仲間
上下左右大小がぐちゃぐちゃな、おかしな道。クチナワを先頭に、おれたちは井戸の『側面』を歩いていた。筒のようなものの中だから歩きにくいが、速足のクチナワと、高下駄のくせになんなく彼についていく久納の後ろを御国となんとかついていく。
しばらく誰も声を発さなかった。井戸の中でクチナワに一緒に来いと言われた久納でさえ、一言言い返したくらいでクチナワの後に続いたし、御国も白蛇様のことを気にしつつも素直に従った。
白蛇様をひとりにして大丈夫なのか不安があるが、本人も、クチナワも一週間くらいだったら大丈夫だろうと言っていたから、おれたちはそれ以上何も言えなかったのだ。
しばらくして、久納が前を行くクチナワの隣に並んだ。
「で、どうするつもり?」
久納が面倒くさそうに尋ねる。
「もちろん、団長を探して白蛇に会ってくれと頼む」
クチナワは隣の久納に一瞬たりとも目を向けず、前だけを見ている。気のせいでなければ、彼はじんわりと汗ばんでいるようだ。青白いのに若干息が荒い。歩いているせいではなく、クチナワはやはり体調が悪いのだろう。
『あのままずっと客寄せの見世物でも良かったのか。生き地獄ではないか』
先ほどの久納の言葉を思い出す。おれたちが御国を探している間クチナワの姿はどこにもなかった。風の噂で色小屋が掃除もされずに荒れている状態だと聞いたが、彼は御国が消えてから『見世物』になっていたのか? でも、なんで?
「白蛇様も団長に会うことを望んでいるが、それは白蛇様の死期を早めるだけじゃないのか?」
「すでに白蛇の死を受け入れているお前がそれを言うのか」
「死んでほしいわけじゃないからね。俺は白蛇様も好きだ」
久納がため息を吐く。
「でも仕方ないじゃないか。白蛇様は自然と神になった団長とは違い、人に恐れられ無理やり神にされたんだ。祠がなくなれば必ず死はやって来る。足掻いても無駄だ」
「柊に客寄せを頼んだのはお前だろう。何を言っているんだ」
「諦めきれないのもわかってるつもりだからね」
久納が短く溜息をつく。
「けど、良いの? 蛇に戻して人間を食べさせたら、もっと生きられる。お前だって今まで白蛇様を死なせないために頑張っていただろう」
「……そうまでして生きていて欲しいと願うのは残される側のエゴだ。そこに白蛇の思いはない。……まあ、お前に語ることじゃない。忘れろ」
「あいにく、俺はここの誰よりも記憶力が良いよ。忘れたいこともすべて覚えている」
羨ましい限りだ、とクチナワが皮肉気に言う。意外なことに、二人は穏やかな空気の中で会話をしていた。
世の中には、善と悪が存在している。それは現実との狭間であるここでも同じだろう。だけど現実と非現実の境目が曖昧なように、善と悪の境目も曖昧だと思えた。
クチナワは人間を道具のように扱っていた。それは許されることではないとかつては思っていたが、ここには断罪する者がおらず、法なんてものももちろんない。人間よりもずっとずっと異形の数が多く、その異形たちは誰かを傷つけることや痛めつけること、殺すことを悪だと思っていないようだった。だとすればおれたち人間や元人間が持っていた常識をこの世界に押し付けることこそ「悪」ではないだろうか。
白蛇様はクチナワを拾って育てたといった。クチナワのことを語る時、目は輝き、表情は優しさを詰め込んだようなものだった。そして、白蛇様の抱擁を受け入れたクチナワ。彼は死が近い育ての親に対し、どんな気持ちを抱き彼の背に腕を回したのだろう。少なくとも、その時のクチナワは過去に何をしていたとしても、大切な人を一途に想うただの人間だった。
社会から放り出されると、善悪を測る秤はなくなり、個人の身勝手な尺度で物事を判断するようになる。この考えが人を捨てたから湧き上がるものなのかはわからない。だけどただひとつ言えることは、おれは人の善し悪しを判断する秤なんて持っていないということだ。
「それはそうと、今団長はどこにいる?」
クチナワの質問に、久納がさっきよりも深い溜息を吐く。
「稲見が筒からでたのを団長は知っていたからね。また余計なことをしていないか見に来たんだ」
「それで?」
「……稲見と柊をまた……ちょっとお仕置きしてから、愉快を探しに行くって。俺を置いて稲見探しに行ってるよ」
「稲見と柊? あいつらがまた何かしたのか? それに、なぜ愉快を探す必要がある」
「柊が愉快に灯を渡した。稲見も手伝ったようだよ。……おれの子鬼ちゃんもね」
クチナワが絶句する。久納にジト目を向けられて居心地の悪いおれの隣で、御国もまた驚きに声を失っていた。
「どういうことだ? 前から思っていたんだがあいつらは死にたいのか? 心中なら勝手にやってくれ……」
クチナワが額に手を当てて疲れたように呟いた。
「俺も狐の思考は読めない。同じ失敗を繰り返すのが趣味なのではないだろうか」
至極真面目な顔で久納が言う。
「ああ見えて今団長は切羽詰まっているようだからな。いくら稲見といっても最悪殺されるぞ」
「お前が箱にぶち込まれるくらいだからね。かなり苛々はしてる」
何を思い出しているのか、久納は苦々しい表情を隠そうともしていなかった。
「で、それなのになぜお前はここにいるんだ。いつもなら金魚の糞のごとく置いて行かれても団長を追っているだろ。しかも、稲見絡みだ」
「お前には関係ない」
わずかに空気が淀む。さっきまでの和やかな空気が消えた。
「……以前筒に入った稲見を柊に託して見世物にしたのだって、団長に良い顔をされなかったはずだ。お前はいつも稲見を庇うのに、今回は稲見を捨て、無事だと分かっているそれを助けに来たのだろう」
クチナワが意地悪く鼻で笑う。
「そんなに大切か? お前に人間味を感じたことはないんだけどな」
「無事かなんて目にするまではわからない」
「過保護だな。反吐が出る」
「白蛇様ほどではないよ。わがままに育てすぎた例が俺の隣にいるし」
バカにしたように言って、久納がふいとクチナワから顔をそむける。
「それにお前も大概だ」
「俺が? 貴様の目はどうなっている」
「色小屋にいて、あれだけ異形と喧嘩しながら人間でいるなんて、普通ならありえないね」
久納が御国を見た。それに釣られるようにクチナワの眼が一瞬だけ御国を捉える。
「運が良かったんだろう。それに、それはもう人ではない」
クチナワがすぐに前を向く。
「なんだかよくわからないものだ」
「お前と同じ、ただの蛇憑きだろう。自分を苦しめる蛇に守らせるなんて、どんな気分だい? 最低? 最悪? 蛇に借りが出来たからお前は絶対に良い死に方をしないね」
「初めから期待していない」
その後もふたりはなんやかんや言い合っていた。口論のようだが、不安を吹き飛ばすための戯れのようでもある。意味があるようでないふたりの会話に耳を傾けながら、ひたすらに足を動かしていると前方に小さな光が見えてきた。
井戸が終わる。