早寝記録

デミグラス

「お願いがあるんですけど」

 風紀委員会会議が行われたその日に、俺は会長を寮に付属しているスーパーに呼び出した。

「なにか食べたいものがあったら何でも言ってください」
「なんだよ。いっつもめんどくせえっつって手間かかんねえのしか作んないのに」
「……そんなわけないじゃないですか。いつもはあれです。なんだっけ? そう、つんでれ?」

 ミキちゃんの言葉を思い出す。
 こんなに下手に出なくてもたぶん会長は相談に乗ってくれるが、さっき宮田さんが言ってたことが引っ掛かっている。
 あのときは「ないない」と適当に返事をしていたが、もしも会長が転校生にキレた理由が俺が殴られたからだとしたら――
 まあ、違っても恩を売っとくにこしたことはないなと、これが恩を売ることになるのかも考えずに、想像で熱くなる顔を冷まそうとする。

「なんか気持ち悪ぃなあ」
「気持ち悪いは失礼です」

 訝しがる会長の腕を取り店内を進んでいくが、すれ違った生徒ににらまれて慌てて腕を掴んでいた手を離す。

「なんだよ」

 それに気づいた会長がにやにやと嫌な笑みを浮かべて俺の右手を自らの左手で握った。
 わけがわからず放心する。

「な、何すんの!」

 会長が一度だけぎゅっと強く握ったことで我に返り、かっこ悪くどもり大袈裟に手を振りほどくと、会長がおかしそうに笑った。
 その笑みにはいつもの含みだとかは一切なく、ただの純粋な笑みだった。
 なまじ恐ろしく整っている顔立ちな分その破壊力は絶大で。
 つうかなんで照れてんだよ俺! 前まではなんともなかったじゃねえかと今度は自分に戸惑った。

「手ぐらいで照れんなよ」
「……照れてない」

 異様に距離を開ける俺をまた会長は楽しげに眺め、「オムライスとプリンがいい」と妙にかわいらしいリクエストをした。

 この時、俺はあんな思いをすることになるとは思ってもいなかった。





 会長の部屋のテーブルに自分でもよくできたと胸を張りたいくらいのふわふわデミグラスオムライスを並べる。
 中もうまくいったし、卵もふわふわだし、デミグラスソースも自分的には完璧だ。

「すげーな」
「うまくいきましたよ」

 そうして俺と会長は上機嫌で席についた。
 大きめのスプーンで卵を割ると、湯気とともに良いにおいが広がった。
 一くち口に入れ、そのおいしさに身もだえる。
 どや顔で会長を見ると、会長も幸せそうな顔をして食べていた。

「あのさ」
「何?」
「転校生を大人しくさせたのって先輩なんでしょ?」
「結果的にはそうかもな」
「どうやったんですか?」

 会長は俺の問いに一口水を飲んでから口を開く。

「どうって……暴力はいけませんって言っただけ」
「本当に!? それだけで効くのか……」
「……あぁ」

 だとしたらやはり転校生が会長に惚れてるというのは本当なのだろう。だって惚れた相手でもなきゃあの口と手が同時に出るようなやつが暴力はいけませんって言われたくらいで収まるとは思えない。
 だとしたら、かなり本気で会長のこと好きなんじゃないのか。
 とたんにあれだけおいしかったオムライスの味が消えた。
 おいしいものでも口が慣れると味が消えるのか。

 そんなことを考えているときに、もしも転校生に告白されたら会長はどうするのかな、という疑問が降ってわいた。
 ノンケだから受けることはないだろうと思う思考の片隅で、女の子よりも可愛い転校生の姿が脳裏をかすめる。
 現にノンケが多い俺のクラスのやつら数人が皆取のファンクラブに入った。
 人の人生を狂わせるだけの可愛さが転校生にはあるのだ。
 しかも、会長の話を聞いて大人しくなったのなら好感度も上がるだろうし。
 それに、女でも男でも会長の好みは可愛い子らしい。
 もしも転校生と会長が付き合ったら、俺はもうこうして会長とご飯を食べることも風紀室の奥の部屋で放課後を過ごすこともできなくなる。弁当作りは面倒だからなくなっても良い。

「いきなりなんだよ。テンション急降下じゃねえか」
「ああ、はい。まあ」
「? 変」
「……俺、転校生を更生させなきゃならなくなったんです」

 くだらない妄想をして寂しくなったのが悔しくて、早々に本題に入る。
 今のもやもやを押し出そうとした俺の目論見がさらに状況を悪くするだなんてこのときは思わなかったからだ。

「……今なんて言った」

 てっきり「お前貧乏くじ引いたなあ!」とか、俺の不幸を笑ってくると思っていた会長の反応はまるで真逆のものだった。

「え、だから、今日の風紀会議で」
「転校生を更生させるって?」
「なんだ、聞こえてるじゃないですか」

 剣呑な雰囲気にあえて気づかぬふりをして、のんきに笑う。

「誰が決めた」
「みんなで……っていうか、ほら、プール開きと夏休み近いし、みんな忙しいしで、俺しか動けるのがいないって」

 俺たちの学校では一学期の期末が終わったあとに、プール開きのついでに水泳大会が行われる。ホモ校での裸と裸のぶつかり合いは様々な事件を起こすので入念な準備が必要なのだ。夏休み関係でも、休み中に寮に残る生徒の把握などやることは多い。そのため、委員長やほかの幹部はせわしなく動き回っているし、その下は休みなく見回りにつかなければいけない。
 俺は予防よりも事後処理の方が向いているし、自室でもできる仕事が多いので、手が空いているのは俺しかいない。
 それをわかっていてあれだけわがままなことを言ったのだ。みっともないが、どうしても嫌だった。

「橘に話つけてやる」

 会長がスプーンを置いて立ち上がり、リビングから出て行こうとする。
 それを追いかけ、腕をつかんで慌てて制止した。
 会長は俺の手を振り払うことはせず、足を止めてこちらに向き直る。

「もう決まったし、やんなきゃいけないんだからいいんです」
「じゃあ俺がやってやるよ」
「い、いいってば! なんで会長がやってくれようとするんだよ」

 俺がそう言うと、会長は一瞬言葉につまり、視線は宙をさまよった。

「そんなの……そもそもは生徒会役員が悪いんだし、……木戸にやらせることじゃないだろ」
「大丈夫ですよ。食堂じゃなかったら俺だってやり返します」
「あいつ強いよ」

 会長の言葉に今度は俺がぐっとつまる。

「俺は、俺はただあんたが転校生を大人しくさせたから、どうやればいいか聞きたかっただけ」
「……怪我した木戸をつつくのはもう十分満足したし」
「なんですかそれ」
「俺だったら木戸より簡単にできるしよ」

 会長が柔らかく目を細める。
 けど、その優しさは俺をいっそう惨めにした。

「そりゃあ、あんたなら簡単にできるかもしれないけど……そこまで頼りたい訳じゃない」

 話すにつれてだんだんと窄んでいく言葉が情けない。今の状況もかなり情けない。
 俺は風紀委員なのにやりたくないって駄々こねて、俺が弱いせいで会長に心配されている。
 会長は生徒会のせいとかつつくのに満足したからって言って、俺に対して「心配」とか「力不足」とかいう言葉を出してこないけど、それは俺に気を遣ってるだけだ。
 さっきの宮田さんにだって省吾にだって気を遣わせて、あんなの仲間じゃなくてただ俺が足を引っ張ってるだけじゃないか。最悪。
 自分の情けなさにいったん気づいてしまうと、何から何まで自分はだめだという気持ちになってくる。
 いたたまれずに会長の腕をつかんだままうつむく。
 会長が困ったように俺に目をくれたのがわかったが、身長差もあるしうつむいているからこんな情けない顔を見られる心配はない。

「木戸、」
「冷めるから戻って、早く食べてください。俺、トイレ借ります」

 俺は口早にそう言うと、会長の横をすり抜けて、テーブルに向けて会長の背をぽんと押した。
 そして会長がぐらついている間にキッチンの奥にあるトイレへと駆けた。足の速さにだけは自信がある。

 便器のふたを上げずにその上に座る。
 ドアの向こうから会長の呼ぶ声がしたので、ごめんなさいすぐ行きますと返事をする。
 ふわふわデミグラスオムライスを俺のせいで台無しにしてしまった。
 会長も喜んでくれたのに。けど、今の俺はひどい顔をしているからすぐに出ることはできない。
 自分の弱さにうんざりする。
 両手で自らの頬を二,三回張る。
 そして、どうでも良いことを考えてさっきまでのぐるぐるした気持ちを一時的に吹っ飛ばした。

 うん、大丈夫。
 すぐに出ると言ったのに十分くらいかかってしまったが、謝って許してもらおう。プリンも作らなければいけないし。
 一度だけ大きくうなずいてトイレから出る。


 俺が出た時ふたつのオムライスは、すでに会長の腹の中だった。