犬っころ
「ああああああのきききき木戸くん」
3時間目に中庭の見回りをしているとき、背後から声をかけられた。
震えた声に振り向けば、顔を真っ赤にしてぶるぶると震えている小柄な少年がいる。きちんと詰襟のところにつけられたバッチを見ると、俺と同じ一年生だということが分かった。
「どうしたの? なんかあった?」
見たところとてもまじめそうな生徒で、授業をさぼるタイプには見えない。だから何かあったのだろうかと質問を投げかけたが、少年は今にも沸騰しそうなまま動かない。
「あああああああああああああのぼぼぼぼぼぼぼぼぼく」
「おおおおおおおおおお落ち着いて」
つられて盛大にどもってしまった。
このままいても埒があかないと感じ、少年の背に手を添えて中庭のベンチに誘導する。
隣に座り、真っ赤な少年の背をさする。
「もしかして暴漢にあったとか。怖い目に遭ったとか」
「ごごごごごごめんなさい、ぼ、ぼく、あがり症で」
「あ、そう、なんだ」
あ、そう、といいそうになり、途中でこれは会長の口癖だということに気が付き、なんだか移ったみたいで悔しくなったのでとっさに「なんだ」を付けた。
「ああああああの、ぼく、ずっ、ずっと木戸君を……」
そこで言葉を区切りさらに赤くなる少年に、え? 何、告白? とテンションが上がる。
好意を持たれるのは嫌いじゃない。
否が応にも心臓が高鳴る。
「ぼく、ず、ずっと木戸君におおおおおお礼がしたくてっ」
「……あ、お礼?」
「そ、そう。あの、こ、この前ゆ、夕食の時に、あの、転入生の子からた、助けてくれて、あああありがとう」
少年がさらに赤くなり、そのまま俯く。人ってここまで赤くなれるんだ、と少し感心した。
それにしても、あのときの不憫な生徒だったのか。あれは殴られ損だったともやもやしていたが、わざわざお礼を言いに来てくれる子なら、殴られた甲斐があった。
「いいよ、お礼言ってくれてどうも」
俺がそう言うと、少年が勢いよく顔を上げた。まめしばみたいだ。
「ああああの、ぼく、ほんとうはすぐにお礼言おうと思ったんだけど、ゆゆゆゆゆゆ勇気がで、出なくて、お、遅くなって」
「ああ、いいよ別に。つうかお礼言われることなんて滅多にないし」
「でででででも、ずっとお礼言おうと、お、思ってきょう、今日も朝からストーカーみたいにつつつけてて、ご、ごめん」
自分でストーカーみたいというまめしばに思わず吹き出す。それにしても、ちっとも気が付かなかったし、この子風紀委員調査係とかできるんじゃないだろうか。
「いいよ。ねえ、名前何てえの?」
今度委員長に打診してみようと思い名を聞くと、まめしばははじかれたように立ち上がって、「さ! 佐伯です!」と大声を上げた。
「佐伯君ね。おっけー」
佐伯君は俺の下心になんて全く気が付かないようで、また座りなおすと、おずおずと「けがは治ったの?」と聞いてくる。
そういえば今まで俺に大丈夫? なんて声かけてくれた人なんていなかったなあ、と感動してしまった。
それどころか、会長なんてつんつんつっついてきたし、けられた腹も押してきたし、最悪。
でも一番最悪なことは、さっきから俺の頭の中にちょくちょく会長が出てくるっていうことだ。
なんかこれじゃ俺が会長のことを好きみたいで負けた気がする。そもそも俺が会長に勝ってるところを見つけるのは至難の業で、それも腹が立つ。
「や、やっぱりまだ痛い?」
「え? ああ、もうすっかりいいよ。どうも」
へらりと笑ってみると、つられた佐伯君もへらりと笑い返してくれた。
やった、成功だ。
俺は初めて笑おうと思って笑った笑顔が人を不快にさせなかったことに、ものすごく感動した。
矛盾しているが、この状況で一人だったら確実にこぶしを天高く突き上げて雄たけびを上げる。
この前間近で見た会計をまねしたのだが、もしも今度どこかで会計とふたりになることがあったら、礼をしとこう。
「何してんの?」
その時、また後ろから声をかけられた。
その瞬間びくつく佐伯君。
「木戸、見回りのはずなのにさぼってデート?」
「まさか。仕事ですよ。つうかなんであんたがいるんですか」
中庭は校舎から離れており、さぼりの生徒やいけない目的の生徒、あとは美化委員くらいしか来ない。
「俺、木戸の見回り表持ってるんだよ」
「なんで!」
「生徒会で風紀委員のスケジュールが必要だって言ったら橘がくれた」
「職権乱用じゃないすか」
「使えるものは使え。座右の銘だよ」
「あ、そう」
会長はまるで遠慮などせず、ケツでぐいぐいと俺を押しながら二人掛けのベンチに無理やり座った。
くつろぐためのベンチでこんなに窮屈な思いをするなんて思ってもみなかったし、隣にいるのは初めましてのあがり症の少年なのに。
佐伯君を見ると、一時は落ち着いたかに見えた顔がゆでたこのように真っ赤になっている。
「大丈夫ー? 佐伯君」
顔を覗き込むと、佐伯君は目を大きく開き、口をパクパクさせながら会長を見ている。
「あれ? 真っ赤になってるの佐伯君じゃん」
「あ、会長知り合い?」
「俺の親衛隊の子」
「あ、そうなの?」
「隊員名簿に載ってた。俺、人の顔覚えるの得意だから」
「誰にでも取り柄ってあるんですね」
軽く会長に憎まれ口をたたき、佐伯君に注意を払うと、佐伯君はまたもはじかれたように立ち上がり、「おおおおおおおおおおおおおおおおここここここここここここききききき木戸くんあああああああああありぃぃ」とわけのわからないことを言って走り去ってしまった。ただ一言「木戸君」だけは聞きとれた。
「ふは! 何あれ。おもしれえ!」
会長が佐伯君のあがりっぷりに笑い声をあげおもしろがる。
「かわいいですよね。まめしばみたいで」
「まめしば? 犬か」
「はい。俺、犬好きなんですよ」
「何? ああいうのがタイプなのか」
「……なんですぐそういう方向に結び付けるかな。ちなみに俺、かわいいのよりかっこいい方がタイプです」
「あ、そう」
あ、そうって言った。
やっぱり会長の口癖なのか。
「じゃあ俺か」
「何がですか」
「俺、かっこいいじゃん」
「……自分で言うかよ」
会長はたしかにかっこいいけど、このナルシストに向けて素直に「そうですね」なんて言うのは悔しい。
「俺、前にも言ったけど、心で恋するんです。そりゃあ顔が良いにこしたことはないけど、そこまで重要視してません。だから中身がかっこいい人がいい」
ほんとは顔もかわいいとか綺麗よりかっこいい方が好きだけど、無駄にひねくれた性格が見栄と意地を呼び起こす。
会長を見ると会長がにやにや笑っていて腹が立った。
「なんですか」
「いや? 俺はかわいい方がいいなあって思ってさ」
「女の子?」
「どっちも」
「どっちも?」
「どっちも」
「あんたに男の趣味なんてあるんですか」
「仮定の話」
「あ、そう」
じゃあ俺なんてかすってもねえじゃねえか、と思ったところで別にそういう意味で会長のことなんて好きじゃない、ということを思い出した。
ひどくいらいらする。
さっきから脳内の会長にもほんとの会長にも引っ掻き回されてばかりだ。
「なあ」
「なんですか!」
「何怒ってんの? あ」
「なんですか」
ひとり合点がいったように会長が彼お得意の不敵な笑みを浮かべる。
「安心しろって。木戸は木戸で好きだよ」
「別にうれしくないし何勘違いしてるんですか。自意識過剰は罪だ」
まあ、俺が一番の自意識過剰だけど。
勝手にひがみ、勝手に落ち込む。
「なあ」
「今度は何ですか」
「お前さ、風紀向いてないんじゃねえの?」
「向いてないですよ。けどなんで」
「だって俺があとつけててもいっこうに気づく気配ないし」
「つけてたって」
「タルそうに歩く木戸をつける佐伯君を見ながらつけてた」
「三段階か!」
はっとして後ろを振り向く。会長の後ろにも誰かあとをつけている人がいるかもしれないと思ったからだ。けど、どうやら杞憂だったようだ。
それにしても、会長がついてきていることがわからないとは、佐伯君の風紀入りはなしだな。