心
どうして逃げることが出来ない人がいるのだろう。
柊は十分よくやってくれた。彼がいなければ御国が俺と別れた後どうなったか絶対にわからなかったのだから。俺は、柊はこれ以上俺に協力する必要がないと思う。愉快のように稲様とこの見世物小屋を出て、穏やかな場所を探して生きていけばいいのに。稲様がいるならば外の世界でも平気なはずだ。外には恐ろしい異形が蔓延っているから俺みたいな可愛くてちっぽけな雑魚はすぐに死んでしまうが、彼らは違う。もう俺に付き合わなくて良い。そして、それは凌平にも言える。そもそも彼に期待していたのは風の何かに噂を聞いてもらうことくらいだった。一緒に御国の所に行ってもらおうとか、そんな考えは持っていなかった。だって彼らと御国の親密度から行けば、身を危険に晒してまで助ける尺度にないから。
俺は御国と一番一緒にいたし、友達なんていう愉快な名前の関係じゃなかったけれど、御国がいなくなったら俺はひとりぼっちだ。柊に稲様がいるように、凌平に久納がいるように、俺には誰がいる? 一番親しいやつは異形も含めて御国だけ。散々からかってきたから嫌われているとは思うけれど、それで良い。御国が復活して、またからかえればそれでいいや。言いたい言葉はあるけれど、実際会うまでは忘れていよう。思い出したら気持ちが弱くなる。
俺は凌平の頭から飛び降り、人間の姿に戻ってわざと明るい声を出した。
「何暗くなってるの? 凌平さんも、稲様も! 柊は割といつも暗いけれどもー!」
陽気に言うが空気の重さはあまり変わらない。かろうじて稲様がその顔を上げてくれた。
「死んだな!」
そして明るく言ってくれた。やはり彼も異形の神様。気を遣ってくれたのだとは思うが、大事な方向性がずれている。
「いやいやいやいや! 井戸に飛び込んだくらいで御国が死にますかー? 死にませーん! ということで俺ちょっと井戸に行ってくる! みなさんは各々逃げて良いですよ」
はっとして柊が俺を見る。
「い、行けないじゃん! そもそも。俺なら色小屋に行ける――」
「現実的じゃないよ、柊。お前は箱の住人。しかもちょーっと前まで色小屋に閉じ込められたことみんな知ってるからさあ、井戸に辿り着く前に拉致監禁死亡確定ー」
軽く言ってやる。
「それより稲様と小屋から出なって。俺、柊に感謝してる。ありがと。お前のおかげで御国の居場所がわかった。罪の意識あったとは思うけどさ、もう償い終了だよ」
にこっと笑うと、何故か柊の顔が泣きそうに歪む。ちょっと前の俺だったら、人間はよくわからん、とそれ以上考えるのをやめていた。だけど、今はほんの少し人間の気持ちに寄り添おうと努力するようになった。もしかしたら柊は今の俺の言葉に気遣い……優しさを感じたのかもしれない。そして、俺も彼にもう悩んでほしくなくて、そのために言葉を考えて、口に出したのかも。
「それに、俺は色に行けなくても井戸には行ける。柊、井戸に人を落としてるっていったじゃん。そこから行くよ」
「……食べられる」
柊が呟く。
「俺は異形だから、大丈夫。飲み込まれても小さい蛙だから、消化される前に出てくる!」
明るく言ってやる。泣きそうな柊を支えるように稲様が彼の肩に手を添えたが、もう怒りは湧いてこない。逃げ切れればいいな、とちょっとあたたかい気持ちが湧いてくるだけ。
「でも、俺は……」
柊が言い淀む。本当に、どうして逃げることが出来ない人がいるのだろう。もっと自分に優しくなったら良いのに。でも『ニンゲンカンケイ』初心者の俺には上手に伝えられない。もう良いから逃げてと説得する方法もわからない。
沈黙を破ったのは、それまで黙っていた凌平だった。
「久納が帰ってくるまで待ってほしい」
「え?」
凌平が俺たちを真剣な表情で見回す。
「おれ、最近来たばかりで、過去にあったことも何も知らない。でも、みんなの話を聞いてるうちに、ぼんやりとだけど状況が見えてきた。……今井戸に行って、助けられる確率ってどのくらいだと思う?」
誰も何も言わなかった。
「井戸に行く井戸に行くって言ってるけど、行って、それからどうすんの? 白蛇様は弱ってるかもしれないけど、どんな状態かわかんないんでしょ。理性が飛んでるんなら、弱ってても関係ねえよ。なあ、青、どうするつもりだったんだ?」
凌平にじいっと見られたけれど、俺は答えられなかった。井戸に降りて、それから?
「柊は一回失敗してるんだろ。しかも稲様も巻き込んでる。御国に助けられたのと人間を落としてるっていう罪の意識で動いてんなら、一度落ち着いて考えないとまた誰かを巻き込んで死ぬんじゃねえの。あんたか別の誰かかはわかんねえけど」
柊がぎゅっと唇を引き結んだ。凌平が続ける。
「自分から忘れることを選んだおれなんて信用できないと思うけど、もし許されるなら久納が戻るまで待ってて。3人は小屋から離れて隠れててよ。風に使いを頼んでちゃんと呼ぶから。」
凌平が一旦息をついて再び口を開く。
「御国を想うなら、感情とかいったん捨てて、一番確率が高い方法を選ぶべきだ」
まっすぐに凌平が言い放つ。とりあえず御国の居場所はわかったが、どうやって助けるのかわからないのも事実。柊や凌平にこれ以上手伝わせるのも申し訳ないと思ったのも本当。御国を助けたいが、俺は御国が助かる最善の方法を考えることはしていない。じゃあ、御国はどうすれば助かるの? これを考えたって何も思い浮かばない。
「……凌平さんは、久納が帰ってきて何をするつもりなの?」
藁にもすがる思いで尋ねる。
「協力を仰ぐだけだよ。それだけ」
そういって凌平がふっと笑う。
「確かに、久納の協力を得られたら話はずっと現実的になる」
稲様が真面目な顔で頷くが、それは厳しい表情とも取れた。
「けど、久納が帰ってくるってことは団長も戻ってくるってことだ。……久納は団長に逆らえねえよ」
「もしそうならおれは二度とあんたらと会えなくなると思うから、その時は、まあ、ごめんね」
凌平が笑う。俺達には彼を止める言葉を持っていない。
――青は俺がもしいなくなったりしたら喜ぶ?
御国に会いたいな。
寂しかったと伝えたら、御国はなんて返してくれるだろう。