早寝記録

日曜補習田中ちゃん

 日曜日。休日。補習。田中ちゃん。

「木戸。顔を上げなさい」
「もう無理です先生ごめんなさい許してください俺今が人生最大の危機です」
「これがですか?」
「そうですだから許してくださいもう十分じゃないですか先生だって休みたいはずなのにもう解放されましょうよ」

 俺は寮の管理人室で昨日の朝からずっと化学の先生田中ちゃんと化学の勉強をしている。先日行われた期末テストでびっくりするほどの点数を取ってしまったからだ。
 五月に行われた定期テストは赤点で、そのあとの追試でぎりぎり合格点をとった。そしてそのあとの単元テストは会長に教えてもらってまさかの赤点回避。俺も田中ちゃんも安心していたのだ。
 しかし、先週の期末テストで俺は学年最下位を取ってしまった。適当に書いた「O2」しか合っていなかった。
 というのも、はじめの問題を終えたところで化学特有のあの睡魔に襲われ、負けてしまったのだ。
 起こせよ教師! と逆ギレしたところ、俺は目を開けていたらしい。怖い。
 そんなこんなで田中ちゃんは俺をなんとかしようと、神のようなお慈悲で俺に一対一で補習を行ってくれている。しかも泊まり込みで。
 管理人はこれ幸いと泊まりで遊びに行ってしまったからずっと田中ちゃんと二人きりということになる。
 本当にずっとだ。田中ちゃんは生徒会副顧問だが、顧問が結構なんでもやってくれるせいか、あまり忙しくないらしい。
 会長以外の役員が機能しなくなったときは、手伝える範囲で手伝っていたみたいだけど。

 そろりと縋るように田中ちゃんを見上げる。
 田中ちゃんはこの学校の卒業生で、なんと副会長をしていたらしく、中性的で、おそろしく綺麗な顔をしている。清潔感溢れる黒のしずく型の髪の毛に銀フレームの眼鏡を装着し、どことなくSっぽい容姿はミキちゃんにはバカウケで、いつも「絶対鬼畜敬語攻めだよね」と目を輝かせている。
 しかし、田中ちゃんの容姿がどうであれ俺にとっては彼が「化学」教師という時点でドSであり鬼畜であり眼鏡であり変態だ。

「何を考えているんですか」
「……先生はかっこいいなあって」
「お世辞を言ったから今日は終わりにしてあげましょう」
「まじ!?」
「嘘です」
「生徒に嘘ついちゃダメでしょ!」
「だってあなた私の授業中いつもぼけっとしてるじゃないですか。ぼけっとしちゃダメでしょう」
「だって聞いてると頭がパーン! ってなるんですよ!」
「大丈夫ですよ。昨日からし続けてたけどパーン! ってなってないじゃないですか。顔色は悪いですが」
「だったらもうおしまいにして下さい! お願いします! 次は頑張って聞きます!」
「聞いてもわからないでしょう。……と思って放課後個別補習しようって提案しているのに、一回も来ないし」
「……委員会で……」

 田中ちゃんの恨みがましい声に視線を横にずらす。いたたまれない。
 確かに今まで忙しかったが、委員長は補習と掃除には優しい。けど、化学地獄に自ら堕ちたくはなかったので行かなかった。

「……まあいいです。そのかわり、夏休みにびっしりとがんばりましょうね。木戸君帰らないんでしょ」
「帰る帰るずっと帰る」
「嘘。もう寮に残る生徒の名簿は届いてるんですよ。私見ましたし。しっかりチェックしました」
「……田中ちゃん帰んないの?」
「先生と呼びなさい」

 ぴしゃりと教科書で頭を叩かれた。

「私は君みたいに嫌がる生徒に無理矢理化学を叩き込んで化学の虜にするのが趣味なんです」
「化学じゃなくて先生の虜になっちゃいますって。困るでしょ」
「あれ?」

 先生は整った顔で綺麗な笑みを作り、こてんと首を傾けた。
 鬼畜眼鏡敬語攻めのかわいらしいこの姿、ミキちゃんに見せてやりたい。きっと鼻血をぶっとばして無表情で喜ぶだろう。

「君、進藤君と付き合ってるんでしょう?」

 ミキちゃんのかわいらしい鼻血姿を想像していた俺は驚いて先生を見る。
 しかしなんということだ。お前もか。つうかどこまで広まってるんだよ。

「付き合ってないですけど」
「いいんじゃないですか? 私の時のバ会長と違って進藤君は真面目だし大切にしてくれますよ。きっと」
「何が『いいんじゃないですか?』ですか! 良くないですよ、全然!」
「そうですか?」
「そうですよ。俺と会長はとも……先輩後輩の仲?」

 友達です、と言おうとしてはたと考える。今まで友達だと思っていたが、よく考えれば会長は年上だ。先輩後輩の間に友達という関係は成立するのだろうか。

「もしもあなたが進藤君に告白されたとして、どうします?」
「そんなのな」
「もしもです。仮定です」
「えー……。ていうか、なんで田中ちゃんに」
「ちゃんじゃなくて、先生」
「……なんで先生に話さなきゃいけないんですか」
「言わないということは受けるんですか」
「そんなのその場の状況によって変わってきますよ。俺、流されやすいし」
「わかりました。伝えておきます」
「誰に?」
「進藤君の何がいけないんですか?」
「何がいけないって、どういう意味ですか?」

 俺の疑問を先生は華麗に無視して、また変なことを聞いて来た。
 まあいいか。化学の勉強をするより何倍も良い。

「もしあなたが進藤君のどこかに文句をつけて振るとしたら、どこに文句をつけますか?」
「文句?」

 ここでじたばたしてもどうせ無駄だろうから、何も言わずに答えを考える。
 それに、会長は顔以外で言えば意外と普通のやつだから、特に振るのを前提に話しても畏れ多いとかは感じない。
 ということで考えてみると、性格は別に嫌じゃない。周りのうっとうしさで振るのはありえない。外野を気にした恋はしちゃいけないから。

「服装」
「服?」
「俺、風紀委員なんです」
「知ってます」
「そうじゃなくても、俺、見た目がしゃんとしてる? なんだろう硬派な感じが好きなんです」
「私もです」

 実を言うと、先生の見た目が好きです。なんてことは言わないけどちらりと先生を見る。
 すると、俺の視線に気付いた先生がふっと笑った。

「酸化還元反応に戻りましょうか」
「えっ」
「酸化還元反応は素敵ですよ。『失うものもあれば得るものもある』そんな人生の教訓を教えてくれるのです。化学は人生の教科書なんですよ。歴史はダメです。よく歴史の先生が『歴史は繰り返す』なんて自信満々にかっこつけて言いますが、人間のダメさ加減を自信満々に生徒たちにいってることに気がついていないのです。その点化学は裏切らないし、どろどろした感情も一切持ち合わせず、格好いいでしょう? クールです。だから化学の言うことは信用できるのです。人が築いて来た道なんてどうしようもなく汚く単純で石ころだらけの獣道です。化学のような硬質純粋複雑美麗な水晶のような静謐さをたたえた道とはほど遠いのです。歴史で人生を学ぶくらいなら化学で学びなさい」

 先生は一息でそう言って、うっとりと目を細めた。

 やっぱ変態だ。