早寝記録

暴走と自虐

 勢いよくトイレのドアを開ける。
 風紀室は生徒会と同じフロアにあるが真逆の方向で、しかも俺が来たのはどちらからも離れている所だから他の生徒と遭う確率はとても低い。

「あ」
「……」

 無言で閉める。俺はなにも見てないなにも見てないなにも見てない……。

「なんだよ。お前感じ悪ぃぞ」

 茫然自失という感じで逃げられもせずトイレのドアの外で立ち尽くしていたら中から光り輝く何かに腕を引かれた。

「や、やめろばか」

 まずったと思った。ばかか俺は。なんですぐに走り去らなかったんだ。つうかなんで。

「なんであんたがここにいんの」

 直ったはずの頬が痛くなる。ついでに腹も。
 目の前には、俺がいま一番会いたくなかった転校生――皆取真希がいる。

「泣いてたんだよ。見てわかんねえのか」

 確かにそう言われてみると目元が赤い。けど、俺には関係ないし、俺は泣く男が嫌いだ。母の教えで、『すぐ泣く男は浮気性』というものもある。すぐ泣くやつは信用するなという意味らしい。

「ご愁傷様です」

 俺はそれだけ言って早々に帰ろうとするが、転校生は腕をはなしてくれない。

「……離してほしいんだけど」
「離さねえ」

 なんで? ていうかこいついつもとテンションちがくねえ? 語尾にビックリマークがないし、なんか違う。
 でもまあ、どうでもいい。とにかくここから出たい。
 しかし、俺の願いとは裏腹に皆取がなぜか俺を個室に押し込んで、自分も入ってきてしまった。
 その際にバランスを崩し、俺は閉じた便器に座る体制になった。皆取はそんな俺を恐ろしいほど整った顔で無表情で見下ろしてくる。
 感情が一つも見て取れなくて恐怖がわき上がる。
 なんで俺こいつにされるがままになってるんだよ、とは思うのだが、いかんせんこいつは力が強い。華奢に見えるけど脱いだらムキムキとか……。
 想像したら気持ちが悪い。

 狭い個室に皆取と二人でいる状況は不思議以外の何でもなく、ついでに不快だ。

「なんなの?」

 だから聞く。

「さっき綾音に怒られた」
「あ、ああ、そう」

 何? 復讐ですかと身構える。
 それにしても、会長、あのあとすぐにやってくれたんだ。行動が早い。でも、常識を教えるって言ってたけど、こいつ泣いてるし。どういう常識の教え方をしたんだろう。

「俺、綾音が好きなんだ」
「あ、そう」

 そんなことを考えていたら、唐突に転校生が俺に告白してきた。
 しかし、だからどうしたとしか思えない。
 俺が邪魔なのか。だから言ってくるのか? 何、また殴られんの?
 ポケットには催涙スプレーが入っているが、さすがにこの至近距離で噴射したら俺ももろに食らうし、転校生に腕をぶん回されるだけで終了だ。
 それ以前に、いくら個室に連れ込まれたからってなにもしてない一般生徒に手を出すことはできない。風紀は攻撃されるまでは手を出せないのだ。まるで専守防衛。攻撃を受けたときにはもう遅い。

「編入してなにも知らないときに生徒会と仲良くなってさ、全員敵なんじゃねえかってなった時も普通に接してくれたしよ」
「はあ。まあ、それはそれは」
「だから綾音はいいやつなんだよ」
「まあ、そうですね」

 確かに、一時のこいつの周りはすごかった。資料の中で見ていたが、あれだけ敵意を向けられたら俺だったら悩まず逃げる。転校する。
 かわいそうだとは思うが、俺はいいやつでも優しくもないから自分を殴った皆取のことが好きじゃない。

「だから、綾音につきまとうお前が嫌いだ」
「喜んで下さい。俺もあんたのこと嫌い。相思相憎? 良かった良かった」

 あのときは自分から会長に会いに行ったりとかしてなかったから、付きまとってるって言われるのは心外だが、今は結構俺からも部屋に行ったりしてるし、いや、合意の上だけど。あ、なんか合意の上ってエロイな……って何考えてるんだよ、あほか。
 ばかばかしい考えで現実から逃げようとしたが、どう頑張っても皆取がいる現実から逃れられそうにない。

 しかし、皆取は俺の嫌みに顔をしかめはしたが、手を出して来る様子はなかった。
 本当に落ち着いたのか。でも、落ち着かせたのが会長だということが少しだけ嫌だと思う。
 いつの間にか無様な独占欲が生まれていたことに信じられないと驚きつつ、果たしてこれはいつからだったのだろうかと別の疑問が生まれた。
 自然と眉が寄る。不愉快だ。こんなどろどろした独占欲じゃあ、本当に俺が会長のこと好きみたいじゃないか。
 「好きなんだろ」と知った顔で言ってきた省吾の顔が脳裏に浮かぶ。
 俺が勝手に苛ついていると、皆取は俺を見てどう思ったのか、問わず語りに話し始めた。

「綾音さ、あるときから生徒会室に来なくなったし、どうしてかって役員に聞いたら、木戸って言う風紀が綾音に付きまとってて生徒会室に来れないって言うしよ」

 転校生の言葉に、言い訳だなと確信する。他の役員たちは自分らよりも会長がサボってると思わせることでどうにか体面を保とうとしたのだ。
 ただ、彼らなりの良心なのか悪者は会長じゃなくて俺にしてたみたいだけど。

「けどそれを綾音に言ったらそれは違うって綾音がまた怒って。あいつお前のために怒ってばっかだから」

 だからなんなんだ。と言うことを皆取は話し続けるが、さっきよりも気持ちは晴れやかだ。
 きっと、会長が俺のために怒ってばっかりいるって皆取が言ったから。

「……それで何? また殴んの?」

 けど、そんなことは悟らせず、努めてそっけない態度を取る。

「殴んない……」
「あ、そう」
「あ、そうってむかつくな」
「あ、そう」
「謝ろうと思ったのに、謝る気なくす」

 なんだ。謝る気だったのか。
 俺をトイレに引っ張り込んだのは、俺に謝るためだったらしい。
 今までぐちぐちいってたのは、不本意ながら俺に謝る準備段階だったのだろう。なんでぐちぐち言うことが準備になるかというと、気持ちは少しだけ、ほんの少しだけわかる。
 こういう自分が正しいとか思ってるタイプはまずびしっと謝ることはしない。悔しいから、ぐだぐだ前置きが長くなるのだ。

「まじで謝ってくれんの? なんで?」
「綾音に怒られたし」

 ほら、非を認めない。
 こいつは俺に悪いと思ったからでなく、『綾音に怒られたから』謝るんだ。
 そう思ったら、少し腹が立ってきた。
 こいつは会長のことが好きなようだけど、絶対に、何があってもこいつと会長にくっついて欲しくない。
 会長はああ見えておせっかいだから、こいつの面倒臭さに落ちることがあるかもしれない。顔も可愛いし。
 けど、絶対に付き合ってほしくない。
 それなら、俺が頑張って媚びを売って会長と付き合う。
 性格だって顔だって性別さえも変えていいから、とにかく皆取と会長にだけは付き合ってほしくないと思った。
 会長はいいやつだし、格好いい。
 認めたくないけど、俺のために色々してくれるし、仕事もちゃんとするし、そんなに得意じゃない勉強だって一生懸命教えてくれるから格好いい。

「なぐってわるかったな」
「いいよ」
「ほんと?」

 そして、俺は格好悪い。いやなことと面倒くさいことは全力で避けようとするし、たくさん人に迷惑をかける。その上、役立たずだし、自分本位。
 だから、皆取に悪気と誠意がないのなら、これくらい許されるだろうなんてことを平気で思う。
 あまりにあっさり許す俺に皆取があからさまにほっとしたのがわかるが、これで終わるわけはない。

「ねえ、一発殴らせてよ」

 俺はそう言って笑うと、一瞬止まった皆取の頬めがけて思い切り拳を叩き付けた。
 惜しむらくは、狭いから渾身の力とまでは行かなかったことだ。
 皆取は小さく呻いてドアを破り向こう側まで飛んでった。きっと会長以外の役員とか皆取の顔が好きな奴らがキレて俺になんか言って来るかしてくるだろうが、俺は皆取に一矢報いることが出来て満足していた。

 じんじんとしびれる手をぷらぷら振って、用も足さずにトイレから出る。
 無性に会長に会いたくなった。

「木戸……?」

 そうしたら、まるで奇跡とも思えるタイミングで廊下の向こうに会長がいた。

「先輩。さっきぶりですね」

 俺がそう言って笑うと、会長が今まで俺が何を考え、何をしていたか全く知らずにわずかに頬を緩めて俺の方に歩み寄ってくる。

「何、トイレ?」
「そうですよ。先輩こそ何してんですか」
「皆取がいなくなったから、探しに」
「……あ、そう」
「どうかしたのか?」

 会長が俺の顔を心配そうにのぞき込む。そのとき会長の髪の毛がはらりと俺の頬をくすぐった。
 さっき皆取を殴った場所だ。
 俺をのぞき込む会長の目がやさしい。でも、そのやさしさが俺にもたらしたのは嬉しさでも優越感でもなかった。
 とたんに頭が冷えた。さあ、と血が凍るように寒くなる。

「どうしたんだよ、木戸」
「……」

 会長の言葉に何も返せず立ち尽くす。
 俺は、悪いことはしていないはずだ。
 けど、皆取はどうなのか。あいつは何をした? そんな疑問が生まれてしまった。
 皆取は普通に生徒会役員と仲良くなって、「人気者とは近づかない」なんて閉鎖的な学校のばかばかしいルールを押しつけられて、それに異を唱えていじめられて。

 あれだけの敵意を向けられたら自分を守るために過剰に反応するようになるのは当たり前じゃねえか。
 それなのに、渋々でも謝りに行った風紀委員にまで殴られて――

「おい、木戸。本当にどうしたんだよ。なんか青いんだけど」

 俺は訝しげな表情を浮かべる会長に背を向けて、トイレに戻る。

「木戸? 気持ち悪ぃの?」

 会長が後ろからついてくるのがわかったが、かまわずドアを開けた。
 皆取は壁に背を預けて、座り込んで泣いていた。
 会長が息をのむ。
 俺は持っていたハンカチを水で濡らし、皆取のそばまで行って「ごめんね」と一言詫びて頬にそれを当てた。
 皆取がかすかに頭を横に振ったのを感じ、泣き出したくなる。

「会長、俺殴っちゃったから慰めてやってくれませんか」
「は、はあ? なんで、つうか木戸、お前こそ」
「すみません。お願いします」

 会長の言葉を遮って、足早にその横をすり抜けた。
 俺は会長があんな皆取の姿を見て放っておけるわけないってことを知っている。

 それなのに、追いかけてきてほしいな、なんてどこまでも自分本位な考えが浮かぶ自分がいやだった。