先輩への昇格
「先輩先輩、見て」
会長に化学を教えてもらった次の次の日の昼休み、会長と映写室に来た俺は、得意げに会長に向けて一枚の紙を差し出した。
怪訝な表情で会長が紙を受け取る。
「テストですよ」
「そうじゃなくて」
俺の赤点回避テストを目の当たりにしても会長は怪訝な顔をしたままだ。なんだろう。不満なのだろうか。教えてくれた会長は俺の化学のクソっぷりを知ってるはずなのに。
「何ですか? 俺、赤点回避できたんですよ! あんたのおかげで!」
ぎりぎりだったが、俺は敵である化学に勝ったのだ。辛勝ではあるが、それでも勝ちは勝ち。俺は田中ちゃんからテストを返された瞬間から天にも昇る心地でいる。
会長に会いたいと思ったのは初めてで、もしかすると最初で最後かもしれない。
「そうじゃなくて」
「そうじゃなくてって? 今日の、つうかこの一週間で一番大事なことっすよ」
「お前にとってはな」
「……ちょっとくらい共有してくれてもバチは当たらないと思うんすけど」
そう言ったら会長は乱暴に俺の頭を撫でてきた。
激しく揺さぶられた拍子に、一昨日会長に叩き込まれた化学式やモルたちが雲散霧消、消え去った。
「はい良かった良かった」
「適当だなあ……」
会長が俺の頭をかき回し終わったのを見計らって、会長の手からテスト用紙を取り戻し、持参した補助バックに大切にしまい込む。
何日か部屋の目立つところに飾っておこう。
「昨日は大変らしかったっすね」
「ああ」
昨日、俺は会長と顔を合わせなかった。
最近は毎日何かしらの用事を見つけて会長が俺の所に来たり、俺が行くように命じられたりしていたが、昨日はなんの音沙汰もなかった。
放課後に副委員長とふたりで構内の見回りをしているときに、最近転校生に夢中で仕事をさぼっている他の役員たちに会長がキレたという話を聞いた。
「本当なんですか?」
「何が?」
「ほかの役員たちにキレたって。先輩根も葉もない噂たくさんあるじゃないですか。だから本当なのかなあって思って」
「だから!」
「何ですか? 先輩まじで今日おかしいんですけど。どっか体の具合でもおかしいんすか?」
「おかしくねえよ」
「そうですか」
明らかに様子がおかしい会長にはこの際触らないようにして、俺は持ってきた手作り弁当を取り出す。
視線を感じて会長を見ると、会長は俺の弁当を凝視していた。
そういえば、一昨日無理矢理晩御飯を作ってあげた時、結構褒めてくれたのを思い出す。
「食べます? 大したもの入ってないけど」
だからためしに言ってみると、会長が黙って持っていた学内にあるパン屋の紙袋を渡してきた。
「どうぞ」
「ああ」
弁当を差し出すと、会長は短い返事をひとつくれて受け取った。
「口に合わなかったら気にせず返してくれればいいっす」
俺の言葉に会長は返事をせず、だまって弁当を食べ始める。
こんなんだったらもう少しちゃんと作ってくれば良かったと少し後悔した。
一昨日までうっとうしいと思っていた会長でも、やはり反応は気になる。
今はうっとうしいのは周りの反応だけで会長自体はうっとうしくなくなったし。
そんな現状だから、少しだけ緊張してこそりと反応を伺っていたら、会長が小さく「合うよ」と呟いた。
だから俺は安心と、調子に乗りやすい性格が混ざり合って、それが煙みたいになってどんどん気分が向上していって、無意識ににっこり笑って「気に入ってくれたなら俺、先輩の分も作ってきますよ」なんておこがましい提案までしていた。
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「そりゃ会長もしどろもどろになるよ!」
午後一発目の体育の授業中、会長の様子を話した時のミキちゃんの第一声だ。
今はEクラスとのサッカー勝負の時間で、やたら燃えているクラスメイトの脇をすり抜けてミキちゃんと二人、木陰でサボっている。
「何でだよ」
「だっていきなりのデレ連発じゃねえか」
「でれ?」
「だってお前ツンデレ……いや、つんつんだったのに」
「ツンデレでもつんつんでもねえよ」
「今日からツンデレだよ。ここにきていきなり呼び方変えるとか」
「会長って他人行儀だろ」
「ほらデレた。けど待てよ」
ミキちゃんが不思議そうに眉をひそめる。
「なんで先輩? 恭ちゃん風紀の先輩とかさん付けじゃなかったっけ?」
みきちゃんの言ったことはその通りで、俺は風紀の先輩たちを先輩と呼ぶことはしていない。その理由はちゃんとある。
「先輩呼びの条件は親しみと少しの尊敬」
「尊敬!?」
「あの心の広さは尊敬に値するよ」
俺は一昨日の会長を思い出していた。
化学の勉強が嫌で自分からお願いしたにもかかわらず、怒ること無く俺をたしなめて、根気強く教えてくれた会長。
会長のことはまだよくわからないし、一緒にいることで面倒くさいことはとても多いけど、会長の心の広さだけは尊敬に値する。
そう上から目線で会長批評をしていると、ミキちゃんが「またデレた」と呆れた声を出した。
「しかも昼一緒に食おうって恭ちゃんから誘ったんでしょ?」
「ああ、うん。テスト見せたくて」
「挙げ句の果てに弁当作ってきますよって」
ミキちゃんは最後に気持ち悪く笑って萌える――と呟き、満足そうに俺の背をぽんぽんと叩いて来る。
「この学校に来てからずっと友達やってるけどさ、俺、こんなにもお前が萌えをくれるなんて思わなかったよ。どうもありがとう」
「……どういたしまして」
なぜか気味悪く感極まっているミキちゃんを置いて、俺は木陰からグラウンドに出た。
ちなみに、弁当に対する会長の答えは、「よろしく」だった。