天邪鬼
クチナワが綿のような素材でできたベッドに寄り掛かり船を漕いでいた。
それをベッドに座った白蛇様がにこにこしながら眺めている。平和すぎる光景に逆に戸惑う。
しかも眼鏡がなく意識を飛ばしたクチナワは思っていたよりも幼い顔立ちだ。見た目的に久納と同じくらいかそれよりも多いかもしれないと思っていたが、こうしてみるとずっとずっと久納のほうが大人に見える。
「すっかり寝入ってますね。なんとなく憎たらしい」
言葉とは異なり、久納が静かに白蛇様に近づく。それでもクチナワは起きそうもない。
「そうだろう、かわいいだろう」
「それはないです」
呆れたように息をつき、久納が白蛇様の隣に座る。白蛇様が久納の頭に手を伸ばしたのを確認しおれは辺りを見たが、近くに御国の姿がない。
「舜か?」
疑問形だったが、確信を持った問いに思えた。白蛇様の方を向くと、やはり彼は優しい笑みを浮かべている。
「クチナワとケンカをしてどこかへいってしまった」
「……いいの?」
「よいよい。そのうち帰ってくる。せっかく素直になってみたのに突っぱねられたから拗ねたのだ。こいつの照れ隠しはれべるが高いからなあ」
「レベル……」
「お?」
白蛇様が首を傾げる。
「使い方を間違ったか? カタカナ語は前に狐と勉強したが……やはり難しい」
「いや……ちょっと驚いただけ」
「そうか」
白蛇様はにっこりと笑い、クチナワの頭をぽんぽんと叩く。
「ほら、そろそろ目を覚ませ。舜が戻ってきたぞ」
白蛇様の言葉に後ろを見れば、不機嫌そうな御国がこちらに向かって歩いてきていた。頭の上には青が乗っている。
「あ! 凌平さん!」
ぴょん、と青が飛び降り、人間の姿になって駆け寄ってきた。肩くらいの青い髪が靡く。派手な雨傘模様の着物の裾が揺れていた。
「青、良かったね」
意識せず声をかけていた。青がこぼれそうなほど大きな目を見開く。おれはこの時になって初めてまじまじと青の顔を見たことに気がついた。今までのおれはどこか夢に浮かされているようだったから、彼をじいっと見つめたことなどなかったのだ。彼の瞳は人間のものと違い、ぐるぐると渦を巻いているような模様をしている。色も不思議な、角度によって常に変化するようなもの。
「御国のこと、頑張って探してたもんね」
「は! はい!」
青の顔が輝く。そして勢い良く御国を振り返った。
「聞いたか御国! 凌平さんでさえ認める俺の頑張りを! 反省しろ! 悔いろ! お前が俺を箱なんかにぶん投げたから俺はお前なんかのためにあっちをてくてくこっちをてくてく走り回る羽目になったんだ!」
ふはははは、と小さな蛙が豪傑に笑っている。
「はいはい。ありがとうよ。……って、俺は何度お前に感謝すれば良いわけ? だんだん心がこもらなくなってきたんだけど」
「一生!」
「えー……」
御国が疲れたようにため息を吐き、わずかに身じろぎをしたクチナワへと近づいていく。
「まあ、結局俺、なんもできなかったけど……」
小さな青の呟きは、果たして御国に届いただろうか。
あんたでも眠るんだな、と御国がクチナワに声をかける。白蛇様はケンカしたと言っていたが、それでも御国はクチナワのそばに腰を下ろした。
「あれだけ怖がってたのにっ。お前がドMだったなんてっ。気付かなっ……いや、お前はそういえば自ら困難に身を投げていた! 俺、気づいてた! ふひひ!」
テンションがおかしい。青は高すぎるテンションのままおれに抱きつき、凌平さんも座りましょー! と言っておれの手を引く。
白蛇様を起点として俺たちは円を描くように座った。クチナワもどうやら覚醒したようだが、目つきが凶悪だ。
「ああ、憂い憂い。その他者を射殺すような目、懐かしいな」
「……見えないだけだ。眼鏡が壊れた」
「近々買いに行けばいい。それにしても本当に懐かしいことに、どれくらい前だったか、人に紛れて一緒に買いに行ったことを思い出したぞ。今度は舜に連れて行ってもらえよ。お前は世間知らずだから」
「ひとりで行く」
クチナワがそっぽを向く。先などないような白蛇様の物言いが悲しいが、事実白蛇様はじきに消えてしまうだろう。それを疑う者はもういない。きっと、元団長も。
会話と呼べる会話はなかったが、時間は穏やかに流れた。白蛇様は始終嬉しそうで、久納はいつもどおりで、青はくるくる回っていて、クチナワはずっと白蛇様のそばから離れなかった。そしてその横には暗い顔をした御国がいる。そんな御国に時折クチナワが目を遣っていた。
水音は絶えず聞こえている。ぴちゃんぴちゃんと、しとしとと、気が付かないうちにそれらの奏でる音楽は変化していた。
蛙姿でおれたちの周りを飛び跳ねていた青が疲れて眠りについた頃、御国が口を開いた。
「俺、考えたことがあるんだけど」
ひどく静かな声。
「言うな、鬱陶しい」
御国はクチナワを睨んだが、構わず続けた。
「白蛇様、最後に俺をたべてよ」
そして御国は爆弾を落とした。
御国の言葉に衝撃を受けるまもなく鈍い音とともに御国が吹っ飛ぶ。
「わお。随分暴力的な愛だね」
久納が手を叩く。白蛇様は目を細め、達観したように微笑んでいる。
「愛? ふざけるな」
「いってえ……」
クチナワが立ち上がり、尻餅をついた御国の前髪を掴み彼を立たせる。ぐ、と御国が呻く。
「くだらないことを考えていると思ったが、想像以上にろくでもないことを考えていたな」
クチナワが白蛇様に向かって御国を投げつけると、白蛇様は消え入りそうな見た目に反し力強く御国を抱き止めた。
「く、くだらないってなんだよ!」
反抗的な目をギラつかせ、御国がクチナワに掴み掛かる。クチナワも負けじと御国を睨みつけるが、手は出さないでおとなしく掴まれている。
「白蛇様は俺が近くにいただけで人の姿になったじゃねえか! 俺と凌平がやっすいお菓子をお供えしてただけで今よりも元気だったし、俺が白蛇様の力になったらもっと長生きできるかもって思うじゃん!」
「そんなことを言ってるんじゃない。本当にお前は馬鹿だな。阿呆だ。愚かな自己犠牲を見せつけられるほど興の醒めるものはない。吐きそうだ」
「じゃあ吐けばいいだろ! 俺はお前がげーげーしてる間にっ」
「うるさい」
「あっ」
クチナワはうんざりしたように吐き捨てて、御国の足を払い床に押し倒した。片手で口をふさがれた御国はその手を外そうともがくがクチナワは微動だにしない。
「一応訊く。白蛇」
「なんだ?」
「お前は、これを喰ってまで生きのびたいか?」
「さあな。少なくとも『今の』俺は食わないよ」
「ふん。……よく聞けよ」
クチナワが御国に突き刺すような冷たい視線を向ける。
「俺はこれでもお前に感謝しているんだ。白蛇にチョコを供え、こんな俺に恐れながらも従ってくれた」
視線や口調とは真逆の言葉に御国は混乱した表情を浮かべる。クチナワの手を外そうとしていたもがきがピタリと止まる。
「もしも白蛇がお前を喰ったら、俺はこの手で白蛇に引導を渡すだろう。それをお前は望むのか?」
白蛇様は御国とクチナワといる時、常に嬉しそうに彼らを眺めていたが、今一番幸せそうにふたりを見つめている。
御国が、ふるふると首を横に振る。
「わかったらもう二度と狂ったことを言うな」
脅すように言って、クチナワが御国の上から退く。複雑な顔つきだが、御国からさっきまでの悲壮感が消えていた。ぶたれた以外の赤みが頬に差していたことを、みな気づいているだろうか。
時間は穏やかに流れる。しかし残酷なほど、時の速さは一定だった。