能登と緊張
とりあえず整理しよう。
俺は夕方の5時頃さっさと部屋へと帰り、風呂に入り部屋着に着替えてベッドに寝転んだ。とてつもなく疲れたからだ。体じゃない。なんか、心が。
今日は俺の数カ月分の出来事が一気にやってきた。
大神の邪魔をして反省したこと、生徒会メンバーからの尋問、北上と能登のケンカ……。
普段平坦に生きているせいか昼からの出来事についていけず、重大なことを忘れてしまった気がする。
(北上たち、俺が能登に遊ばれてると思ってんのかな……)
あの様子ならそうだろう。実際遊ばれてるのかもしれないが、もっとうまく隠せると思っていた。今日の俺はしどろもどろの権化だった気がする。
もしかしたら、俺が能登に惚れていると勘違いさせてしまったかもしれない。それはそれで嫌だな、と思う。だってそれこそ誤解だから。気持ちいいから抱きまくらになるのは拒否しないが、恋愛的な意味で惚れているかと問われればそれは違うと答えられる。
今更能登が俺から離れていくのは嫌だけど、その感情はまだ恋へと育っていない。どちらかと言えば、友達に抱くような感情を能登に持っていると思う。
姿を見れば目で追って、近くに来ると鼓動が激しくなるが、それは俺が今まで人と近づいたりしてこなかったから、一種のアレルギー症状みたいなものが出ているのだと思う。
あと、何か考えることあるっけ?小さい脳みその中をひっくり返して探していると、チャイムが鳴った。この時間、おそらく能登だろう。面倒くさいから出たくないが、俺が出ないことには部屋に入って来られないから、渋々立ち上がる。
訪問者は、やはり能登だった。
彼は珍しく学ラン姿で部屋に上がり込んできた。
「そのまま来たの?」
「うん。一応替えの下着常備してるし。それくらいでいいでしょ、もう」
「部屋着、貸すよ」
そう言うと能登が満足そうに笑ってくれる。
だってこの一週間で俺の部屋はまるで二人暮らしのようになった。洗面台には歯ブラシがふたつ並んでいるし、能登がいつもつかっているいい匂いのトリートメントまである。
寝室には枕が増えたし、リビングには常時クッションが2つ置かれているようになった。
「サイズ合うかなー」
「Lだよ」
「まじで? つーかよく見ると福井くん服のサイズ合ってねえよ」
「……でかくなることを予想して、高校入る時でかいの買ったんだよ……買い直すの面倒くさいし」
「で、伸びなかったんだ」
くしゃりと顔を歪めて能登が笑う。意地の悪いその顔が俺は気に入っている。
今なら、前に抱いたあの疑問を聞けるような気がした。
はじめに能登に興味を持った日の疑問。
疲れた、と言って能登が床に鞄を投げ捨てソファに体を沈める。俺はその斜め下に置いてあるクッションに座った。テーブルに腕を乗せ、前かがみになって能登を見上げたところで、がっつき過ぎてる体勢かもしれないと思い少し恥ずかしくなる。
「どうしたの? 不思議そうな顔して」
「能登君、身長何センチなの?」
「俺ねー180ちょうどだよ」
「そうなんだ……」
男なら誰しもが憧れる大台に乗っている……。
「聞かれたから聞きますけれども、福井くんは?」
「10センチマイナス」
「あれ? そんなもん? もっとあるかと思ったわ。あれかな、顔小さいからかな」
「よく言われる。近づいたら小せえって」
「すげーよ。シークレット的な靴はかなくてもでかくみえるとかさ、福井君自体シークレットだ。存在がシークレットとか、格好良いなあ」
「シークレット……」
「秘密の存在ー。まあ、今日は俺の秘密がばれちゃったけど」
ははは、と能登は朗らかに笑っている。秘密というのは、学外でよく警察に追いかけられるようなことをしているというものだろうか。
気にしていないように能登は笑っているが、ソファに背中から寄りかかる姿は疲れているように見えた。
俺は立ち上がり、キッチンにある冷蔵庫からペットボトルのお茶を持ってきた。それを能登の前に置き、彼に向かって指で押す。
「何? 飲んでいいの?」
「うん」
「ありがと。遠慮無くいただくわー」
能登はそう言って蓋を開け、ぐいと一気に飲んだ。照明の光を受けて光る薄茶色の液体が能登に吸収されていく。
「……持ち点って、何点なの?」
3分の1ほどお茶を飲んで能登がテーブルにペットボトルを置く。表情は不思議なものを見るような、そんなもの。
「持ち点って?」
「前言ってたじゃんか。減点3点って」
言うと、能登は少しの間考えてああ、と気の抜けた声を出した。
「その金髪ね。別に、点数は決まってねえよ。でも、取り締まりてえなあっていつも思ってた」
「染めてる奴なんて、ごろごろいる」
「でも、福井くんほど目立つやつはそうそういねえよ」
「明るすぎる金髪じゃないじゃん……」
「でも、目立つよ。なんか、キラキラして見えるもん」
「なんで」
「さあ? もしかしたら真っ黒に染めても、キラキラしてるかもね」
「なんだよそれ」
「なんだろーね」
からからと能登は笑う。
何かをはぐらかしているような感じを受けて、少し腹が立った。俺は能登に真実を話して欲しかったのだろう。普通に考えるとただの戯れの会話なのに、俺はこれに何かを見出したかったのかもしれない。全校集会の時に持った能登への疑問が能登と俺を引き寄せてくれた気がしたから、俺はあの時浮かんだ能登への質問を今まで覚えていたのだ。
だが、それは能登には関係のないことだ。彼にとってはただの意味不明な質問。なぜ今になってこんなことを聞かれたのかわからないだろう。
「能登君」
はぐらかされたら能登を遠くに感じてしまい、俺は腰を上げて能登をまたぐようにしてソファによじ登った。
実際に能登をまたぎ肩に手を置くとちょうど良い高さになり能登と目線が合う。いつも余裕の表情を浮かべている能登が驚いたように俺を見ている。それに気が良くなる。俺のたったひとつの行動で能登の余裕が消えるのが嬉しい。
「めっずらしーね。あは。福井くんが乗ってきた」
能登がいつもの余裕を取り戻し、俺の腰に手を回す。もっとくっついてみたくなり肩に置いていた手をソファの背もたれの向こうへと投げ出し能登の首筋に顔を埋める。密着しなければわからないくらい控えめにつけられた香水が鼻孔を擽る。
「やべー。あまりの出来事に、自分のキャラを忘れそうなんだけど」
「大丈夫、いつもの能登くんだって」
「うわぁっ、くすぐったい」
能登が笑い頭を振る。俺をさんざん耳が弱いと言うくせに、今さりげなくこいつは喘いだ、と思う。
でも顔を能登に押し当ててしゃべるのは大変で、俺は少し上体を起こし彼の肩に顎を乗せた。いつもの自分の部屋がよく見えるようになった。だけど能登に乗るだけで景色は見たことのないものに変わる。
(なんか、自分の部屋じゃないみたいだ……)
それに、能登とくっついている部分が暖かく、気持ちまでがぬくくなっている。
(なんか、変だ……)
能登が窮屈そうに俺の肩口に額を付ける。
「俺、絶対引かれると思った」
ふと能登が呟いた。いつもの調子に思えたが、声のトーンがわずかに低く感じる。
「……俺も、いきなり乗って引かれるかなってちょっと思ったけど」
「福井くん、平和主義者っぽいもん。北上から聞いて、ちょっとずつ離れてくんだろうな-って思った」
「……別に」
「でも、俺結構人のこと嬉々として殴るからさー、離れるなら今のうちかも」
声色から、口は笑みの形を作っているのだろうなということがわかったが、意外なことに、そういう能登の声は普段からは考えられないほど小さかった。
「そんな小さい声で言われても」
「小さかった? やだなー。俺ださいね」
「離れたいな、とかは思わなかったけど」
「そう? それなら嬉しいんだけど。あ。声小さくなったのとか、別に計算じゃねーから。俺割とあざといとか言われること多いんだけどさー。って、こういうこと自分で言ってちゃ説得力に欠けるんかな」
「能登君」
「こういうときにたくさんしゃべると、あんまり信用されないかなって思うんだけど、なんか口から出るね」
「能登くんが離れていかない限り、俺から離れることはないと思うけど」
恥ずかしかったが、それ以上に能登が落ち込んでいるように見えて言ってみる。人付き合い初心者にはこのやりとりも能登の気持ちを推し量るのも高度なものだったが、俺が能登に持った印象は間違ってはいなかったようで、能登が一瞬息を呑んだのが伝わった。おそらく、物理的に俺と能登との間に距離がなかったからわかったのだ。
「なんで、俺にんなこと言ってくれんの」
「……俺、友達いねえから。能登くん以外」
だけど最後の最後で照れ隠しに嘘を吐いた。
「それじゃあ、仕方ねえな」
能登が笑う。腰に回された腕の力が強まった。