苺
夜、部屋のリビングで毎晩のように風紀を乱す同室者に説教をしていると、ふいにチャイムが鳴った。
同室者――多田は天の助けだと思ったのだろう、ものすごいスピードで玄関に駆けていく。
それをすがめに見つつ自室へと戻ることにする。どうせあいつの何番目かわからない「恋人」が来たのだろう。はち合うなんてまっぴらごめんだ。
そう思い腰を上げたとき、多田がただならぬ形相で俺めがけて突進してきた。
それを腹にくらい尻餅をつく。
「いってえよ多」
「たたたたたたたたたたたたたたいへんだ恭弥!」
「何だよ」
「とととととととととにかくげげ玄関に」
そういうと多田は風のような早さで部屋へと消えて行った。
佐伯君みたいなやつだな――と佐伯君に失礼なことを思いながら玄関に向かう。
あんなに慌てると言うことは会長だろうか。でも、会長はああ見えて俺を目立たせないように配慮してくれている。
会長は恐ろしいことにマスターキーを渡されているらしいから普通にこの部屋にも入ってこられるのに、この前だって窓から入ってきたし。
部屋の外では生徒たちが色めき立っている。うざったいことこの上ない。
誰が来たとしてもうっとうしいのには変わりがないなと思いながら半分ほど開かれたドアを開く。
閉める。
「あ、やべ」
びっくりして閉めてしまった。
「木戸君」
外から聞こえる透明感のある声。
会長の低めの甘いものではない。
俺はまた面倒くさいことが起こりそうだとため息をつき、ドアの外で行儀良く待っている副会長――坂上さんを部屋の中へ入れた。
西洋の人形のような顔立ちの副会長は前に食堂にいた時とは違い、憑き物でも落ちたかのように美しい。
しかし、彼は自分から来たくせに後ろ手を組んだままつんとすまして立っている。まるで置物のようだ。いらないけど。
「なんか俺に用ですか?」
俺がそう言うと、坂上さんはふとリビングに目を向けた。
「……上がります?」
「いいんですか?」
目で訴えてただろうがよ! と心の中で悪態をつくが、そこは我慢して「どうぞ」と招き入れる。
坂上さんは後ろで手を組んだまま不自然に俺のあとを付いてきた。
そしてソファではなく床に置いたクッションに正座すると、ちらりと台所の方を向いた。
「……紅茶でもいいですか?」
「はい」
「安物ですけど」
「はい」
そこは殊勝なのか! という感想を漏らし、坂上さんに紅茶を出すと、坂上さんは「ありがとうございます」と一言礼を言って口をつけ、「おいしいですよ」と微笑んだ。
異様なシチュエーションに俺の頭の上にははてながたくさん踊っているが、わからないことは悩むな、という母の教えを思い出し何も考えず適応することにする。
「あの、何か俺に用事ですか?」
「君に……」
紅茶を飲んで落ち着いたのか、坂上さんがようやく口を開いた。
「君に、125点ほど謝罪をしに来ました」
「多いよ!」
しまった、思わずつっこんでしまった。
しかし数は関係ないとしても坂上さんの口から出たのは意外な言葉だった。
だって会長にならまだわかるが、この人が俺に謝ることなんてあるのだろうか。
「まず一つ目は、食堂の件で。睨んでしまって申し訳ありませんでした」
俺のつっこみに坂上さんはほんの少し肩を揺らしたが、それでも動揺なんて見せずわずかに頭を下げた。
「あ……ああ、それですか。別に良いです。気にしてません」
坂上さんは心なしか口をとがらせて、でも謝るのです、とぼそぼそと呟く。
「二つ目は、食堂で話を遮ってしまってすみません」
「は? そんなことありました?」
「あったのです」
副会長がふうと息をついてまた優雅に紅茶をすする。落ち着いていると思っていても、俺もテンパっていたようで、副会長に小学生の時に町の福引きで当てたセーラーフーンのマグカップを渡してしまったようだ。
しかし、どんなカップを持っていても優雅さは崩れない。すごい。
「三点目は、食堂で」
「まとめませんか!」
そりゃあ125個にもなるよね! と心の中でつっこむ。
「食堂のことを謝りに来てくれたのは嬉しいです。ありがとうございます!」
不服そうな表情で俺を見る坂上さんに怒鳴るように礼を言う。強く出ないとこの人は125の謝罪をきっちりとこなしてしまうだろう。
「大枠二つ目は、これから誠に身勝手なお願いをするので、そちらを謝ります」
「ま、誠に身勝手なお願い……?」
「ええ。今日私が来たことと、今から私があなたにお願いすること、どちらも進藤には内緒にして欲しいのです」
「……」
「……」
坂上さんの作り物のような瞳がゆらりと揺れる。
俺は確信した。
――この人ばかだ。
「あの……」
「なんでしょう。だめですか?」
「いや、俺が言わないっていうのはかまわないんですけど」
「なんでしょう」
「いや、副会長さん」
「坂上で良いです。私には今そのような役職で呼ばれる権利はないのです」
「……坂上さん」
「はい」
「ものすごく目立ってたじゃないですか……」
「あ」
坂上さんが、表情を崩さないながらも、「まずったでこりゃ」という空気を出した。
「……俺に謝りに来たって言ったら会長も怒りませんよ」
「そうでしょうか」
「はい、多分」
「多分ですか」
「多分ですね。……で、お願いって何ですか?」
「それは四番目の大枠です」
「あ、そう」
よくわからないが、おそらく天然らしい坂上さんに俺はペースを合わせることにした。
坂上さんが紅茶を口に含む。小指は……残念なことに立っていない。
「三番目は、私が仕事をしない皆取への言い訳に、あなたを使ってしまいました」
「ああ、知ってます」
「申し訳ありません」
そして、また坂上さんがわずかに頭を下げる。きっと、今まで人に頭を下げたことなどないのだろう。
思い切り不自然だ。
「四番目は……」
坂上さんはそう言いかけて腰を浮かし、ケツで踏んでいた大量の紙を取り出し、目の前のテーブルに置いた。後ろ手に組んでいたのは、俺からこれを隠すためだったらしい。
テーブルからそれを手に取ると、坂上さんのケツで温められていた紙はにわかに温まっており、ちょっと気持ち悪いし、つぶされていたせいでくしゃっとなっている。
しかし、一ページめくることでその気持ち悪さなど宇宙の彼方吹っ飛んだ。
「これって……」
「誠に申し訳ありません。四月から毎日一枚ずつ私のポストに溜まっていたようです」
「……」
「私が確かめて判子を押して、風紀委員に渡す書類です。さきほど気がついたのでまだ全く手をつけていませんが」
俺は一気に青ざめたのだろう。坂上さんが、「大丈夫ですか?」なんて聞いてくる。
「大丈夫なわけあるか……」
書類には、四月からの器物破損、被害者、加害者、問題を起こした生徒のリストがあった。
これはたぶんあれだ。名簿と照らし合わせてまとめたり、なんかいろいろこめんどくせえ書類等を作らなければならないだろう。そういえば、風紀になり立ての頃橘さんが「恭弥君はブラックリスト作成係にもなってもらうね」と言っていた。きっと、これのことだろう。
だとしたら、自分から動かなかった俺にも非がある。……ほんの少しだけ。
「表紙に、風紀委員担当木戸と書いてありました」
「……」
「一緒にがんばりましょう」
俺にも非はあるが。あるんだけど、でも――。
もっと早く気付けよバカ! と言おうとしたところで、今度こそ深々と頭を下げられてしまったから俺は結局何も言えなかった。
「二番目の大枠に戻るのですが」
「戻るのかよ……って、なんだっけ?」
すっかり敬語を忘れてしまったが、それどころではないから仕方ないだろう。
「今日私が来たことと、今から私があなたにお願いすること、どちらも進藤には内緒にして欲しいという誠に身勝手なお願いです」
坂上さんを見る。まさか――
「これが進藤にばれてしまったら、私はどうしましょう。間違えました。これが進藤にばれてしまったら、私は――」
言葉を紡ぐごとに坂上さんの顔が青ざめていく。
お前も怖いのかよ! とまた心の中でつっこんだ。プライドを捨てて俺のところに謝りに来るくらいだから、余程怒られたくないのだろう。
多分俺よりも青いだろう坂上さんを見たら、なんだかかわいそうになってきた。
会計が言うに、会長は怒ると本当に怖いらしい。会計は、旧生物室に閉じ込められてすべてのホルマリン漬けが動き出し自分に向かって迫ってくるのと、会長に怒られるのだったら俺は前者を選ぶといっていた。
たとえがそれほどピンと来る物ではなかったが、とにかく怖いと言うことは伝わってきた。
俺だって恐いのは同じだ。その対象は会長じゃなくて委員長だけど。ここまで手をつけていなかったことを知られたら怒られる。「信用してたのに」とため息を吐かれたくない。
「いいですよ」
だから、この人が悪いという思いを捨てて快く承諾する。
青ざめて口に手をやっている坂上さんを見ると、彼は鳩が豆鉄砲を食ったように一瞬制止し、それはそれは綺麗に微笑んだ。
「ありがとうございます」
そして、深々と頭を下げたが勢い余って机におでこをぶつけ、痛がっていた。
やっぱりばかだ。