早寝記録

会計くん

 打ち終えた資料をプリントアウトし、左上をクリップで留める。
 あとは会長に届けるだけなのだが――

「こえーなあ」

 生徒会会計――常磐美散(トキワミチル)は、大きくため息を吐いた。
 でも、それでも行かなければならない。
 転校生――皆取真希(ミナトリマキ)が来た当初は、皆取も割と普通で、彼や副会長の周りで起こることを見ているのが楽しすぎて仕事がおろそかになってしまったので、生徒会役員で唯一皆取にくっついていない会長が俺たちに仕事をしろとキレた。
 会長はいつも俺たちに何かしらいらだっているが、あの時は恐かった。

 しかし、それだけならこんなにも行くのが嫌だということはない。
 俺は会長に怒られ慣れているからだ。
 
 もうひとつの行きたくない理由は、仕事をしなかった時と同様、会長がキレたからなのだが、程度が桁外れに違った。

 今日のように自室で仕事を済ませ、会長の部屋に届けに行った際に、なんとなく、本当になんとなく皆取が食堂で風紀の一年と揉めたことを話題に出した。

 あの風紀委員が最近会長と仲良くしていることを俺は知っていたし、だとしたらもう本人から会長に話が行っていると思ったのだ。
 だから、軽い気持ちで「災難だったなあ」みたいなことを言ったと思う。
 そうしたらそのことをまだ知らなかった会長が、いつもの不機嫌な顔をさらに歪めて問いつめて来て、俺はその時の出来事を詳細に説明することになった。

 そしてその足で皆取とその仲間たちがいる部屋に会長を連れて行かされて――

 あぁ、その時のことは思い出したくない。
 同じ年のやつに泣くほど説教されるなんて俺の人生でないと思ってた。
 本当に恐かった。会長はその時般若を背負ってた。阿修羅の恐い方だった。「サタン様はこんな感じよ」と言われたらしっくり来そうな雰囲気だった。

 資料を持ち、部屋を出る時に鏡に映った自分はひどくげっそりしていた。
 数時間前に寮に帰って来た時はいつものように男前だったのに、この数分の回想だけでこんなにも人は変われるのだろうか。
 いや、変われたのだ。恐怖ってすごい。

 本当に恐怖はすごい。
 あのヒマさえあれば口より先に手が出ていた皆取も、よほど会長の説教が効いたのか、この前足を引っかけられても拳を握りしめてぐっと堪えていた。
 それを見たときに俺は、感極まってしまった。
 他に皆取にくっついていたやつらを見たら、そいつらも同様に感極まっていた。
 俺は役員以外の取り巻き――大和と佐々木と、「皆取に落ち着いてもらおう同盟」を組んでいる。
 本当は星の王子様とか火○るの墓とかを噛みしめることで段々と平和的になってくれたらいいなあと思っていたが、これはこれでありだ。


 そんなことを思い出しながら、会長の部屋の前に立ち、なんでも勢いが大切なので、ためらわずにインターフォンを押す。
 すると、ほどなくして中から会長が姿を現した。

「何?」

 会長にいつもの覇気はなかった。眉間に皺は刻まれているが、いつもはひたすら不機嫌な男に、いらだちよりも大きく当惑が現れている。

「資料作って来たよ」
「ああ、どうも」

 会長はそっけなく、だけど律儀に礼を言って、資料を受け取った。
 会長が確認のためにざっと資料に目を通す。

「……ごっそり抜けてんだけど」

 会長の雰囲気が剣呑なものに変わる。

「……これさあ、期限もう過ぎてんの知ってるよな」

 怒鳴られるのと静かに追いつめられるのだったら、俺は怒鳴られるのを選ぶ。会長の頭にあるはずのない角が生えて来た気がした。

「ごめんごめん! けど大丈夫よ、俺、明日までにちゃんとやるからさ! ね、夜でも朝でも同じでしょ」

 いや、普通に期限すぎちゃダメだろ、と自分でも思うが、俺は怒られたくない一心で言い訳をする。
 そして、睨む会長にとにかく謝る。
 いつもなら謝ったって許してくれず、説教が始まるが、今日の会長は違った。

「……必ずやってこいよ。俺、明日の昼までは生徒会室にいるから」
「はーい。ありがとう会長! ……あれ?」
「なんだよ」

 資料を受け取るために視線を下げた時、玄関に見慣れない靴があるのに気がつく。

「誰か来てんの?」

 会長がぎくりとした。
 会長の友達といったら真っ先に思い浮かぶのは橘だが、あいつが部屋にいた場合100パーセントの確率で会長にくっついてやって来る。

「あぁ、もしかして風紀の1年の子?」

 俺が確信を持って言った時、奥から「ご飯出来たんだけど」という愛想のない声がした。会長は焦ったようにちらりと奥に目線をやったが、そのまま俺に向き直り、口を開く。

「先輩、ご飯出来たって!」

 しかし、会長が何か言う前に、風紀が不機嫌そうに声を上げながら、奥からひょっこりと顔を出した。そして俺に気がつくと、彼の少しつり気味の目が大きく、まるで猫みたいに見開かれる。

「インターフォン鳴った? ……俺、気付かなくて、悪かったよ」

 風紀が気まずそうに謝ったが、俺の目の前にはさらに気まずそうにしている男がいた。

「いや、いいんだけど……」

 そして、俺たちにはいつも不機嫌丸出しの言葉しかくれないくせに、会長が歯切れ悪く受容した。

 俺は思った。これは会長の弱みを握るチャンスかもしれない。
 この時、俺はある噂を思い出していた。
 俺の親衛隊の子が教えてくれたが、最近の会長は風紀の一年と笑いながら歩いているだとか、無邪気に爆笑していただとか……。さらに、その親衛隊の子はここにいる風紀の子と同じクラスなのだが、先日ついに会長がご機嫌な様子で教室に現れたという。
 
 俺はこの前の食堂皆取ご乱心事件の時に会長がキレたのは、多くの生徒がいる中で問題を起こしたことと、俺たち役員が皆取を止めなかったからだと思っていたが、この様子じゃこの風紀の子を皆取が殴ったことが原因だろう。

 となると、会長はきっとこの風紀のことが好きだ。
 近付き難いとは言われているが、俺たち役員以外には普通に応対する会長だけど、ひとりの生徒をこんなに気に入ったことはないし、何よりも会長の目がそう物語っている。
 さらにさっき風紀が謝った時の会長の態度が決定的だった。いつもは、他の生徒が見ていても俺たち役員への態度を変えることはないのに。
 おそらく怒る自分を見られたくないのだ。
 恋愛経験だけは人並み以上にある俺が思うんだから間違いはない。 

 これは会長の弱みを握るチャンスだ。
 弱みを握ってしたいことがあるわけでもないが、皆取にくっついている理由が「おもしろいから」というだけの俺にとって、これは日々の生活が楽しくなる一大チャンス。
 皆取は予測できない行動をよくとるし、役員たちの振り回されっぷりも見ていて面白かった。
 途中からは「こいつ、なんとかしないと……」という心配しかなかったけど。
 そういう過程もあって、俺の人生には今圧倒的に「おもしろさ」が足りない。
 まごつく会長は、絶対おもしろい。
 だから、この二人とお近づきになりたい。そうしたら「恐い」以外の愉快な会長も見ることが出来そうだ。

 どうやって近づこうか考えていると、中からおいしそうな匂いが漂って来ているのに気がついた。

「君、料理できるの? おいしそうな匂いがしてるねえ」

 にっこりと、外も中もチャラいと言われる評判通りの笑みを浮かべ、会長越しに風紀を見る。

「え? ああ、あの……食べていきます?」
「え? いいの!? ありがとう食べる食べる!」

 風紀の口から簡単に欲しかった言葉が出たことに、心の中で盛大にガッツポーズをした。
 会長は「だめだろ……」と言いつつも、俺に帰る気がないのがわかると、気の抜けた様子で俺を招き入れた。