早寝記録

あふれ出る背徳感!

 寝ている時、ひとはみんな幼く見えるのだろうか。
 目を開けたら、目の前に能登の顔があった。口元の小さなほくろが見えるから、結構な至近距離。ぴったりと閉められなかったカーテンの隙間から漏れた朝日にも彼は気づかず、すやすやと、気持ちよさそうに眠っている。
 こんなに気持ちよさそうなのに、彼は毎日苦しい思いをして起きているのだ。天国から地獄を休みの日以外毎日経験していることになる。そう思ったら同情の念が芽生えた。かわいそう。毎日地獄を体験していて死にたくならないのだろうか。
 数分間かわいそうな能登に思いを馳せたが、そういえば今日は土曜日。能登も心ゆくまで寝ていられる日だ。
 能登を起こさないように、といっても、起こさない限りは起きないのだが、それでも慎重にベッドから抜け出し、身なりを整えた。
 一応今日も働かなくては。
 ひどく面倒くさい思いを抱いて生徒会室に向かう。
 まだ朝も早いせいか、人気のない道のりだった。窓の外にはよく晴れた秋の空が広がっている。きれいな景色に目を奪われたことはないが、感嘆できるほど真剣に外の世界を眺めたことがないから当然かもしれない。
 生徒会室でひとり、黙々と業務をこなす。明後日には北上が戻ってくるという希望と、彼から届いた読む気にもならない長文の謝罪メッセージが、今の俺を動かしている。風邪なんて謝るようなことじゃないのに、北上は申し訳なくてしかたがないようだった。
 サボらずに頑張って数時間、生徒会室のドアが開き、眠そうな能登が入ってきた。きちんと制服を着ているが、服を着れたことが奇跡のように思える程彼は眠そうで、今もあくびを噛み殺すような仕草を見せている。
「寝てれば良かったのに」
「もう昼だし……」
「風紀も今日何かやることあるの?」
「別にないよ。騒ぎが起きない限りは土日は何もしない」
「それがいいね」
「ああ。なあ、昼食わねえの?」
 言われて時計を見れば、たしかに昼だ。朝から何も食べていないが、腹が減らなかったから気が付かなかった。
「まあ、でもよく寝たわー。12時間は寝てさあ、すっきりだよ」
「眠そうに見えるけど」
「いつもの寝起きみたいに吐きそうじゃねえから。それだけですっきり……」
「へえ……」
 能登が俺の隣りにある北上の椅子に座り、車が付いているのを良いことにそのまま滑って近くまでやって来た。そして、俺の手元を覗き込んで一言、「意外と真面目だねー」
「頑張ることは知ってる。やらないだけで」
「んん? それは不真面目? 真面目?」
 きっと適当に話しているんだろう。頬杖をついて目を閉じている能登は口が動いていなければ眠っているように見える。口元の目立たないホクロが見える距離。キスをする時とか、眠る時くらいの近さだ。
「真面目でも不真面目でもさー、どっちでも良いかあ」
「どっちでもいいよ。これも明日まで……。明後日には北上が帰ってくるし」
 能登が目を開ける。
「俺としては帰ってこねえほうがいいんだけど」
「仲悪いから?」
「3歳から反りが合わねー」
「それでも帰省したら一緒にいるんだろ」
「体動かしたい時に会うくらい。遊びはしねえ」
「体動かす?」
「……ケンカだよ、ケンカ。治安悪いから、良いケンカスポットがあるの」
 拗ねたような、開き直ったような態度で能登が吐き捨てる。たとえケンカでも、休日に友達(本人は認めないだろうけど)とどこかへ行った経験がない俺にとっては羨ましいことだ。
「良いな。俺も行ってみたい」
「ええっ。だめだよ福井くんは。怪我する!」
「ケンカはしたことないけどさあ」
「だろうね! 福井くんが人を殴ってる姿、想像できねえ」
「殴ったことない。ていうか、人を殴らないといけないような状況に陥ったことがない」
「襲われたら殴ってよ。股間に一撃。大体のやつは怯むだろ」
「さわりたくない」
「蹴るんだよ」
「もしその時がきたらやってみる」
「そうして」
 襲われる想像はしたことがある。元会長が呪いの言葉のように「偉そうにしていなければ襲われるぞ」と唱え続けるものだから、シミュレーションをしたのだ。抵抗できずに終わったが、まだ襲われたことがないから真偽は不明だ。そもそもあの人から口をすっぱくして言われていたのはもう何年も前の話で、そのときと比べたら俺も成長した。
 中学生の頃は今よりも体つきが華奢で、中性的だと言われることが多かったが、成長した今となっては俺はどこからどう見ても男。
 最近偉ぶることができていないにも関わらず誰も何も言ってこないから、俺が気づかずに今まで信じてしまっていた元会長の懸念は杞憂だったのだろう。
 まだ若干眠そうな能登の顔をちらりと覗く。
 俺を襲うのなんて、能登くらいなものだ。
「ちらちら見て何ー?」
「格好いいなあって思って」
「またそれ?」
 は、と短く笑う姿は最近良く見るようになったもの。少し意地の悪い笑みが能登の本性のような気がして、俺は好きだ。
「福井くん、一回休憩しようよ」
「休憩?」
「そ」
「能登くん来てから手は止まってるけど」
「休憩だ、って思わないと休んだことにならねえよ。やらなきゃって思いながら作業しないでいるのって疲れない?」
「まあね。でも俺、さぼりのプロだから……」
「極めてんの?」
「そこそこ」
 肩と肩が触れている。去年の秋から毎日のように通っている生徒会室。もうすっかり当たり前の光景になったこの場所で、普通ではないと思える距離にいる能登のことを考えると頬が熱くなり、能登がいない方向へと視線を逸らし視界から能登を消す。
「どうしたの、いきなりもじもじして」
「……近いなと思って」
「今更?」
 能登が笑い手を顔へと伸ばしてくる。そのままぐいと能登の方へ顔を向かされた。生徒会室は最上階にあり、立地的にも外から見られないようになっている。それなのに、寮の部屋だとまったく気にならない近さであるにも関わらず、今すごく緊張している。まるで恋でもしているかのような激しさで、心臓が脈打っていた。
「近い……」
 チチ、と可愛らしく鳴く声。人間が俺達の姿を見ることはないが、空を自由に飛ぶことができる鳥には、俺達の恥ずかしい距離が丸見えだ。
「日中は恥じらうタイプなのか……」
 能登が呟き、あろうことか顔を寄せてきた。口付けるための行動だということはわかっているし、鳥にも見られているかもしれない。それでも避けるという選択肢はなかった。慣れた生徒会室。しばらく会わなくても思い出せる生徒会役員たちの顔が頭に浮かんだ。
 目を閉じて落ちてくる口付けを受け入れ、片手で能登の手を探す。見つけて、誘うように触れると指が絡められた。
 来ることが当たり前になった生徒会室で、当たり前ではない行為をすることに、俺は自分でも驚くほど興奮してしまっていた。