とるにたらない話
転校生に殴られた頬の痣も薄くなったころ、俺の見回りや会長の仕事がない時は、会長とふたりで昼食をとるようになっていた。
「木戸、お前行かなくていいのかよ」
いつもの映写室――会長が窓の外を見ながら言った。
弁当を食べる手を止め窓を覗き込むと、木の陰に揉み合う二つの影が見える。
どうやら一人がもう一人を押し倒そうとしているようで、抵抗している方の服がはだけている。
「いいんじゃないっすか?」
「は?」
「面倒くさいし、行きませんよ」
俺は椅子を引き寄せて、ふたりがよく見える位置に移動し、また食事を再開した。
「職務怠慢」
「……だって見て下さいよ。一対一だし、力も互角っぽい。何より男なら自分の貞操くらい自分で守れって話」
「風紀が言う台詞かよ」
俺が自信満々に言い切ると、会長が呆れた顔でため息を吐く。
「だって俺本当は襲われてる男の子助けるよりも髪の毛染めてたりピアス開けてたりさ、そういう『風紀』を正したいんです」
そう言って、会長をちらりと見る。
「けどさ、会長自身が髪の毛染めてるし、制服着崩しちゃってるし、俺んとこの副委員長なんて『取り締まりの歩く見本』って感じじゃないっすか」
「似合ってればいいだろ。似合いもしねえのにおしゃれぶってるやつらこそ取り締まれよ」
「顔面差別!」
一瞬本気で会長の神経を疑ったが、本人としてはほんのジョークだったようでしてやったり顔で笑っている。
手作りの出し巻卵を咀嚼しつつ、少年二人を見る。
どうやら襲われた側が勝ったようで、高らかに拳を突き上げている。
反対に、負けた方はというと、よっぽどやりたかったのか地面に拳を叩き付けて悔しがっている。
あんなに元気ならまだ戦えるだろうに。
しかし、それがふたりのスタイルなのかもしれない。
「木戸さあ」
「なんです?」
少年二人から会長に視線を移すと、会長が真面目な、何か重大なことでも告白しそうな顔で俺を見ていた。
整ったやつの真顔は、様になりすぎていて腹が立つ。
「男の裸見てどきどきするわけ?」
「しないですよ!」
「あ、そうなの?」
何かと思ったら、なんともくだらない。
俺がバイだと告白した日からこれまで全然突っ込んでこねえなと思っていたがここで来たか。
「やらしい妄想しないで下さい。俺は周りみたく下半身で恋愛してんじゃなくて、心でしてるんです。心で!」
「……」
俺の主張に会長の口がひくりと動く。
引いているのか。
でも、今回は引かれても主張を引っ込めるわけにはいかない。
俺は『風紀』委員だ。みだらな学生生活は風紀の乱れ。生徒の学生性活を正して行くのも風紀の役割だろう。
「大体みんな付き合ったらすぐ突き合って、俺はね、あ、先輩ちゃんと聞いてます? 俺はね、本当の恋愛というのはこうやって一緒にいたり見つめ合うだけであったかくて幸せな気持ちになれるものだと思うんですよ」
そう言って会長の目を見つめる。会長も俺の勢いに呆れながらも視線を離すことはしない。
「やっぱ先輩相手だと別にあったかくなんねえや」
「……キスとかしねえの?」
「キスは三ヶ月それ以上は半年からです。校則に組み込みたいです」
会長は「無理だろ……」とまたため息を吐いた。
「お前さあ、童貞?」
「そうですけど」
「あ、そう」
「あ、そうって! なんですか! いいじゃないですか! 性の乱れが社会問題になっているこの現代日本で童貞は褒められはせよ鼻で笑われる筋合いなんてない」
「別にバカにしてねえよ。つうか橘とはどうなんだよ。セイノミダレだろ。SMも」
「あれは商品開発の一貫です。ギブアンドテイクです」
「商品開発でお前も開発されてるって訳か」
「されてませんよ! だからやらしい妄想止めてってば。本当に先輩が思ってるようなことしてませんから。むしろ俺の大嫌いな化学の実験って感じだし。実施と測量?」
「どんなことしてんだよ!」
思い出してうんざりする。
一番新しいのは『わくわく★SMセット~ハードにきめて~』か。
「まあいいか。木戸ってさ、女の子と付き合ったことはあんの?」
俺が『わくわく★SMセット~ハードにきめて~』の回想に入るすれすれの所で会長が新たな話題を提供してくれた。
ありがたい。そして、俺はこの時会長があほみたいに驚くことになるのを予期していた。
そんな確信を持ち、少しだけ顎を引いて、にやりと口の端を吊り上げて会長を見据える。
「驚かないで下さいよ、先輩」
いつになく自信ありげな俺に面して、会長がほんの少し緊張したのが伝わって来た。
「俺、小学校の卒業式を最後に現実世界で女の子見てないんです」
「えっ」
「この学校の敷地内から一歩も外に出てませんから」
「……」
会長が驚き、箸でつまんでいた俺の特製だし巻き卵が机の上にぽとりと落ちる。
それを会長は掴み直し、俺の口に入れた。
落としたものは自分では食べないがもったいないから俺にくれる。もったいない精神の持ち主でありいやなやつだ。
「面倒くさいなって思って帰らないうちに丸3年も経ってたんです。町に出るのも面倒くさいし」
「……あ、そう」
会長は俺を信じられないものでも見るような目で眺めた。
そういえば、会長は休みの日によく町に出るという話は有名だ。
「木戸、今度どっか――」
「行きません」
会長の提案を最後まで聞かずに耳を塞いで机に突っ伏す。
面倒くさいなんて言ったが丁度三年を過ぎたあたりからだろうか、つまり今年から外の世界が恐くなり始めたのだ。
俺と外の世界のつながりはもはやテレビとネットのみだ。しかも治安の悪化とか、凶悪事件とかばかりが目に入る。
まれに強姦とか傷害事件は起こっても殺人事件なんて起こらない平和な学園内にいすぎたせいか、外を歩けば死ぬ。こんな考えが俺に生まれた。
この冬に東京の大きな祭典に行ったミキちゃんは、「まるで戦場だった……」という言葉を残して倒れ、こんこんと眠り続けた。もう日本は祭りでさえ戦らしい。危ない。
それに比べればここはなんて平和だろう。ユートピア。桃源郷はあったんだ。
「まあ、いいけどよ」
てっきりしつこく言って来ると思われた会長は、あっさりと引いた。
「木戸」
「なんですか?」
「これ、なんだ?」
突っ伏したまま、顔だけを少し上げて会長を見ると、会長は俺の特製ウィンナーを箸でつまんでいた。
「ただのウィンナーです」
「そりゃわかるよ。形」
「タコさんっすよ。タコさんウィンナー。会長知らねえの? だっさー!」
今度こそ起き上がりぷくくと笑う。
幼稚園児が喜ぶおかずを知らないなんて可哀想なやつだ。
「なんだよ。タコさん足4本しかねえじゃねえか」
「8本にしたらきもいんですよ! 俺の非じゃないです。優しさです」
「ふーん」
そう言って会長がタコさんウィンナーを頬張る。
その時にぱりっと小気味良い音が鳴った。
「タコさんあらびいてんな」
「粗挽き使ったから。高いやつ。うまいでしょ」
「ああ」
会長は素直に頷いた。
「普通の形のよりおいしい気がする」
「それは俺が作ったからだろ」
綺麗な目でおいしいと微笑む会長に、俺も嬉しくなり柄にも無く普通に笑い返す。
こんな取るにたらないやり取りをしている時、とてつもなくあったかくて幸せな気持ちになっていたことに、俺は気付いていなかった。