早寝記録

ゆらぐ

 結局、俺は生徒会室から昨日能登と近づいてしまった裏庭に進路方向を変えた。生徒会室にはもしかしたら他の役員がいるかもしれず、会いたくなかったからだ。さっき能登と俺を驚いたように見ている書記の糸川がいたし、他の役員と比べあいつはずっと静かで騒ぐようなことはあまりしないが、こういう時の追求は一番しつこい。
 糸川がいたらめんどうだ。そう思い、俺は裏庭に向かった。
 幸いにもいろいろと思考を巡らせていたから足取りはゆっくりで、休み時間を廊下で過ごしていた生徒たちが予鈴に慌てて教室に入った時、俺はまだ一般棟を抜けた頃だった。ただでさえ裏庭は教室がある一般棟や部活棟、特別棟など普段使う建物から離れた所にあるからそこで人に会うことはまずない。錆びたベンチがあるだけだし、そのベンチも小さなものでお世辞にも雰囲気がある場所とは言えないから逢瀬にだって向いていない。
 ここに来るようになったのは最近だが、人から離れて独りになりたい時は丁度良い場所だと思えた。
 石畳が敷かれた道を逸れ、じきにすっかり土で隠れてしまいそうな忘れられた道に入る。名前も知らない鳥のきれいな声を聞きながら、ざりざりと土を踏み鳴らして進んだ。
 歩いている最中にも考えるのは面倒臭いこと。無理して偉ぶっている自分について。
 面倒事は嫌いだが、黙っていてもあふれる思考を止めることは出来ず仕方なく懊悩を受け入れる。
 能登は、何を考えているのだろうか。
 ただ俺をからかって遊んでいるのか。そうだとして俺の素の姿をばらされたらどうなるだろう。
 今のところの俺の見解では能登は特別いいやつではなさそうだ。少ししか関わっていないが、結構調子が良く割と余裕がありまあまあ欲望に忠実。これが印象。
木のアーチをくぐり、裏庭に出る。やはり人気はなく鳥と蛙、それからなんらかの虫の鳴き声が聞こえるばかりだ。
 ベンチに座り、傍らに鞄を置いてその中から電話を取り出した。
(でも、悪いやつではないと思う……)
 今朝撮った寝起きの能登動画を再生すると、必死に起きようとする能登の面白い姿が赤裸々に映しだされた。ブレはなく、自分の腕に感心する。
 ふと、自分がひとりで笑っていることに気が付き顔を引き締めながらも、能登のおかしな姿になんとなく幸せな気持ちになった。
 そうしたらそれまで俺の頭に取り憑いていた面倒くさい思考が消え、いつもの何も考えていないつまらない自分に戻ることが出来た。
 鞄を枕にし、汚れるのも気にせず昨日のように錆びたベンチに寝っ転がる。背の高い木が裏庭を取り囲むようにして聳えており、葉が風に釣られて手招きしている。木々の葉の間から覗いた空は雲が多かったが、青空も見える。
 10月の風は冷たいが、ちょうど雲間から差し込んだ太陽の光が暖かく俺はつい意識を手放してしまった。
「ふーくーいー君」
 意識の底から這い上がってくるように俺は目覚めた。遠くから微かに聞こえていた俺を呼ぶ声が鮮明になる。その時には俺はすでに目を開けていた。
「福井くん」
 能登が昨日と同じように俺を上から見おろしている。少し長めの真っ黒な髪がうつむき加減の彼の頬にかかり陰影を付ける。太陽はもうすっかり雲に隠れ、ちらほらと見えていた青は消えていた。
「福井くん、何? 俺の顔じっと見て」
「……敵ながら、格好良いなと思ってたんだよ」
「敵だなんて思ってないくせに」
 能登が爽やかに笑って言った。彼の垂れ目がちな目は笑ったことによって細くなり、なんとなく可愛いと思った。男にも可愛いと思うことがあるんだ、とその時俺は自分の感情に少し驚いた。
 それから能登は俺の腕を引き体を起こさせ、ベンチに座らせた。それまで眠っていたから急に体を起こすことになって浮遊感に頭が揺れる。そういえば、今は一体何時なのだろう。段々と意識が鮮明になるに従い体も頭もすっきりしているのを自覚する。寝る前とは違う体の変化に不安になる。体調が良くなるほど深く長く眠ってしまったのだろうか。
「福井くん? 何固まってんの? 寝起き良いと思ってたけど、違う?」
 隣に座った能登が顔を覗きこんでくる。
「いや、どれだけ寝たんだって思って……」
「今昼休みだけど。風紀室で待ってたのに来なかったから探しに来たんだよ。電話も繋がんねーし」
「マナーモードにしてるから」
「あれ? じゃあ俺のギャルメも読んでねえの?」
「ギャル……メ?」
「その辺の女子高生っぽく書いてみたんだけど。想像で」
「古い気がするけど……。能登くんだよ☆ってやつでしょ? 見たよ……。机の中で、電話光ったの見えたから」
「えー。返信待ってたのにさあ。ってまあいいんだけど、そういうわけだから夜また行くよ」
「く、来るの?」
「ダメ?」
「良いけど……」
「あ」
 能登が思いついたように言う。
「大丈夫だよ、やんねーから」
「あ、そ……」
「あれ? 何? 福井くんもしかして毎日でもいける感じ? すげー。俺無理だー。こう見えて疲れやすいから」
「こう見えてって……」
「ほら、俺ってエロそうな顔って言われてるらしいから」
「エロそうな顔ねぇ」
「垂れ目でしょ」
「どちらかと言うと垂れてるけどさあ」
「垂れ目ってエロいんでしょ」
 どうやら能登は垂れ目にこだわっているようだ。そして、エロそうと言われることを忌避しているきらいがある。おそらく能登をエロそうと言っているやつらは、色気があるとかそういう意味で言っているのだろうが、能登は違う意味で捉えているのだろう。それか、好意的な意味で言われているのをわかっていて嫌がっているか。俺もエロそうとか言われたら嫌だと思うが、能登のように気にするのも面倒になってどうでも良くなる。
 だけど、いずれにせよ能登が昨日いきなり俺を押し倒した事実は変わらない。
「垂れ目じゃなくても昨日の能登君の行動はエロかったと思うよ」
「あー、昨日はねー。あれはしょうがないって」
「しょうがないかね」
 別に、昨日は自然な流れじゃなかったと思う。なんか、足払いされた気がするし。それにもともと俺には色気がないが、昨日も特別出てはいなかったはずだ。それなのに俺に対してああいう行動を起こすなんて、エロイか前から俺のことを狙っていたかだ。まあ、後者はありえないが。
「しょうがないよ。抵抗しないかもって言われたら誰だって倒しにかかるよ」
「そもそも男なんだけど」
「俺それさー。結構忘れちゃうんだよね」
 はは、とはぐらかすように笑われ、ため息が漏れた。
「うそうそ。俺男好きじゃないよ」
「なら」
「でも、福井くんは好き。色白いし、薄幸の美少年的な? 白い服来て二階あたりで窓に手をあてて切ない顔して元気に走り回る子供たちを見下ろしてるのが似合ってる感じ」
どう答えていいものかわからずへらへら笑っている能登を黙って見たり目を逸らしたり、落ち着きなく過ごしていると能登が笑みをわずかにゆるめた。
「引いた?」
 能登の本心も今彼の中にある感情も何もわからなかったが、この前生まれた能登への興味は尽きることなく今に至っており、なんとか能登をつなぎとめたいという欲求さえも沸くようになっていた。
 多分、俺は能登にどうにか気に入られたいのだろう。
 そのためにはどのように振る舞えばいいのか、これもわからなかったが、黙ったままではダメだろうと思う。正直に言うのが正解かはわからないが、人と駆け引きができるほど俺の頭は良くなかった。
「正直に言うと、冗談とかそういうの、慣れてないから返し方がわかんねーの」
「別に今の冗談でもねえよ?」
「……能登君、どこまで本気かわかんねえ」
「割と本当のこと喋ってるって。俺も他の奴らと同じで福井くんの顔良いと思ってるってことだよ」
 そう言いながら、能登はそばに置いたビニールの袋からパンの包みを二袋取り出した。
「福井くんクリームパンとおしゃれなパン、どっちにする?」
「……おしゃれな方」
「うは、おしゃれな方か」
「クリームはあんまり食べないから」
「そっか」
 おもしろくもない返しに能登は楽しそうに笑い、おしゃれな方のパンを差し出す。それを受け取って包みを開くと、確かにおしゃれな感じのパンが入っていた。
「……これ、くれんの?」
「うん。食べるものなさそうだし。もともと福井くんに買ったやつだから」
「なんで?」
「着痩せ、の反対。着太りって言うの? 知らねーけど、見た目より痩せてたから食わせようと思った」
「……」
「お。沈黙」
 ふはは、と能登が笑い、パンを持っている俺の手首を掴んで口に押し当ててくる。うまい返しも俺には見つけられず、口を開けて食べてみるとパンは甘くなくおいしかった。
 買うのが面倒な時はいつも迷いなく食べないことを選んでおり、さっき能登に時間を教えてもらった時今日は昼抜きだと決めていた。朝も夜も同じだから、俺は普通よりもやせている。倒れなければ良いだろう。
 俺も食う、と能登もパンを食べ始めた。能登が物を食べるところを初めて見ることに気づき、さり気なく視線を走らせる。
 パンを包み口から少し出し、あまり大きな口を開けずにパンをかじる。その後、音もなく咀嚼。上品な食べ方に、これも躾だろうかとなんとなく考える。興味が溢れていた。
 能登と俺、ふたりで黙々と食べ続ける。
 沈黙は痛くなかった。