語彙力(最下層)
「罵り言葉ってあるじゃないですか」
「あぁ。それより今日のなんかすげえな」
「集会サボって時間あっただけ」
「そうなの? じゃあ俺のすばらしい挨拶は聞いてなかったのか」
「宮田さんの格好良い『黙れ!』まではいたんですけど」
「あ、そう」
「ところで、罵り言葉ってあるじゃないですか」
「あぁ。うお!」
また話に入られなかった……とおもしろくなく思いつつ会長を見ると、会長がのり弁を食べて驚いていた。
驚くだろう驚くだろう、と、会長が反応を示してくれたことに嬉しくなって俺は思わずどこかの悪役みたいな笑みを浮かべてしまう。
「なんかミルフィーユみてえだな」
「おしゃれなたとえ」
それもそのはず今日ののり弁は五層だ。ご飯を薄く均等に敷き詰めてその上に醤油を塗ったのりをのせ、その上にご飯を薄く均等に敷き詰めてその上に醤油を塗ったのりをのせ――こんなことを繰り返し、味もしっかり歯ごたえにもこだわったのり弁が完成した。
ちなみに、会長が黒くなったから海苔にした。
「って、そうじゃない」
「なんだよ。うめえよ?」
「どうも……。会長ってなんて言われたら傷つきます?」
「は?」
「罵り言葉の話。ばかとかアホとかあるじゃないですか。でも、どれも言われてもダメージが少ないって言うか。他には間抜けとかくそやろうとかあんぽんたんなんかもあるけど、言った方がバカみたいな言葉じゃないですか」
「何? 罵られたいの? 逆?」
「興味です」
俺の言葉に、会長はうーんと首をひねった。
俺としては今日の弁当についてもう少し褒められていても良かったが、会長から褒められると恥ずかしさが勝つことが多いから気持ちいいと感じるところで話を逸らす。
「とは言ってもなあ。俺、そんなに罵られたことねえし。逆もまたしかりで。よく木戸はバカとかアホとか言うけど、それはもう語尾みたいな感じで一切気にならねえし」
なんということだ。
「最低の語尾!」
自分がそんなに語尾と思われるほど罵っていたとは気がつかず、俺は最低の人間じゃねえかと改めて思い知る。今までの人生をやり直し、品行方正に生まれ変わりたい。
「語尾は言い過ぎた」
俺がしょげていると、会長がすかさずフォローに回ったが、一度口から出た言葉が音の乗って空気中をふわふわ飛んで他の人の耳に届いたときにはもう遅い。やり直しはきかないのだ。
だから覚悟を持って思考を音に変えなければならない。
「別にいいですよ会長のばか」
「あ」
「あ」
「……まあ、いいんじゃねえの? なんか小さい子どもみたいで可愛いと思うよ、俺は」
「なんですか。からかってるんですか会長のあほ」
「……今のはわざとだろ」
「うるせ」
まあ、今のはわざとだとしても、今まで培ってきたものを矯正するのは難しい。
考えてみると、他の人にはそんなに言っていない気もするから、会長だけならまあいいかと単純に考えを変えた。
こんな話がしたかったのではないが、本来俺がしようとしていた話もろくなことではなかったのでもう罵り言葉の話は止めることにする。
ゆず風味のからあげを食べた会長がほんのりと頬を緩めるのを見て満たされた気持ちになる。
ただ、会長が真逆の変身を遂げたため時々俺は誰といるんだろう……と疑問に思うこともあるが。
「木戸さあ」
「なんですか?」
それから無言で弁当を食べ続けていた会長がおもむろに口を開く。
箸を進めつつちらりと会長を見ると、俺が見ていないと思っているのか、苦々しい表情で床に視線を落としている。
こんな会長は珍く、どうしたのだろうとほんの少しの胸のざわつきを覚えたが、天の邪鬼な性格が邪魔をして心配の言葉を口に出すことはできない。
「いや、なんでもねえや」
「ふーん」
だから、本当はどうしたの、何かあったの、と聞きたいが、興味がないふりをしてしまう。
結局会長がその話題を出すことはなく、いつも通りのゆるい昼食時間を過ごした。
*
「また恭ちゃん噂になってるよ」
「会長と?」
昼食を終え、教室に戻ってきた俺を待っていたのはうんざり顔のミキちゃんとクラスのやつらの興味津々の目。
「違う」
「違う?」
席に着き、後ろの席のミキちゃんに体を向ける。
ミキちゃんはつんつん立てた髪の毛をめんどうくさそうにいじっている。
「田中ちゃんだよ」
「……は?」
そう教えてくれたのは、ミキちゃんではなく佐原というフレンドリーな不良君だった。
佐原は一つに束ねた自前の金髪を跳ねさせながら近づいてくると、がしっと俺の肩に腕を回し顔を近づけてにやりと笑った。
「重いって」
「木戸さあ、会長じゃなくて田中ちゃんと付き合ってたわけ?」
そして、彫りの深い綺麗な顔を意地悪くゆがませてばかなことを口にする。
周りのクラスメイトもこの噂を知っていたようで、佐原が口を開いた途端にがやがやと俺をからかい始める。
すごいだとか、田中ちゃんまで、とかもしかして意外と○○? なんて口に出して言うのが憚られる下品で破廉恥、卑猥なことを口にするやつまでいる。というか、こっちの方が多い気がして、俺は頭を抱えた。
「なんでそんなことになっちゃってんの? 俺、今は誰とも付き合ってないんだけど」
憎まれ口を叩かず素直に事実を口にするが、みんなが笑いながら嘘はよくねえよなんて的外れなことを言ってくる。
助けて欲しくてミキを見る。
ミキちゃんは心なしかげっそりした様子でぼんやりと囃し立てるクラスのみんなを見つめていた。
「……否定はしたんだけどね」
そんなことをぽつりと言って、ミキちゃんは机に突っ伏した。どうやら、俺がいない間に一生懸命フォローしてくれていたらしい。ミキちゃんの友情に胸が熱くなる。
けど、今は感動している場合じゃない。何が何だか意味がわからない。
「意味がわかんないんだけど」
「集会の時に木戸と田中ちゃんの会話を聞いてたやつがいるんだよ」
「集会で?」
佐原の言葉を受けて、俺は集会の時のことを思い出していた。
確かに田中ちゃんと話した気がする。でも、大したことじゃなさすぎて鮮明に思い出すことは出来ない。
「会話って……遅刻ですか? って聞かれたくらいじゃないっけ」
「先生のせいです! って言ったんだろ。B組の生徒が聞いてたんだってよ」
「ああ。それか」
確かに先生のせいだと言った気がする。だってそうだ。俺は土日の間中化学の勉強をしていたし、夜は夜で晩酌に付き合わされた。やらなきゃいけない風紀の仕事があったのに結局解放されたのは土曜の夕飯のあとで、夜更けまで寝られなかった。
まあ、そのあと会長が来たんだけど。
「土日は田中ちゃんに補習受けてたんだよ」
「何の補習!?」
「化学のに決まってんじゃん」
クラスメイトの「いいんだよお嘘つかなくてああおもしろい!」という顔がむかつく。腹が立つ。俺はからかうのは良いけどからかわれるのは大っきらいなんだ。
だから口調が少し荒くなる。
「部屋だって先生のとこに行ってないし、寮の管理室借りたし」
管理人はいなかったけど、とは言わない。言わなくても良い事実だってある。なんでもバカ正直に生きることが利口だとは思わない。保身だ保身。
「管理人さん今日の朝べろべろになって帰ってきたけど」
どこかからいらない情報が飛ぶ。
「でも、俺付き合ってないし本当に。しかも田中ちゃんが俺みたいの相手にするわけないでしょ」
「けど会長だって木戸に落ちたし、ありえねえ話じゃねえよ」
「そうそう。会長が落ちてから俺だって木戸のこと可愛く見えてきたし」
「やめろよ気持ち悪いこというの! つうか会長別に俺に落ちてない」
「すぐムキになるとことか可愛いよな」
「ムキになってない!」
声を荒げても返ってくるのはにやにやと気色の悪い笑みだけ。
このクラスのこういうところが本当にやっかいだ。
これでこれが俺以外の誰かだったら俺も同じようにしつこくからかうから強く反発できないのが悔しい。
「だって、『先生が寝かせてくれなかった』とか『あなたも気持ちよさそうだったのに』とか『先生の飲んだ』とか言ってたんだろ。イっちゃったんだろ」
「ばかか! 事実無根です! 言ったけど、そういう意味じゃないし、なんでも破廉恥な方向に考える方が破廉恥なんです!」
「言葉のチョイス『破廉恥』かよ!」
意味のないつっこみを受けて俺は佐原を引きはがすと、突っ伏すミキちゃんの首根っこをつかんで教室を出ることにした。
今こいつらに何を言っても糠に釘、意味がない。
どうせこんなくだらない噂を信じてるやつなんていない……はずなんだ。
だから今は逃げるが勝ち。
俺は今日の夕飯どうしよう――なんて現実逃避おあつらえ向きな考え事をしながら、ミキちゃんの手を取って中庭に行くためにずんずん歩いた。
俺、今日まだ一回も授業出てねえ。