早寝記録

凌平

「団長……」
 誰かのつぶやきを聞きながら、足元を見て一瞬で体中が冷えた。おれの足元には、見覚えのある一本の竹筒が落ちている。それをわずかに震える手で拾い上げ、正面を向く。御国も久納も息をのんで彼――狐の神様を見つめていた。
「どうした? みな、化け物を見るような眼で見て。おかえりくらい言ってくれないのか?」
 元団長が口元に浮かべていた笑みをさらに濃くする。
「気配がなかったので、驚いただけですよ」
 久納が返す。
「そうか? それならいいが」
「……柊と稲見は、見つけられたようですね」
 久納はちらりとおれが手にしている筒を見ると、自然な笑みを美しい顔に浮かべた。
「ああ」
「閉じ込めただけですか?」
「さあ、どうなるかな。『いい子』だったら助かるだろう」
 元団長が意味深に笑う。久納の作り笑顔とは違いあまり良い笑顔ではない。懲らしめるというよりも、見放したという言葉が近いのかもしれない。ぎゅっと筒を握りしめる。
「クチナワ」
「はい」
「最近、白蛇が弱っているのだ。ほとんど気配も感じない。お前に原因がわかるか?」
「ついさっきまで箱に入っていた俺にはわかりませんよ」
「お前と……御国のおかげでせっかく人がたまったのになあ」
 クチナワが腰かけていた井戸から立ち上がり、ゆっくりと元団長に近づいていく。彼は久納より後方、御国の少し前で立ち止まった。
「では久納、お前は何か知っているか?」
「俺にもわかりません。しかし、時間をもらえたら」
「いや、いい。では凌平」
 元団長の視線がおれで止まる。彼の目は笑むように細められているが、月のような言いえぬ不気味さを覚えた。
「おれも――」
 わからない、と答えようとした時だった。
「質問を変えよう」
 元団長が声色を変える。
「灯はどこだ?」
「し、知りません」
「なぜいなくなったのか、お前は知っているはずだ」

 まるで、切り取られた、だけどどこまでも続く無限の空間に元団長とふたり閉じ込められたみたいだった。空気が刃となり心臓に突き刺さる。ふと背中に何かを感じはっとする。久納が隣に来ていた。そして、おれの背に手を当てている。
 久納を認めておれはようやく恐怖のせいで閉じ込められていた無限の空間から出られたことを知る。
 それでもなお言いようのない威圧感に答えを窮した。何を答えたらいいのかわからないし、そもそも頭が働かない。もう怖いとかそういう感覚ではないと思う。無理やり口をふさがれている感覚で声が出てこないのだ。
「あれは白蛇の器だ。それまでは壊してならぬと大事に取っておいたのに。まさか裏切られるとは」
「灯のことは知らないけど、白蛇様のこと、俺知ってます」
 情けないおれの代わりに口を挟んだのは、御国だった。彼はまっすぐに元団長を見つめている。また助けられてしまう、と焦った。舜がおれを助けると彼は不幸になるのに。
「ん……」
 急に激しい頭痛に襲われふらつく。その拍子に何かがおれの手から落ちた。地面を見ると、身に覚えのない竹筒が落ちている。
 またふらついた体を誰かに支えられ、泣きたくなった。おれは誰の役にも立てておらず、人のじゃまをしているだけだ。
 いつもそうだ。何もできないくせに、おれはいつも助けられる。この前は兄貴の友達に襲われそうだったところを助けてくれた。兄貴に見放されるのが怖くて反抗できないおれの代わりに、いつも舜が殴られる。
 離れたらよかったんだ。学校ではおれは平気な振りができるんだから、舜の前でも平気な振りはできたはず。
 おれのせいで舜はみんなから喧嘩ばかりしている不良だと思われていた。おれのせいで殴られていた。おれは否定できたし、舜を殴るなと声を上げる事だってできたのに、ただ甘えてひとりで勝手に落ち込んでいたのだ。
「御国……今はお前に聞いていない」
 頭がいたい。なぜ自分がここにいるかわからない。
「白蛇様はもう人を喰いたくないって言ってる。だから灯の道と暮れの道にある井戸に鍵をかけたんだ」
「お前には聞いていない」
 おれの近くで、舜が誰かと言い争っている。今こそ助ける時だ。出て行って、手をとって、逃げるべきだ。
「でも俺しか知らないことがある」
「言い方を変えよう」
 おかしな格好をして、頭に獣の耳を生やした男が舜を睨んでいる。
「お前は要らない。いや、いてはならない」
 そして、不穏なことを言い放った。
「いてはならないって……」
 どういう意味だろう。状況がわからない。見回すと、見たこともない場所におれはいた。森のようだが、青い光が空から降っているのか、ありえないことだけれど空気自体が青いのか、森全体が青く光っている。その中に、知らない大人の男が3人。
 初めておれを支えてくれている人を見上げると、色の白い、恐ろしく美しい人間だった。ハーフだろうか。完全な異国の人の顔立ちではないが、おれと同じ人種だとは思えない。漫画とか、ゲームのキャラクターみたいだと思った。
「御国。お前のせいで白蛇は理性を取り戻し人型になった。あのまま理性を失っていたら今も人を喰らい生き延びていたというのに」
「白蛇様はそんなこと望んでいない」
 舜の前に彼を守るようにして立っている男にも見覚えはない。ところどころ皺の寄った喪服に身を包んだ眼鏡を掛けた優しげな風貌の男だ。
「理性がなければそもそも望みもない。白蛇が理性を取り戻すのは新たな体を得て、完全に復活する時だった。お前は白蛇を余計苦しませているのだ。端的に言おう。お前は死ぬべきだ。肉体も残さず私が消そう」
 元団長がすっと右手を御国の方に伸ばす。彼の目はどこまでも冷たい。おれは考えるより先に駆け出していた。
「凌平!」
 聞いたことのない声が届く。
 しかし、状況を把握できないまでも、今舜が危険に晒されているということがわかっていた。頭は靄がかかっているようにはっきりとしない。夢でも見ているようだが、夢の世界でも現実世界でも舜のことを助けなければならないだろう。
「舜……!」
「え?」
 舜と彼の前に立つ眼鏡の男がおれのことを驚いた表情で見た。舜のその顔におれはわがままだけれどショックを受ける。今まで助けたことがないから彼は助けようとかけ出したおれに驚くのだ。
 手を伸ばして舜の腕を掴み、しっかりと目を見る。
「逃げよう」
「お、お前……」
「おれ、探してたんだよ」
 そうだ。こんな変なところに来てしまったきっかけを思い出した。友達数人と祭りに来たのだ。そこで、見世物小屋に入った舜たちを待たずにおれはひとりで散歩に出た。そこで、はぐれてしまった。
「おれ、すぐに戻るつもりだったんだけど、森で迷子になっちゃったんだ」
「凌平?」
「帰ろうよ、もう」
 舜の腕をぐいぐい引っ張る。いつもならすぐに来てくれるのに、彼は不思議そうな顔をしたまま動こうとしない。頭の上に蛙が乗っていることにも気づいていないみたいだし、こいつもこの状況と一緒でどこかおかしくなってしまったんだろうか。
 たとえおかしくても逃げたあとで考えるべきだ。幸運にも舜に何かしようとしていた男も今はおれたちのことを訳知り顔で、なにやら面白そうに眺めているし、今なら危害を加えられない。
「なあ、舜、早く逃げようって」
「どこにだよ。ていうか、お前……凌平、どうしたの?」
「それはこっちのセリフだってば。さっきから意味のわかんねえことばっかり言ってさ、おれ、わけわかんねえよ」
 舜の足が土を踏む。一歩、動いた。舜の目が不安げに揺れる。
「もうおれと行くの、嫌になったの? おれ、これからはちゃんと兄貴にも反抗するよ。約束する。一緒にどこにでも行く。おれ、祭りのあとこれを言おうと思ってたんだ」
 舜が複雑そうな表情で、彼の前に立っている眼鏡の男を見上げる。その男は舌打ちをして「悩むな」と吐き捨てるように言った。
「こいつがどこの道から来たか思い出せ。……ここは灯の道だ。一時的に記憶が戻ったにすぎない。小屋に戻れば一切覚えていないから、気に病まず突き放せ」
「ああ……」
 男の言った言葉の意味をおれは半分も理解できていないが、突き放せという言葉だけはわかった。
「舜、誰だよ、こいつ」
 問うが、舜は固い表情のままうつむいて何も返してくれない。手が震える。舜だけはいつも、どんな時もおれの味方だったのに。
「なんで、無視すんの? おれ、やっぱり……」
 いつも、都合のいいようにしてたから。だから嫌われた? そう考えると、どうしようもなく悲しい。
「おれ、舜がいなくなったら独りだよ……」
 こんな同情を煽るような、すがるような言葉言うべきじゃないが、言わなければ舜は眼鏡の男の言うとおりおれを突き放してしまうと感じた。
 言いくるめられているのか知らないが……だって、こんなの舜じゃない。おれの舜じゃない。そう思うと、今まで必死だったから堪えられていた寂しさに襲われた。目の前にいる舜がおれの知らない人物に思えたのだ。でも、きっとそう思ってしまうのは舜がおれの思った通りのことを言ってくれないからで、最低な自分の思考が嫌になる。
「な、泣くなよ」
 声がかかり、顔をあげると舜がゆがんで見えた。
「……っ、ごめん」
「……謝る必要もないよ」
 優しい声だ。
「御国、迷うな。団長が黙って見ている理由を考えろ。このままお前たちがふたりで逃げたら、その先にあるのは死だ」
「……うん」
 舜を掴んでいる手を離す。おれは俯けた顔を上げられなくなった。涙が止まらない。
「大丈夫だよ。ちゃんと、連れて行くから」
 ふいに温かいものに包まれる。舜の、懐かしい匂いがした。毎日のように祠で寄り添っているのになぜ懐かしく感じたのだろう。
「なんだ、行かないのか」
 ふふ、と獣の耳を生やした怪しげな男の声がする。
 ここがどこかも、自分自身の状況も、舜が一体『誰』なのかもわからないけれど、耳の生えた男が本気でおれたちに死んで欲しいと思っていることだけは理解できた。