綾音ちゃん
「木戸、お前俺のこと好きなのか」
「なんですかいきなり」
風紀室に来るなり会長が俺に詰め寄って来た。心なしか意地悪くにやにやしている。
「昨日のこと聞いた」
「昨日? 思い出させないで下さい。本当に思い出しただけでぶん殴りたくなる」
昨日は散々だった。
食堂で転校生に二度も殴られおまけに蹴られた。一撃が重く、夜中殴られた箇所が熱を持ちひどい目に遭った。
「痛そうだな」
会長が湿布で冷している俺の頬に優しく触れ――
「いってえ!」
つんつん突いた。
加減がない突きにうずくまり悶える。
会長はそんな俺を見てげらげらとおかしそうに笑い声を上げている。
「痛そう! まじで痛そう。痛がってる姿結構いいな、お前」
そして、ちっとも嬉しくないことをのたまった。
人から「いいな」と言われてこんなにうれしくないのは生まれて初めてだ。うれしい以前にご遠慮願いたい。
仮に俺の痛がる姿がいいとしたら、サド属性のある人たちにモテモテになっちまう。そうしたらただでさえモノクロの人生が真っ赤に染まる。バラ色の人生? ブラッドライフだ。心の中でボケとつっこみを一人で行うが面白いほど面白くなかった。
「あやねちゃん……」
「あ?」
「そんなに突いたら痛いよ綾音ちゃん」
「……」
会長を伺い見れば、阿呆みたく呆けた会長がいた。
「昨日先輩の名前知ったんですよ、俺。意外とかわいくてびっくりしちゃいました」
色々な復讐にからかう。
昨日転校生にやられたやつ当たりと、会長につつかれて笑われたのと、俺のお笑いセンスに絶望したのをすべてひっくるめて会長で解消しよう。
会長で解消。韻を踏んでしまった。
しかし、会長は俺の望んだ言動を何一つとらなかった。
それどころか、会長は俺の揶揄など気にするそぶりも見せず、それはもう綺麗に微笑んだ。
「美しさと格好よさと男らしさ、加えて可愛さまで持ってるなんて俺最強だろ」
そうして会長は何を思ったか、いまだうずくまっている俺に目線を合わせるようにしてしゃがみ込み、シャツの中に手を入れて来る。
会長の手が昨日蹴られた所に触れたとき、俺の体がびくりと跳ねた。
「……痛いんすけど」
「はは、おもしれえ」
なんだこいつ。もしかしてサドか。本物のサディストか。じゃあ拒否しない俺はマゾか。あほか。
「木戸は俺のこと好きなの?」
会長がさっきと同じ質問をして来る。
そりゃ好きかと問われたら好きだろう。昨日腹と頬が痛くて眠れなかった時、そのことばかり考えていた。
転校生と副会長に「会長からはなれろ」と言われたときに、離れる、と言わなかったんだから。
あの時は頭に血が上っていたにせよ、周りからの罵声もすごかったし、あの場で会長と離れます、金輪際近づきません、とでも言えば前みたいな割と平々凡々な生活に戻ることが出来たはずなのに、俺はそうしなかった。
というか、離れないよ、みたいなことを言ってしまった気がする。恥ずかしい。
よほど「会長の方から来てるんだ残念だったなざまあ見ろ!」と訂正したかったが、最近は会長といることが少し、ほんの少しだけ楽しくなっている自分を認識しているので、のど元まで出かかった言葉はそのまま飲み込んだ。
俺は会長のことが好きだ。じゃなきゃ早々に会長から離れてる。
俺には、嫌いなやつと一緒にいる趣味は無い。
ただ、ここで会長が俺に聞いている『好き』の意味を計りかねる。
友達に向かって冗談で「お前俺のこと好きなんじゃねえの?」と言うことは――こちらも寒いが――あるかもしれないが、真剣な顔をして「お前俺のこと好きなの?」とは言わない。
じゃあなんだ、今の会長は割と真剣なようだから。「好きなの?」は恋愛感情でっていうことか? それとも、友達が少なそうな会長のことだから何でもかんでも「好き」を適用するのか?
どちらにしても変わらないことは、俺には会長に対してまだ恋愛感情は無いということだ。
「好きってどういう意味ですか?」
だから考えてもわからないことは聞け。
これで恋愛でと返ってきたらその時はその時で少しは意識してやってもいいだろう。
なんて上から目線で妄想するが、確か会長って「普通の友達」がほしかったんじゃないのか?
俺が勝手に思い込んでるだけだけど、俺の予想は外れていたのだろうか。
それとも、これは俺を試しているだけで、俺が好きですなんて言った瞬間じゃあさようならって行ってしまうのだろうか。
けど、会長はにやにやしているし、不愉快なことに楽しそうだし、それはない気がした。
俺がぐるぐると考えていると、ようやく会長が口を開いた。
「キスしてやろうか」
「はい?」
予想外の提案。
わからないことは素直に聞くべき! なんてわかったようなものいいで聞いたのは間違っていたようだ。質問をしても期待した通りの答えが返ってこないことなんてたくさんあるっていうのに、なんでも聞いてしまえという考えはどうやら改めた方がいいらしい。
「いらねえのか」
「……いらないですよ」
「なんで?」
「だって俺と先輩付き合ってねえし」
会長は「あ、アメ食う?」「いらん」「あ、そう」くらいの日常的なノリで、キスなんて友達的には非日常な単語を会話に出す。
けど、俺は付き合ってるやつとしかキスしない。
不可抗力でされたことはあるけど、それはキスじゃなくて不慮の事故だ。それか向こうの過失だ。
「あ、そう」
そうして会長はまた楽しそうに笑った。
俺の答えは正解だったのだろうか。意味が分からない。何を聞きたいのかも、何をしたいのかもさっぱりだ。
というか、正解とか不正解とかはあってほしくない。
徐々に育っていた会長の言葉の裏を理解できるようになって来たかもしれない、という自負は今日で粉々に砕け散った。
「って、近ぇ……」
気がつくと、会長の顔がすぐそばまできていた。
「木戸って俺のこと好きなの?」
「嫌いだったらこんなに一緒にいませんって」
「じゃあ好きなの?」
「なんなんですかあんたは!」
しつこく聞いて来る会長に苛立つ。
これだけしつこく聞かれたらもしも俺が会長のこと大好きでも絶対に素直に言わない。
そういうあまのじゃくの所を会長はまだ知らない。
いや、知っているだけで遊んでいるのかもしれないが。
とりあえず近づきすぎた会長から距離を取ろうと、しゃがんだ体勢のまま少し後退さる。
「ていうか綾音ちゃんしつこいんですけど! なんだよ、お前こそ俺のこと好きなんじゃねえの」
「うん」
「うんって! つうかあんた友達付き合いの経験値低いからわかんねえのかもしれないけど、普通友達に『俺のこと好き?』って聞かないよ」
わかってないようだから教えてやる。
そうしたら会長は、わかってるんだかわかっていないんだかわからない、いつもの不敵な笑みをたたえて、「ああ、そうなの?」と笑った。
「そうだよ……」
今日の会長はいつもの五割増で疲れる。
おまけに昨日殴られた頬も蹴られた腹も痛いし、夜中に転校生に心の中で不幸になれ不幸になれと呪いをかけたのに、天使のような見てくれはみんなに大ウケで割とノーマルな俺のクラスにまであいつのファンが出来たし。
状況は確実に俺に味方していない。
少しずつ悪い方に流れていっている。
人の顔でしか価値を測れない生徒が多すぎて、風紀委員でいることさえ苦痛だ。
そもそもなりたくてなったわけでもないのだ。
「何考えてんの?」
落ち込む俺の頭に、会長の大きな手が置かれる。
「風紀の仕事が落ち着きそうだから喜んでるんですよ」
「へえ」
そう言うと、俺の頭にある手が、ゆっくりと労るように動き出した。
幼いころ、友達とけんかしてひとりになるたびにこうやって頭を撫ででくれた父親のことを思い出す。
それから時の流れの中でみんな変わっていってしまったけれど、過去にも思い出にも罪は無い。
会長のわけのわからなさに対してのいらつきはなくなっていた。
考えることを放棄して撫でられている暖かさに全てをゆだねれば、こんなにも心穏やかになる。
この日、俺はスキル「現実逃避」を覚えた。