早寝記録

溺れたくない

「ふーくーいー君」
 裏庭の錆びたベンチに寝転がって授業をサボっていると、上からあまりよろしくない声が聞こえた。閉じたままの目を、開けない。
「福井くん」
 返事もしない。別に、しなくたっていい。事実とは違うが、仲が悪いと噂されている人物の声だし、それなら噂が事実になったっていい。
 そもそも俺はひとりでも生きていける。ひとりはすばらしい。人と話すのは面倒臭いが、ひとりだと何かを考えて、考えたことをわざわざ口を開いて音にする必要もない。
 でも、ここまで考えて危機感を覚える。俺、本当にやばいんじゃないか? 病気? さすがにここまでなにもかも面倒くさがると自分でも引く。
 目を開けて、俺を上から見おろしている敵を見上げる。少し長めの真っ黒な髪。すっきり通った鼻筋。優しげな、すこしだけ垂れ気味の目。あとは……まあ、いいか。敵だし心の中でこんなに褒めることはない。
「福井くん、何? 俺の顔じっと見て」
「敵ながら格好良いなと思ってたんだよ」
「思ってないくせに」
 ふふふと能登がやたらえろく笑う。こんな風にえろい笑い方でこいつはよく普通に生活できていると感心した。俺が面倒臭がるタイプじゃなくて猛禽類系男子だったらがんがん行ってた。性別も通り越し、がつがつ食ってた。ひたひたストーキングしてた。
「能登くん」
「何かな?」
 能登は俺を無理やり起こしてベンチの右半分に座らせると、左半分に腰をおろした。そうする必要もないのに尻をくっつけてきてとてもうざい。
「やっぱ何でもない」
「え? 何? 気になるんだけど」
 この状況が面倒くさい。なんか能登と話すのが面倒くさい。どっか行って欲しい。
 能登と話していると聞きたいこととかが溢れてきて、ただでさえ面倒くさがりで質問を留めておく器が少ないのにどんどん興味が溢れ、蒸発でもして消えてしまえばいいのに溢れた興味は俺の足元に留まり続け、今は膝くらいまで水かさがある。こんなイメージ。
 いつか溢れた興味が口元まで来て窒息してしまうんじゃないだろうか。それは困る。いくつか聞いてみようと言い訳のように考え口を開く。
「能登くんってなんで風紀委員になったの?」
「生徒会よりはましだろって思ってさ。投票で上になったら断れねえんだろ」
「ああ。断れなかった」
「でも、風紀になったは良いけど、委員長とかすげーめんどくせえの」
 面倒くさいのか! 真面目な仕事っぷりで有名な能登との意外な共通点。
「じゃあ、ぎゃーぎゃー騒がれることに対して、どう思ってんの?」
「それも面倒くせえな。見た目の受けが良いってのなんて自分でもわかってんだから、わざわざ口に出さなくてもいいよって感じ」
 面倒くさいのか!
「能登くん、格好いいと思ってんだ。自分で自分のこと」
「は? 全然」
 何聞いてんの? というような純粋に不思議そうな目をされ、言葉に詰まる。
「だってわかってるんでしょ。受けいいの」
 俺は究極の面倒くさがりなのに、会話が続いている。というより、俺が切らずにぐだぐだ続けているんだ。普通、答えが帰ってきた時点で「ふーん」とか言って終わらせてるのに。
「受けはいいけど格好良いなんて思ってねえよ。俺、自分の顔大っ嫌いだし」
 ひどく爽やかに能登が笑い、俺はその表情に見惚れてしまった。けど、あまり良い笑顔ではない。諦めた人間がするような押し殺す感情もないような笑顔に思えたのだ。
 人生経験がある方ではない。むしろ全然ない。こんな複雑な感情が俺に理解できているとは思わないが、とにかく寂しい顔だと思った。
 もしかしたら全くの見当外れかもしれない。
 俺は恥ずかしいやつかもしれない。だけど、気づけば本心を口に出していた。
「格好良いよ。俺は、能登くんの顔好きだ」
 そう言うと、能登は一瞬虚を突かれたように止まり、その後破顔した。
「なんか悪い気しねえな。福井君に言われると」
「つうか、さっきも言ったじゃん。敵ながら格好良いって」
「嫌味だと思ってたよ」
「嫌味なんか口に出さねえ。面倒くせえもん」
「やっぱ、面倒くさいが口癖? 中学の頃から言ってたもんな。サボって風紀室に連行された時、理由によく言ってた。心底面倒くさそうな顔して」
「口癖っていうか生き様」
「生き様って格好いい言葉なのに、格好悪いな」
「俺は格好悪いよ」
 面倒くさがりでいつもいかに楽をして時間を越せるかばかり考えているのだ。命を燃やして人間は生きてるが、俺は凍えるほど冷たい炎で命を燃やしている。なんにも情熱なんかない。これは格好悪い。
「良かったな、顔だけは格好良くて。きっと働かなくても生きていけるよ」
「それはない。人と関わるのが何より面倒くさい。人に気に入られないと生きていけないんなら、働いたほうがマシ」
「なんだよ、もしや、お前昔いじめられ」
「てはねえ。なんか、女子グループにいれてもらってた」
「女が放っておかなかったのか……」
「みんな気が強かったからか、男より楽だった。男同士だと体使って遊ばなきゃいけなかったけど、女の子のグループは大体話を聞いてるだけで良いんだ」
「なのに、なんで男子校にいるんだよ」
「自分で言うのもなんだけど、俺をめぐる争いが起きちゃったんだよ。割と女子グループ好きだったから少しショックで、いなくなろうって思って来てみた。そうでなくても色恋沙汰はなにより面倒くさそうだし」
「まあ、ここにもあるけどな。男と男の色恋問題」
「でも、巻き込まれてねえから」
「そうなの? 意外だな」
 奇跡だと俺は思った。会話が続いている。たいして面白い話題ではないけど、すごいことだ。しかも相手は敵の能登! こんなところ誰かに見られたら、俺と能登が仲良いとか思われてしまうのではないか? 面倒くさがりの俺は人間関係の作り方も知らず、人に溶け込めなかった結果一匹狼と格好良さげに呼ばれていたが、今はなんだか会話が続いていることが嬉しい!
「俺、中学から補佐とかで生徒会入ってたけど、生徒会室は静かに過ごせるんだよ。面倒くさいけど悪いことばかりでもない」
 嬉しさを出したら気味悪がられると思い平常心を保つ。
 人付き合いは面倒くさいと思っていたが、こんなに嬉しいということは俺は心の底では友達が欲しかったのだろうか。そう思った自分が気持ち悪い。けど、まあいいか。考えるのは面倒くさい。
「風紀室はうるせえわ。ペンの音、小声での話し声、全部聞こえる」
「狭いもんな。生徒会室に比べて。広い場所がいいと言えば、すぐ移れるんじゃないのか」
「風紀はあんまりいい思いしないほうが良いんだよ。取り締まる側だから、待遇いいと変な恨み買うだろ」
「そういうもんか」
 納得すると、能登はへへ、となんていうか女子が見たら卒倒しそうな顔で笑った。鼻に皺を寄せて、いたずらっ子のようにといえばいいのだろうか。いつもの格好良さと違い、許されたものだけに見せる表情に思えた。俺の妄想だが。
 能登が「さて」と言い立ち上がる。それはまるで友達のような時間の終わりを意味していた。
 面倒くさい会話が去る。そう思えば良いのに、どうしても寂しく思ってしまう。会話が続いたのだ。俺にとっては弾んだと言って良いレベル。能登にとったら普通のこと、若しくは普通以下の会話だったろうが、俺にとっては奇跡だったのだ。
「なんか、しゅんとした犬みたいだ」
 能登がはっと笑い俺の頭をぽんとはたいた。はたいた? 違う。撫でたのだ。ぼんっと顔から火が出た思いがした。
「福井くん、やっぱ良いな」
「は?」
「俺の癒し」
「い、癒し?」
「俺、なんか最近疲れてるんだ。夜迎えに行くから、良かったら一晩抱き枕になってよ」
「は、はあ?」
 じゃあまたあとで、と言って能登が校舎の方向へと去っていく。後ろ姿も完璧だ。女子視点で見れば、抱きつきたい背中だろう。
「……抱き枕?」
 細長くて柔らかいあの枕が頭に浮かぶ。
 人間関係初心者の俺には、冗談か本気かを見抜くなんて高度な技はない。それでも俺は彼の言葉が真実だった時のことを考えた。
 迎えに来られたら、俺はどうするだろう。