早寝記録

センチメンタル・オレ!

 俺はそのまま柊の部屋へ向かった。朝ではあったが、何時だとしても彼らが起きているか寝ているかはわからない。柊が見世物だという話もないから、もしかしたら今の時間起きて活動しているかもしれない。それに、稲様は自分たちはひきこもっていると言っていた。だとしたら部屋にいる可能性は高い。
 俺は焦っていた。色小屋に通じる階段を睨むだけの毎日が長すぎた。もっと早く柊に会えていれば良かった。なんとなく嫌な予感はしていたから、その予感を信じてもっともっと早くに行動を起こしたら良かった。けれどいくらあの時ああしておけばよかったなんて考えても無駄なのだ。俺が無駄にした時間が有益になることは二度とない。だから、少しでも過去を振り返る時間を少なくして前に進むんだ。
 無駄に浪費した時間を取り返すように俺は柊の部屋へ急いだ。
 クラヤミ6号の扉を叩く。青です、入れて! とお行儀よく挨拶すると、入ってこいという稲様の声がした。遠慮なくドアを開けて柊の部屋に入る。あれ? 狭い部屋を見回しても、そこにいるのは狐の神様ただひとり。
「柊は?」
「用事。適当な頃帰ってくるよ。で、凌平はちゃんと来たのか?」
「うん、聞いて!」逸る気持ちを抑えつつ、布団の上に座っている稲様の正面に滑り込むようにして座る。
「凌平さん来たよ! でも協力できないって言われた……。それで、火野兄弟に知恵を借りに行ったんだけど、火野兄弟と凌平さんのとこに行って、風に御国の噂を聞いたんだ! 風、凌平さんと仲が良いから教えてくれたんだけど御国が井戸に落ちたって噂が流れてる。信憑性は微妙だけど、やっぱり行方不明っていうのは本当だった! ……俺の説明、わかる?」
 勢いだけで全然上手に話せなかった。まあ、考える時間があっても俺はバカだからうまく説明できないだろうけれど。
「わかるよ。要するに、御国は井戸……白蛇様の井戸に落ちたかもしれないんだろ」
「おお! 稲様すごいです! 頭良い!」
「初めて言われたそんなこと」
 稲様の耳がぴんと立つ。いつもは表に出ていないしっぽが突如現れ、左右に揺れた。しかししっぽはすぐに消え、ぴんと張った耳は垂れ下がる。
「でもさー、井戸に落ちたんなら、御国は」
「みなまで言わないで!」
 叫び、稲様の言葉を遮る。
「俺は実際に御国を見るまで予想しないことにしたんだ! もしかしたらもしかしたらって考えてる時間もったいない!」
 稲様がわずかに微笑む。バカなことを言うバカな蛙だと思われたかもしれないが、それでも俺はまだ御国が元気だと信じたかった。だけどどんな予想も今はただ邪魔なだけだ。
「井戸には、白蛇様がいる」
「え? う、うん。知ってる」
 静かに稲様が話し始める。今更、何当たり前のことを言っているんだろう。
「弱ってるんだ。今もまだ、クチナワとともに色小屋では恐れられているんだって?」
「うん。色の奴らが大人しくしてるのは白蛇様が怖いからだよ。好き勝手したら殺されるってみんな思ってる」
「実際はもう力なんてないんだ。井戸に落ちる人間とか異形を力に変えて生きてる状態。おれが筒に入れられる前から」
 稲様の話はにわかには信じがたいものだった。基本的に遊び好きで残虐な色小屋の異形たちが大人しくしているのは白蛇様が恐ろしいからなのだ。しばらく白蛇様の姿が見えないことをみな理解しているが、それでも白蛇様の後ろ盾があるクチナワをみな恐れて好き勝手な振る舞いは避けている。その白蛇様が力をなくしているだって? だとしたら、今まで俺たちは何を恐れていたのか。力をなくした蛇の神様を恐れお行儀良くしているほど色小屋の住人達は良い子じゃない。クチナワ単体に色小屋の異形たちを従える力はない。
 稲様の話が本当だとしたら色小屋の秩序は白蛇様の幻影に支えられ保たれているのだ。
「多分お前はまだ生まれて間もない異形だから言っておくが、人とどんな情を交わしたとしても、『たかが人間一匹だ』と思えなければ、この先生きて行けねえぞ」
「……柊が死んでも、稲様はたかが人間一匹って思うの?」
 俺の生意気とも思える問いに、稲様は不敵な笑みとともに答えてくれる。
「柊は俺が人間たちの言うところの『イギョウ』にしたんだ。ありったけの呪いを込めて。この意味わかるか?」
「……呪い?」
「運命共同体ってやつだよ。どんな瀕死の状況でも命を分け合って、分け合うものがなくなる時はともに死ぬことになる。あいつは知らねえが。俺が前に白蛇様とやり合って、筒に入れられても生きていたのは柊のおかげだ。あいつがいなければ負けた時点で死んでいた」
「それが、呪い?」
「ああ。おれから逃げられない。可哀想だよ。俺のせいで孤立したから」と、稲様は満足げに笑った。俺は考える。人が当たり前に持つ情と、異形の持つ執着は相容れるものなのだろうか。