社畜予備軍
「上がってもいい?」と能登がやってきたのは昨日よりもだいぶ早い、午後7時のことだった。
昨日話すようになってから知った人好きのする、俺にしたらどこか得体の知れない笑みを貼り付けて能登はドアの前に立っている。学校指定じゃないジャージを着ているにもかかわらず鞄を持っているところを見るともしかしたら泊まっていくのかもしれない。
断る理由もないので良いよと言って能登を部屋の中に促す。普段は自分しかいないリビングに他人の姿があるのが新鮮で、自分の部屋だというのになんとなくそわそわした。
能登は昨日の俺のように物珍しそうに室内を見回した。
「綺麗にしてんだね。面倒くさがりのくせに。つうか物少なー」
「掃除の日決めてるから。今日がちょうどそうだった」
「へえ? 真面目だな」
「決めないとしないから」
「ありがたいありがたい。俺、綺麗な部屋好きだから」
軽い調子で笑い、能登が部屋の隅に荷物を投げ置く。そしてリビングの中央に置いているソファに座った。
「福井くんもおいでよ。……俺の部屋じゃねえけど」
「うん」
素直に能登の隣に座ると能登が満足気に俺に目を遣る。テレビもテーブルもない部屋。暇潰しとなるものは寝室の机にあるノートパソコンくらいだ。
「テレビねえのな」
「見ないし」
「普段何してんの」
「何かな……」
すぐに答えられない。折角質問してくれているのに、自分のコミュニケーション能力の低さが忌々しい。だけど、普段何をしているのか答えを俺は持っていない。
「強いて言えば、ぼうっとしたりしてる」
「なんだよそれ」
はは、と能登が笑う。
「あ。でも、インターネットで旅行気分味わうの趣味かも」
「旅行気分?」
「自分で行くのは面倒臭いから写真とか見んの。日本とか海外の。それ趣味」
「へえ。俺福井くんと旅行したいな」
さりげない能登の言葉。
「俺と行ってもつまんねえよ」
「なんか水族館でも行って、ぼうっと魚眺めてたい。福井くん、俺がひたすら魚観察してても文句言わなそうだし」
「魚好きなの?」
「魚って言うより、水族館が好きだよ。なんか青いし」
「青が好きなんだ」
「まあね。福井くんも、青い感じする」
「俺に青要素ねえよ?」
不思議に思うが、能登は意味深に笑っただけだった。やはり疲れているのだろう。とその時、どこからかバイブ音が鳴った。
「うっわ……」
能登が自分のポケットに手を突っ込み、電話を取り出して顔をしかめる。どうやら能登の電話が鳴ったようだった。そうして考えるが俺の電話はどこだろう。
(鞄か)
そうだ。帰ってきてから鞄からも出しておらず、充電もそれほど減らないまま眠っている。
「電話出るわー……」
能登が律儀に俺に断る。
「うん」
「面倒臭えなあ」
心底面倒くさそうに言って、能登が電話を操作した。
「もしもーし能登です。……ああ。……ふーん。どこ? ……ああ、あいつらか。大神やるから、頑張ってみて。……大丈夫だって。あいつ今日動いてねえし元気有り余ってるよ。大丈夫だと思うけど人数足りなかったりしたらまた連絡ね。俺も行くから。……うん。じゃあねー」
能登が電話を切り、素早い指の動きを披露した後乱暴にポケットにしまい込む。
「なんかあったのか」
「2階で1年が暴れてるんだって。みんな血の気多くて委員長困るわ―」
能登の口調は冗談めいているが、覇気が感じられなかった。いつも飄々としていて余裕すら感じられるから俺は彼を心のどこかで超人だと思っていた。
でも考えてみれば当然だ。この学校はわがままに育ちすぎた金持ちや金のある不良が多く、よく問題が起こる。僻地だし大変だから教師の給料も良いみたいだが、やる気のない教師が多いから問題が起きても風紀委員に任されることがほとんどだ。歴代の風紀委員が好戦的かつ真面目だからこの学校の風紀は保たれているようなもので、彼らがいなければここはたんなる不良校になっていただろう。
普段だって教師ではなくこいつらが事態を収めてるし、今も2階では風紀委員が頑張っている。
若干高校二年生にして他人のために身を粉にしているなんて、可哀想だ……。そう思って見ると、能登の横顔がひどく疲れているように見える。切ない。
「……何?」
「いや、可哀想だと思って」
「はあ? 今の時間で何考えたんだよ」
「将来、社畜にはならないほうが良いよ……。お前、素質あるから……」
「今の世の中、楽に生きてける奴の方が珍しいんじゃねえの」
「達観している……」
「福井君さあ……」
哀れな能登が俺に呆れたような目をくれる。しかし、その直後何かを思いついたと言わんばかりに表情を一気に輝かせた。
「なあ、俺を可哀想だと思ってんなら福井くん慰めてよ。俺毎日毎日放課後も校内チェックしたりケンカの仲裁したりして、ちょう疲れてんのー」
「……」
頭を撫でてやる。能登の髪はさらさらしていた。そういえば、何かをこういう風に撫でるのは初めての経験かもしれない。愛玩動物のかわいらしさでさえ俺の前では無力で、撫でてやろうとは思わない。人に何かをしてやることは面倒くさい。かわいい犬とか猫は人じゃないが、可愛がられてあたり前の顔つきをしているように思う。
おおよそ普通とはいえない思考回路。面倒くさがりだし、おもいやりや助け合いの精神が欠如している気がする。コミュニケーション能力も低く、それでも良いと思っている自分も確かに存在している。
(それなのに、仲良くなりたい)
どうしたら能登ともっと仲良くなれるのか、能登のことを知れるのか考えてしまう。
俺にとって数年分の濃さだった昨日の出来事が数秒で説明できてしまうことが恨めしい。
『昼寝をしていたら偶然会って、少し喋って少し仲良くなった。昨日泊まりに行ったが朝めざましを止めて構わず出てきてしまった』
俺が放課後能登と何があったのか詰め寄ってきた生徒会の他メンバーに話したことだ。丸がたった二つの短い文章で昨日からのことは説明できた。無色透明の中に暴力的な黒を落としたくらい濃い一日だったのに、人に伝えるために必要な情報量のなんと少ないことか。
「風紀って大変だな……」
好感度がアップする言葉を考えてみても何も思いつかず、なんにもならないことを口にした。
「まあね」
俯いて黙って俺に撫でられていた能登がわずかに顔を上げ、上目遣いで俺を見上げた。今まで隠れていた表情があらわになる。目はしっかりと俺を見据えているくせに、口元はほころんでいる。
「でも、抱き枕になってくれるんでしょ? 疲れ、少しは取れる気がするんだけど」
うまいことは言えない。でもそれでも頷いた。頷くことしかできなかった。