灯!
暗い部屋に、一つだけ見世物の箱が置かれている。柊と凌平、稲様と人間姿の俺が入っただけで狭いと感じるくらいの部屋。初めて来た、死んだ灯がいる所は、太陽のような灯にはそぐわない暗い雰囲気の場所だった。音はない。
「どうやって出すんだよ」
稲様がぽつりと疑問を口にする。俺も同じ疑問を抱いていた。元団長が灯をここに『仕舞った』のだとしたら、容易に出すことはできないのではないか。
「『灯』を作ったのが誰か忘れたの?」
感情の見えないつもの笑みが柊の顔に張り付いている。柊はそのまま箱に近づき、覗き穴から中を見た。口元だけで笑っていた彼の顔に人間らしさが宿る。目は細められ、穏やかな、優しい表情に変わった。
「灯」
柊が大事な名前を口にする。
「出る時間だよ。あんたを作った人形師の愉快の所に行くんだ。……そう、いい子だね。……さあ、立ち上がって……」
覗き穴は一つだけ。唯一の覗き穴の前には柊が立ち、優しく灯に命令している。話を聞く限りでは、柊の命令に灯が従っているようだ。俺たちは柊の声を聴きながら、ただどのような展開になるのかを待つしかない。
「中から出られんの?」
俺の隣に立っていた凌平が俺に身を寄せて囁くように言った。彼の言う通り、箱には出入口になりそうな区切りが見当たらない。
しかしどういうことか、俺が凌平に話す間もなく何もない場所にドア様の区切りが出来、中から灯が出てきたのだ。彼は普通に箱の中から姿を現した。その顔にかつてのような表情はなく、まるで人形だ。暗闇の中赤く光る眼だけが生気を放っていた。
「展示をしたのも愉快だよ。元団長は誰よりも力があるから、細工とかに気づいても口出ししないんだ。そもそも、俺がいないとここに辿り着けないし、愉快は俺がいたって来られない。俺たちが万が一何か仕組んでやろうとしたってすぐに制圧できる。それが裏目に出たよね」
灯を隣に従えて、柊が満足げに言うが、俺はますます不安になる。柊はおそらく俺が思っているよりもずっとずっと危険な橋を渡っている。ここに辿り着けるということは、団長と何か約束をしたのではないか。そして今柊はその約束を反故にしている。団長が彼の行動に気づいた瞬間が命が尽きる時かもしれない。柊が受けた傷が多ければ、柊と運命共同体である稲様も死んでしまうだろう。
そして柊はそのことを知らない。でも、仮に今回のことで柊と稲様が命を落とすことになっても柊に稲様の死を知る術はない。
入り口の近くに控えている稲様を見る。彼は無言で首を横に振った。
「団長と久納はどこに行ったんだ? いつ頃帰って来んの」
ため息交じりに稲様が凌平に尋ねた。
「……2,3日部屋を開けるよ、とは言ってたけど」
自信ない声色で凌平は答えた。
「気まぐれな奴らだからわかんねえけど、今日帰ってくることはなさそうだな。まあ、急いだ方が良いのは同じだけどよ」
行くぞ、と言ってクラヤミ廊下に出た稲様を追う。後ろからはちゃんと灯も付いて来ていた。
稲様が先頭を行く。彼は一旦見世物の箱があるスペースに出てまた別の廊下へと出る。初めて通る道だった。もちろん自然の光なんて存在しないから暗くはあるのだが、廊下の両端には天井から豆電球が狭い感覚で吊るされており、微妙な明るさを生み出している。そしてクラヤミ廊下と何よりも違うのは、どこからか音楽が流れている点だ。静寂のクラヤミ廊下には考えられない明るい曲調だった。和風のものではない。教会とかで流れるような、音が幾重にも重なった音楽。明るいけれど不気味なもの。ここまで考えてはっとする。俺はただの蛙の異形なのに、どうして『教会』なんてものを知っているんだろう。頭の中にしっかりと浮かぶ西洋の建物。長短さまざまなパイプが立ち並ぶ荘厳な雰囲気の楽器……。やはり、俺はかつて人間だったのだろうか。もしそうだとしたら、いつか記憶が少しだけでも甦るだろうか。人であった記憶を思い出せたら、もしかしたら御国にかけるべき言葉が分かるかもしれない。
(……御国って、やっぱり俺のこと嫌いなのかなあ)
急に不安になり、蛙の姿になって凌平の頭の上に飛び乗る。
「わっ」
凌平が声を上げたが、振り払うことも文句を言うこともなかった。御国の心地よい頭の上とは何かが違ったが、あまり考えないようにする。
豆電球に飾り立てられた道を進むことわずか数分。稲様が一つのドアの前で止まった。そのドア付近にはクラヤミ廊下によくあるような看板も文字も何もない。しかし、ここが愉快の部屋なのだろう。派手な道化師の格好をしているくせに地味なドアだ。その前に、面を付けた柊、少し緊張しているような凌平、そして彼の頭に乗っている俺が並ぶ。灯は気配もなく少し離れたところに立っていた。
「愉快」と稲様がドアの向こうに声をかけるとドアがすぐに開き、普段通りのふざけた格好と笑みを浮かべた愉快に出迎えられた。