」
「は!」
失礼な言葉を察知し声の方を向くと青白い顔の柊がいた。顔色悪い! 今にも死にそうな様子!
「柊!」
「……久しぶり」
「なんだよ! どいつもこいつも腑抜けた顔! 暗い顔! 今にも死にそうな顔! 死んでるヤツのほうがイキイキしてる!」
「うるさいな」
「しかも冷たい! お前はそういうキャラだったか? 違うだろ! 違うでしょ! 微笑みどうした! 口元の! あのうさんくさいやつ!」
「ごめん……」
どうも様子がおかしい。お面もつけていないし、笑っていない。柊は心が病んでいるためにいつも笑ってしまう奇病に罹っているはずなのに。あれ? これ俺の思い込み?
「謝るのはなんで?」だから尋ねてみた。
「……別に」そっけなく返される。いよいよおかしい。胡散臭いほどの愛想が全く無い。
その時、ふいに何者かに頭を押さえつけられて心臓が体から飛び出した。
「ヒィ!」
「よう。久しぶりだな。はは。すっげえビビってる」
「稲様、青、白目向いてる」
俺のお利口な耳に衝撃の単語が飛び込んでくる。それと一緒にさっき飛び出したと感じた心臓が戻ってきた。
「いいいいいいいいいい稲様! 稲様! なぜここに!」
「散歩。俺たち引きこもりがちだからさー」
押さえつけられているから姿は見えないが、今頭にぐいぐい感じる手のぬくもりは狐の神様のものらしい。そう思うと力が湧いてきた。稲様は強いから、俺も強くなった気持ち。
「それにしても、お前今までちゃんと生きてたのか。あんなに小さかったのに、大きくなったなあ」
「稲様、青のこと覚えてたんだね」
「ああ。御国のそばをうろちょろしてたから。おれ、小さくて可愛いものは好きだ」
ふと手を離され、頭が自由になる。勢い良く振り向くと、御国とは違いでかくて体格が良くて輝いているお人の姿があった。最後に見た時と変わらない姿だ。
「で、どうしたんだよ。じいっと階段なんか眺めて悪態ついて、何してたんだ?」
「はい! 俺、色小屋に行けなくなって! だから御国もしばらく見れてないので、ここで憤っていました!」
「行けなくなった?」
「はい! なんか、色小屋の営業時間になっても俺にだけ蛇が襲ってくる!」
「はあ? なんでまた」
「それがわかれば苦労はしな……すると思います! わかっても解決にならん~」
泣きたい気分。どうしようもない時、人は涙に感情を乗せ放出するのだ。俺は人ではないけれど、泣いたら少しはすっきりするかもしれない。だけど、今すっきりしたらだめだ。憤りで体が変になってもちゃんと憤らないと、御国に会わないといけないという危機感が薄れてしまう。
「色小屋に行っても無駄だよ」
「へ?」
柊の顔に笑みが浮かぶ。顔の造りは綺麗だが顔色が悪いから、どこか不気味に思える。
「俺、クチナワに捕まってたでしょ? それなのにどうしてここにいると思う? 御国が俺を助けて箱に上げてくれたんだ」
「んん?」
柊の言葉を理解するまでに時間が掛かった。
「御国がお前を助けたってこと?」
「うん」
「クチナワが捕まえてた柊を?」
「うん」
時が止まる。理解した。こいつの言っている意味がわかってしまった!
「がーん! がーん! まさか! まさか!」
目の前が真っ暗になる。そしてすぐに血の気が引いて今度は真っ白になる。足元がふらつき、床に尻もちをついた。
「御国が助けただって!」
「そうだよ。多分、死んだね」
「おい柊、やめろ」稲様が窘める。
「ねえ、青。俺のせいで御国は死んだよ。俺を助けて、生かしておくほどクチナワは優しくないでしょ」
「がーん! がーん!」
どうしよう、どうしよう。頭が回らない。でも回さないと。止まらない回転抽選器のイメージで想像を巡らせるんだ。頭を働かせて、働かせて……働かせて、どうするの?
「……御国、死んだの?」
死んだのか? ほんとに? 死んじゃった? 殺された?
「柊を助けたって、どうやって?」
「クチナワに許されたから出してやるって俺が閉じ込められていた箱に来てくれたんだ。それで、鍵の小屋から箱に上げてくれた」
「み、み、御国は来ようと思えばここに来られたはず! あそこに蛇はいないから!」
「そうだね。来られないことはなかったと思うけど」
「じゃあ、じゃああんたはほんとに許されたんだ!」
「なんで? 許される理由がないよ」
「クチナワの心変わり!」
「そんなの、あり得る?」
「うるさい! うるさい! じゃあなんでお前は大人しく檻から出たんだ! なんで御国の言葉を信じたんだ! わかってるなら! なんで!」
「我が身が可愛かったんだろうね」
無表情で柊が言う。稲様はそんな柊を切なげな表情で見ている。俺にはそれも気に入らなかった。
「お前には稲様がいる! 凌平さんだってお前を助けるために動いてた! 今は忘れてるけど。それなのに! それなのに!」
何を言いたいのかは自分でもわからなかった。わからないが、とにかく柊に関わる全てのことが許せなかった。みんなから大切にされているのに、ひとりぼっちの御国に助けてもらったんだ。
――青は俺がもしいなくなったりしたら喜ぶ?
だけど御国をひとりぼっちにしていたのは俺も同じ。今更思い出しもしなかった御国の言葉が蘇ってきた。適当に答えたからなんて言ったのかは覚えていないが、ろくな答えをあげていないはずだ。
「ごめんね」柊が謝る。
「謝るのは俺にじゃない。……わかってる。わかってる。御国が勝手にやったことだから、柊が謝らなきゃいけない人は居ないってのもわかってる。わかってるんだ……」
俺は柊と稲様に背を向け、帰ろうとした。久納に使っていいと言われた部屋。少し広いから、箱に部屋のない御国が来たら自慢した後で使わせてやろうと思っていたのに。
御国は死んだ。生きていたら奇跡だろう。どうかクチナワが御国を許していますように。幽霊でも腐ってても良いから、またいつか御国に会えますように。
仕方のない事だけど、何を思ったって今失われた俺の感情が動くことはなかった。
「本当に、死んだのか?」
「え?」
稲様の疑問の声にとぼとぼと進めていた足を止めて体ごと振り向くと、稲様が腕を組んでいた。彼の隣にいる柊もさっきまでの無表情を崩し、驚いたように稲様を見ている。何を馬鹿げたことを言い出すんだ、と彼の表情は物語っている。
「実際に確認したわけじゃねえんだろ。クチナワが御国を殺すとは思えねえ。白蛇がああなって、クチナワには御国しか仲間がいないはずだしな」
「み、御国はただの掃除夫だ。クチナワは御国に優しくない! いつも御国はびびってた! 優しかったら怯えない!」
「まあいいや。面倒くせえから、調べてみようぜ」
稲様はそう言うと俺を追い越し、クラヤミ廊下を進んで行った。柊はわずかな時間迷い、稲様の背中を追う。
俺は怖かった。稲様も柊も色小屋のことをわかっていないのだ。柊は見世物になっていたから外のことを知らない。色小屋のやつらは話が通じないやつばかりだし、箱に少しだけある人間味のある情なんてもの、全くと言っていいほどない。
皆クチナワを、そして彼の後ろにいる白蛇様を今でも恐れているからなんとか秩序が保たれているだけで、普通ならヘマをすれば殺される。本当なら御国は久納の凌平を色小屋に連れて行った時点で殺されていた。
そこで奇跡的に許されたけれど、柊を助けたことが本当なら今御国の地位は地の底だ。水の中をただただ漂っているプランクトンくらいなんとも思われず殺される。
「ま、待って!」
御国がどうなったか知るのは恐い。だけど、事実を知らずに今を嘆くほうが苦しい。俺は慌てて二人を追った。