心の剣山地獄!
柊の部屋に留まる理由がもうなく、稲様にお礼を言って自室へと戻る。凌平と掃除を再開するまでにはまだかなりあったが、眠る気にもなれない。だけど起きていたって俺に出来ることはないように思え、布団を敷いて人型のままもぐりこんだ。初めはひんやりしていた布団が、俺の体温ですぐに温かくなる。目を瞑ると、時間がないと焦る心とは裏腹に全身が布団と一体化するような心地になり、いつの間にか意識が薄れていた。
「青」
完全に寝入る手前で部屋に誰かが入ってくる気配がし、重い瞼をこじ開けると巫女装束姿の柊の姿が見えた。
「柊……」
目をこすり布団から這い出ると、暗い廊下にもう一つの人影がある。その人は闇と一体化していた。
「凌平さん?」
なぜ二人が俺の部屋に、という疑問が沸いたが直前まで夢の世界に片足を引っ張られていた俺には上手く聞くことができない。
「入って」
「うん。ごめん。もう入ってる」
目をこすり終わり見ると、すでに扉は閉められ柊と凌平が並んで座っていた。俺も二人に倣い正座をする。柊は神妙な、凌平はどこか居辛そうな表情に見える。少しの無言を挟み、柊が切り出した。
「俺たち、今から灯の所に行くよ。それで、愉快に灯をあげる」
室内は静かで、俺の心臓のどきどきだけがうるさく感じる。心臓の音のせいで、柊の言葉の意味を理解するのが遅れた。しかし、何度か柊の言葉を心の中で反芻し、やっと意味が飲み込める。
「いいいいいいいいいいいのっ? 柊、良いのっ?」
驚いた。俺は盛大に驚いた。考えても考えても柊が危険な目に遭ってまで御国を助ける理由が見当たらない。人間は異形よりもずっとずっと天邪鬼だから、御国は死んだね、と無表情で言える裏で、助けたいという感情が行動に現れるほど溢れ出たのだろうか。
「良いよ。やらなきゃ前に進めないんでしょ。稲様には内緒ね」
「ほー! なんかっ。俺目の前が明るくなった気持ち!」
「まだ明るくなるのは早いよ。愉快が調べられるのは御国の行方だけ。居場所がわかった後のことは手伝ってもらえない」
「でも、今は噂だけでわからないから、居場所がわかるだけでもすごい有り難い! して、凌平さんはどうしているの?」
それでも御国の安否は不明だ。前に進めた嬉しさもすぐにしぼむというもの。それに、ここには浮かない顔をした凌平もいる。協力できないと言っていたのに、どうしてここにいるのだろう。
「……おれなら色小屋に行ける」
凌平の答えに耳を疑う。
「ん、んん? なんか俺、よく聞こえなかった」
耳をほじくってみせると、柊があきれたようにため息を吐いた。
「なんか俺も知らないけどさあ、凌平いきなりやる気になっちゃって。御国がもし色小屋にいたら自分が行くって聞かないんだよ。俺はただ、凌平に今後の元団長の動向を教えてもらおうと思って部屋を訪ねただけなのに。団長はよく元団長に付き合って外に行ってるから、知ってるかと思って」
「ちょうどさっき元団長が団長を連れて外の世界に行ったから、チャンスは今だけなんだ。いろんなことをいっぺんに終わらせるチャンスだ」
「で、でも信じられません! なんで凌平さん、いきなりこんな……。わかんない!」
凌平から久納に対する思いを聞いたのはつい数時間前の話だ。協力できないと聞いたのも同じ。凌平は曲がりなりにも久納の唯一の仲間なのだから、もしかしたら俺たちを陥れようとしているのかも! 久納は凌平を誑かそうとしている俺がきっと邪魔だ。ちっぽけな蛙の異形だと歯牙にもかけないと高を括っていたが、昨日俺が凌平の過去の記憶をこじ開けたことでもしも凌平の心に何か変化が生まれたとしたら、蛙は小さな存在ながらも駆除すべき害虫だと思われるかも。だとしたら久納は凌平を洗脳して、俺を亡き者にしようとしてくるかもしれない! 凌平が俺に急に協力的になったのもきっとそのせいだ! 俺は身構えた。何を言われても、全身を人を貫く剣山地獄に変えて、ガードするのだ!
「おれには、忘れたくない奴がいたらしい」
俺の剣山に凌平の言葉が突き刺さった。大丈夫。まだ全然心に響かない!
「そうだ! 凌平さんには、思い出して泣くくらい忘れたくない友達がいた!」
でも、それがどうした! 俺は強気だった。負けないぞ、絆されたら御国が遠のく、と本気で思っていた。
「……泣く?」
「そう! 昨日凌平さん泣いてたもん! 友達と祭りに来て、はぐれたって言った時、ぽろって涙が出たのを俺は見たぞ! でも、お前は一晩経ったらすっきり忘れた! 大事な気持ちを持って久納の部屋に戻ったはずなのに、またお香の中に飛び込んだとはそういうことだ! 久納より、泣くほど大事な友達が大事じゃなかったんだ!」
剣山剣山。心も体もとげとげにするのだ!
「青、何急に興奮してるの。凌平は普通に協力を――」
「良いよ、柊」
まさか! 柊も凌平の味方なのか! 凌平に向けていた心の剣山を柊にまで拡大する。御国。御国に会いたい。さみしい。なんか、よくわからないけど、いきなりさみしくなった。小さな蛙の姿になって御国の頭でぬくぬくしたい。
「おれ、青がどう思ってもいい。おれと行動したくないなら、一人で動く」
「ちょっと、凌平」
「おばか!」
ありえない! 柊は凌平につくにきまってる。そうしたら俺のほうが一人だ。俺一匹では灯を愉快にあげることも、色小屋に行くこともできない!
「ぐぬぬ!」
何も言えない! 俺は心を剣山地獄にしたまま、凌平と柊についていくしかないのか。
「ぐぬぬぬぬ!」
「なんかすごい葛藤してるね……」
「早く連れて行こう。時間ねえじゃん。御国、おれを色のあんたのとこに連れてったりもしてたろ。大分やばいでしょ」
何やら俺が一生懸命溢れ出る野生を抑え込もうとしているうちに、興味深い会話が繰り広げられている。
「ていうか、覚えてるの? 御国のことすら忘れてたんじゃないの? 俺についてくるって言ったときからあれ? って思ってたんだけどさ」
「思い出した。久納が団長と出て行ったから、おれ久納の部屋の香を風の何かに隠してもらったんだ。匂いが分からないくらい風で拡散できるみたいだから。部屋から香のにおいがすっかり消えたら、ここに来てからのことは思い出せたよ。……御国のこともね」
「嘘だ!」
俺の野生がはじける!
「御国と凌平さんはあんま接点なかった! 思い出したって命を賭けてまで助けようなんて思わない! 俺は、御国のことを思い出してくれたらちょっとは協力してくれると思ったけど、危ない目に遭ってまで助けてくれるなんて期待してなかった! 本当に思い出したなら助けようとは思わない!」
「それはおれの勝手だろ」
生意気なことを言って凌平が立ち上がる。
「お前はおれと来るの? 来ないの? どっち?」
後を追って柊も立ち上がる。彼は凌平とは違って困ったように俺を見ている。
「う、うー! つ、ついていくよ! それしかないもの……」
俺も立ち上がる。どうしようもなく情けない気持ちだった。色小屋への階段を通れたらひとりで御国を探しに行けたのに……という思いと、色小屋に行ったってひとりでは何もできないだろうという思いが俺を苦しめる。俺は俺の為に御国を探しているが、実際には何も役に立っていないのだ。
それでも俺は、何も言わず部屋から出て行こうとする凌平と柊を追いかけた。