早寝記録

人形師愉快!!

 時間が過ぎた。御国の行方は分からないが、井戸に落ちたという可能性が浮上した。しかしそれから進まない。井戸に落ちた御国を確認する術が今のところ『自殺』しかないから。御国が井戸に落ちたなら彼の生死は井戸の底ではっきりするだろうが、俺が井戸に落ちたらぱくりと白蛇様に食べられてしまう。しかも、御国が井戸に落ちたという証拠はないのだ。もし御国がほかの場所にいたらただの死に損になる。
「どうしよう……」
 暗い気分を少しでも打破したくて声に出したものの、それは稲様を唸らせるだけで終わった。時刻を確認すると、朝に来たはずなのにもう昼を回っていた。その時、ドアが開く音がした。ドアのほうを向くと、巫女装束に身を包み、狐面を装着した柊がいた。
「青、来てたんだ」
「うん。お邪魔してた」
「暗いね。……凌平は来たの?」
「うん。協力できないって言いつつも、ちょっと協力してくれたよ。風に御国の噂を聞いてくれたんだ。……御国、井戸に落ちたかも」
「……そっか」
 柊が狐面を外す。声の暗いトーンで想像していたよりも彼の表情は穏やかだ。
「稲様も考えてたんだ? なんか、頭から煙出そうだけど」
「だって、もう考え付かねえよ。井戸に落ちたってことが確実だったらまだ考えようもあるけど、確かめるためにあそこに落ちるのは自殺行為だろ。多分理性保てねえほど弱ってるから、殺される」
「ち、力はもうないんじゃないの?」
「理性ないやつは死にかけてても厄介だ」
「そうだね。理性がないってことは、例えば体がちぎれてもわからずに全力で来るから」
 柊が巫女装束を脱ぐ。箪笥から、彼が好んで着ている楽ちんな服を取り出している。俺は気づいた時にはもう着物を着ていたからわからないが、御国は着物よりもずっとずっと動きやすいし体も楽だと言っていた。着せてもらえる機会はあったものの、反抗心が邪魔して一回着せて! と頼むことができなかった。
「あ。俺、風の他の情報通知ってる」
 突然、柊が声を上げた。
「情報通?」
「うん。なんかいつも急に現れる変質者みたいなやつ」
 思いつかない。いつも急に現れる変質者? 稲様は思い当たるのか、眉をしかめた。「誰?」と尋ねる。俺も知っているやつだろうか。柊は一呼吸おいて口を開いた。
「知ってるかな。人形師の愉快――」
「呼んだかい?」
 柊が名を出した瞬間、どこからともなくそいつは現れた。どこからともなく、というかドアからだが、名前を言った瞬間なぜ現れることができるのだろう。怖い! けれど俺はそいつを見たことがあった。和風の見世物小屋には似合わない、道化師の格好をしたおかしな男。
「うわ。お前、いつも急に来るな。驚く」
 稲様が思いっきり顔をしかめて体を引く。
「オレの人形のアンテナが蜘蛛の巣のごとくアミアミ這ってますので~」くふふふふ、と愉快が笑う。
「でーもー、ただひとつ! そこの君!」
 愉快に指を突きつけられた柊がびくりと体を揺らした。だけど慣れているのか稲様ほど驚いている様子はなく、ただただ迷惑そうだ。そんな彼らの態度なんておかまいなしに愉快が陽気に続ける。
「いっくらアミアミしててもねえ、君の隠れ家だっけは見つけられない。ほらほら、いつも言ってるじゃん。オレのダーリンいる所」
「隠してないし、あんたは元団長にたどり着くのを許されてないだけ」
「まーじーでー? ふふ。じゃあ趣向を変えよう。一つ言うこと聞いてあげるから、灯のレプリカ下さいな。君たち困ってるんでしょ~。オレならきっと何かができる。限られてるけど有り難いこと。オレにしかできない素敵な工作」
 愉快は柊だけを見ていた。見ている、というか最早凝視。穴が空くほどという言葉通り、この調子で見つめられ続けたらきっと柊に穴が空く。
「俺たち、御国を探してるんだ。生きているなら助けたいと思ってる。協力して」
「御国? ミクニ、ミクニシュン?」
「え?」
「御国ねえ……ん~、おっ。大丈夫大丈夫。灯をくれたら御国の居場所は教えれる」
 愉快がにやりと笑う。
「灯を用意出来たらまた呼んで。網の目辿ってまた来るから」
 そう言って愉快が去っていく。夢のようなやつだ。意味が分からない、彼がここにいて話していたことにまるで現実感がない。あんなに話している所を初めて見たが、想像以上に変だった。それなのに柊も稲様も嫌な顔はしつつも口を挟まなかったということは、愉快が御国の情報がわかるというのは本当のことなのだろう。
「灯だってさ。柊、どうする?」
 稲様が尋ねる。灯というのは柊と一緒に来て、人間とイギョウたちのために奔走し死んでいった少年だ。見世物時代は確かただ赤く目が光るだけの見世物だったと記憶している。だけど灯は死んだ。イギョウにもならず、死してなおその姿を留める幽霊とも違い、肉体と精神の死が同時に訪れたのだ。御国がよく羨ましがっていた。人間のまま、あそこまで綺麗に死ねた者は初めて見たから。イギョウにされてぼろぼろに擦り切れて死んでいくやつが多い中、灯は本当に綺麗に死んだ。
「灯って死んだんじゃないの? お化けにも、イギョウにもなってないよね?」
「……レプリカはある」
「へ? レプリカ?」
 聞き返すと、柊は大きく頷いた。
「元団長が灯の目を気に入っていたんだ。あの赤が美しいって。死んだけど、灯の体を使って愉快にレプリカを作らせて奥に仕舞ってる。本当は非公開だけど、俺は灯と仲が良かったから特別に灯が仕舞われてる箱に辿り着けるようにしてくれた」
「じゃあ、おれなんかは辿り着くことすらできないの?」
「どうだろうね。凌平は普通に行けたよ。稲様も行けるから、多分愉快と……久納のほうの団長だけが行けないのかもしれない」
「久納も行けないの?」
 意外だった。
「団長は灯を破棄したいと思ってるからね。元団長はそれを知ってるから、辿り着けないようにしてる」
「破棄したいって、どうして?」と質問を重ねる。久納は昔から人にもその時起きていることにも興味がなかったはずだ。柊は少し考える素振りを見せ、言葉を選びながら答え始めた。
「灯が来たせいで団長の大事にしてたものが全部壊れたから、だと思うよ」
「全部壊れた?」
「団長が好きだった小さな見世物小屋も、稲様も」
「……あと、団長……柊の言う元団長もだな。色小屋みたいなところ作るやつじゃなかった。人間を攫ってくるやつでもなかった。ちょっと不思議な異形を集めて人間の驚く顔が見たいから白蛇様と見世物小屋を始めたはずなのに」
「灯は元団長にとって邪魔だっただろうけど、元団長は灯の目をとても気に入ってたんだ。だからレプリカを作らせた。愉快は、なぜかはわからないけど自分が頼まれて作った灯のレプリカを欲しがってる」
 なんとなくわかった。元団長が灯の目を気に入っていたから、死んだ灯のレプリカを愉快に作らせて仕舞ってる。それを御国の居場所と引き換えに愉快が欲しがっているのだ。でも、でも、そうすると、まさか――
「ね、ねえ、ということは、もし愉快にレプリカを渡したら、元団長が怒る感じ? そうなの? 俺、小さくて愛らしい蛙だから、踏み潰されちゃう?」
「でかくて強い銀狐ですら踏みつぶされると思うぜ」
「非力なイギョウは言わずもがな」
「……愉快に灯をやるのは諦めたほうが良いんじゃねえか。団長にはおれも強く出れない」
 沈黙が落ちる。灯を連れ出せるのはおそらく柊だけ。だけどその結果わかるのは御国の居場所だ。元団長を敵に回してまで柊が御国の居場所を探る理由があるだろうか。俺には答えがわかってる。そんなものはどこにもない。久納のところに御国の居場所を突き止めてほしいと頼みに行った時だって、柊は稲様に引っ張られるようにしてきたんだ。こいつが自ら御国を助けたいなどと言ったことはないし、今まで一生懸命すぎて忘れていたけど、こいつは御国は自分を助けてもう死んでるって言っていたんだ。どうして俺は柊が当たり前に協力してくれると思い込んでいたのだろう。
 愉快に頼むという方法はもう諦めるしかないのだろうか。稲様もやめろって言ってる。俯いて考え込んでいた俺は、柊がじっと俺を見つめていることに気づいていなかった。
 ぎし、と床が鳴る音がして顔を上げる。着替え終わり、座ったばかりの柊が立ち上がっていた。
「青、もう戻りなよ。灯を出すにしても出さないにしても、俺今ちょっと着替えに来ただけでまたすぐ行かなきゃいけないから今日は付き合えないよ」
「つ、付き合えないよって、え? 柊付き合ってくれる気? え? なんで?」
 こんなことを言うと怒らせてもう手伝ってくれないかもしれないという気持ちは、溢れ出る疑問によって覆われた。
「人間のこと俺わかんない。灯を出したら柊本当に潰される。なんで協力してくれるの?」
 御国も、クチナワが閉じ込めた柊を助けた。御国にはなんの得も義理もないのに柊を助けたのだ。その結果あいつは行方不明。人間のジコギセイ精神が俺には不思議だ。多くの異形は負ける確率が高い勝負にはそもそも挑まない。力の差を十分に吟味して勝てそうだったら向かっていくし、本能的に相手との力量がわかるものが多い。俺も自分より強い相手と対峙したり、場合によっては気配を察知したりするだけで逃げるべき時がわかる。
「時間ないから、もう行くよ」
 俺の問いには何も答えず、柊は部屋から出て行った。彼の脱いだ巫女装束は畳まれもせず部屋の隅に投げ捨てられていたが、一緒に落とされたはずの面だけがその場から消えていた。