早寝記録

万事休す!


 一抹の不安はあった。先程のことがあり、果たして凌平は掃除に来るのか、と。もし凌平が現れなかったら俺達が立てた作戦は水の泡。しかし、それはただの杞憂だったようで、凌平はちゃんと定刻通りにやってきた。やはり、さっき久納の部屋で見た時よりも意識がはっきりしているように見える。そして、どこかばばつが悪そうにおれから目を逸らしている。
「凌平さんめ! のこのことやって来たな! 待ってました! 久納に閉じ込められてたらどうしようと思ってた!」
「掃除は元団長からの命令だから。さあ。さっさとやろうか」
 凌平は体全体で拒絶を表していた。こうされてしまうともうどうしようもない。もし御国がまだ生きているならば、御国に残された時間は少ない。だからどうにかして凌平との距離を詰めなければと、焦る気持ちばかりが育っていく。
 凌平に話しかけられないまま、もうすぐ掃除が終了してしまう所まで来た。どうしようどうしようと思いながら動かす手は雑になり、普段よりも掃き残し等が目立つ。どうしてこんな状態で火野兄弟の箱なんかに入ってしまったんだろう。彼らの箱は他よりも汚れているのに。掃除係を外されても困るから、気持ちを切り替えて、営業が始まる前にもう一度来よう。もしかしたら彼らも御国探しに知恵を貸してくれるかもしれない。火野兄弟は人間には優しいから。
 肩が落ちる。手にしていたモップをバケツの中に突っ込んで、まだ煤汚れが目立つ床に座り込む。少しだけ休んでから次の箱に向かおう。
「青」
 休もうと座った瞬間凌平が入ってきて慌てて立ち上がる。勝手に休んでいた所を見つかり心臓がどきどきした。
「い、今サボり始めた所でっ、ごめんなさい!」
「いいよ別に。おれもなんか今日掃除の調子良くねえし、また営業が始まる前に来る」
「あ、お、おれも同じこと思ってた……」
「やっぱり?」
 凌平が苦笑し、壁に背を付けて座った。俺もその場に座り込む。どうして来たのだろう。聞いても良いだろうか。こういう場合、人間的にはどういう振る舞いをすべきなんだろう。聞けないまま、時が流れていく。
「おれ、協力できない」
 溜息を吐き、凌平が呟く。何に対しての協力かはすぐにわかった。
「やっぱり、久納がいるから? それとも、御国なんか知らないから?」
 協力できないと言われても不思議と凌平を罵る気持ちは湧いてこない。俺は自分でも意外なほど穏やかな気持ちで質問していた。
「久納の部屋にいると、何も考えられないから。いなきゃいいじゃんって思うかもしれないけど、もうおれの帰る場所はあそこしかないんだ」
「……柊はいつでも迎え入れてくれるよ? 凌平さんの記憶がなくても」
「おれは久納の所に帰りたいんだよ。……柊とのことも忘れてるから、思い出したらまた変わるのかもしれないけど、久納の所に帰りたいと少しでも思っているうちは、おれは何も思い出せない。あのお香がかおる部屋に戻っちゃう」
 凌平の表情は、一般的には笑顔と分類されるものだったが、なんとなく寂しい表情に思えた。だけど寂しさの中にしっかりとあるのは久納への好意だ。おそらく「今の」凌平は俺達に協力したいと思ってくれている。だけど、その気持ちを覆い隠すほど強い久納への想いがあるのだ。こいつが来てからまだ数ヶ月しか経っていないけど、時間なんか関係ないほど二人の間に何かが生まれたのだろう。でなければ、あの人間嫌いの久納が人を自らの手で住人にするはずがない。
 俺に入り込む隙はなく、何かを依頼できる資格もない。これだけはわかった。
 食い下がることなどできるわけもなく、営業前にまた掃除をする約束を交わし、火野兄弟の箱に凌平を残して外に出た。