早寝記録

香り香る☆石鹸の香り

 目覚めたら、目の前が真っ暗だった。ちなみに、ちょうどいいサイズの抱き枕を抱いているようだ。
 お? と不思議に思い思い出す。
 そういえば昨日実家から寮に戻って来たあと、自分の部屋には帰らずに木戸の部屋に来たんだった。
 木戸の部屋は二階だから、壁の突起を足がかりにすればよじ上れるだろうとやってみて実際に出来た俺すごい。

 なんだか嬉しくなり木戸の腹に回していた腕に少し力を込めると、苦しいのか木戸が小さく呻く。死んだように寝てたけどちゃんと生きてたらしい。

 木戸が起きる様子はないから、デコを肩に押し付けてぐりぐりしてみる。
 ふわりと何かが香ったので木戸の首筋に顔を埋めてくんくんと匂いをかいでみると、石けんのいいにおいがした。
 どんなボディソープを使っているのだろうか。気に入ったから今度聞いてみよう。

 違和感に木戸が身をよじる。

「うぁ?」

 そして、あほみたいな声を立て起床した。
 それから木戸は数分可愛く寝ぼけたあと、いつもの調子で俺の腕を振りほどき、時計を見て慌てて飛び起きた。

「ばかじゃないの! あんた時計見てないの!?」
「見てねえ」

 木戸を見てたしな、と思うが言わない。言葉にしてからかってもおもしろそうだけど、俺はからかいではなく本気だからなるべく言わないようにしなくちゃいけない。
 友達からその先に進んではいけないから。
 でも、できることなら木戸に俺を好きになってほしい。そうしたら木戸は他に恋人を作らないし、一番近い所でずっと一緒にいれそうな気がする――と、この前まではそう思っていた。
 だが、自分でも驚くことに木戸に関しては俺は自分に自信が持てない。
 友達という関係だけでは木戸をつなぎ止められない気がして仕方がない。
 でも、だからといって恋人もなんだか違う気がする。なぜだか理由はわからないが、要は執着しているのだ。きっと。
 だから俺は木戸の特別になりたい。
 しかし、特別が何なのかわからない。
 「俺と木戸」でいいじゃねえかと思うのだが、人は往々にして関係に名前をつけたがる。
 友達、家族、恋人、仲間――
 そして、関係に名前がないとなんとも不安で、ふにゃふにゃした曖昧なものになってしまう。

 恋人だったら浮気はしてはならないという通俗的な考えも通るから、恋人になりたい気もするが、それだけでは足りないのだ。脆すぎる。
 俺にもよくわからないが、今のところわかっていることは、たとえ恋人になっても俺は満足できないということだ。
 だから俺は束縛は出来るが脆く壊れやすい「恋人」よりも、束縛はできないが壊れにくい「友達」という関係を選ぶ。

「何考えてんの、先輩今日が何の日か知らねえの?」

 少し落ち着いたらしい木戸が、肩を落としてベッドサイドに腰掛ける。
 今日が何の日かと言われても、普通に学校じゃなかったか。
 頭をフル回転させるが、何にも思いつかない。
 それもそのはずで、金曜に木戸のストライク発言を聞いてから、この休みは実家に帰って見た目をなんとかしようとばかり考えていた。

「ばか、集会の日だよ」
「あ」

 木戸に言われて思い出す。
 そういえば、今日は第二週の月曜日だ。

「すっかり忘れてた。挨拶しなきゃいけねえのに」

 失敗した、と思って時間を見ると時計の針は8時45分を指している。丁度始まった頃だ。今出て走れば間に合うかもしれないが、会長が歯を磨かず顔を洗わず私服のまま行くわけにはいかない。

「用意していくか」
「……ちゃんと廊下に人がいるか確認してから出て下さいよ」
「わかってるって」

 起きたばかりなのにどこか疲れたように木戸が言う。
 ジーパン履いて靴を持って木戸の部屋から退散しようとしてふと思う。

「そういや目覚まし鳴った? 俺の部屋では今頑張ってると思うけど」
「俺、なくても起きれるんです。……いつもは」
「あ、そう」

 悔し気に言う木戸に背を向けて部屋から出る。彼の同室者はもうすでにおらず、木戸の部屋の隣にある部屋のドアが豪快に開け放たれている。
 共有スペースを懐かしく思いながら横断し、玄関へと向かう。

 有り難いことに廊下に人はいなかった。
 だから悠々と歩く。集会ではいつも挨拶を一番に行うが、こうなったら最後でも良いだろう。どうせ顧問は遅刻に対して怒るのだから、それならばゆっくりして行こう。

 エレベータに乗り、専用のカードキーをかざして最上階へと向かう。その時、内部に付いていた鏡に自分が映っているのを見つけた。
 真っ黒な短い髪の毛。いくつもつけていたピアスも外した。
 もう一度役員投票をしたら会長には選ばれないだろうな、と思うくらい地味だ。
 そう言えば髪をやってくれた二番めの兄も「髪で人は変わるな」と苦笑していた。
 けど、地味だって人気がなくなったって別に良い。
 昨日の木戸はいつものようにそっけなかったが、あの目は俺を「格好良い!」と思っていた。……気がする。
 だとしたらそれだけでいい。
 見た目だけででも良いから常に側においておきたいと思うくらいには好きになって欲しい。

 ぐだぐだと考えている間に無意識に部屋に着き、顔を洗い歯を磨き、またエレベータに乗り、気がつけば体育館の前に来ていた。

 今日は買ったままだった白いカッターシャツに初めて袖を通し、その上から黒い学ランを着た。
 始めはきっちりと一番上までボタンを閉めたが、あまりにも窮屈だったから第一は開けた。でも、立派に優等生だろう。

 中は静まっているようだから、こそこそすればきっと誰にも気付かれず舞台袖まで行けるだろうなんて軽い気持ちでそろりと扉を開ける。

 壇上では橘に惚れているらしい変なやつ――宮田がいつものほんわかさそのままに何やら話していた。

 ドアの近くにいた国語教師と目が合う。
 教師は一度俺から目を離したあと、すごい勢いで二度見した。
 さらに最後尾の生徒にも気付かれる。
 そいつらは一様に俺を二度見する。
 ざわつき始めた館内が、段々と騒ぎを増し、最後には耳をつんざくようなやかましさになった。

 せっかく人がなんの邪魔もしないように静かに入って来たっていうのに、と心の中で独り言つ。
 つうかこの俺が殊勝にすみっこを歩く姿を見てなんとも思わねえのかよ。空気読めよ。
 朝は木戸がいたから上機嫌だったのに、どんどん気分は下降していく。
 周りの反応にいらっとするが、黒くなっても俺は俺だったということか。いや、びっくりされてるだけか。眉間に皺が寄る。
 けどまあ、なんでもいいや、早く生徒会スペースに行こう。

 俺は足を早め、舞台袖で怒る生徒会顧問を華麗にいなし、壇上後方横一列になってパイプ椅子に座っている役員たちの所へ行く。そして一番上手側、副会長の隣に座った。
 副会長――坂上は首を直角に曲げて俺を凝視している。

 そして、いまだ騒々しい中で「進藤一体どうした」といつもの敬語キャラを捨てて聞いて来た。
 副会長の陰に隠れているが、他の役員も俺を信じられないような目で見ている。

「……渋々でも会長になったからにはやっぱり生徒の模範となるような人にならなきゃだめだからな」

 俺があの変に真面目な風紀委員を思い出しながらそう言うと、副会長は「今更ですか……」と呆れたようにため息を吐いた。
 他の役員の反応も似たようなものだったが、ただ会計の常磐だけが思い当たる節があるのか、合点がいったとばかりに苦笑している。

 しばし館内の声に集中する。
 生徒たちは俺の華麗なるビフォーアフターの批評に励んでいるようで、困ったことにそれは教師も同様らしい。
 体育館の後ろの方で生徒たちを眺めている教師たちも誰一人注意することなく話に勤しんでいるようだった。
 楽しそうで何よりだが、彼らに教師としての自覚は果たしてあるのだろうか。

 そんなことを考えていると、宮田が困ったように微笑みながら俺のことを見ているのに気がつく。
 それに「ごめん」と手でジェスチャーをすると、宮田は頷き、マイクを手にして騒ぐ生徒たちを一喝した。
 普段の彼からは考えられないような迫力に生徒たちは――教師も――一瞬で凍り付く。

 そして、何事もなかったかのように宮田の話は再開された。