早寝記録

機械

 正直、俺は疲れていた。
 朝起きて学校に行って授業に出て風紀の見回りをし、放課後など空いた時間は誰にも気づかれないよう坂上さんが用意してくれた旧校舎の音楽室でふたりで黙々と作業する。クラスにも授業に出るだけで休み時間は誰もいない教室を見つけて仕事をするため、最近はあまり人と話していない。

 また、会長にも訝しがられているようだ。こんなことがあった。

「それじゃ、俺今日ももう行きますね」
「おー」

 その日、食器を洗い終えた俺はソファにだらんと横になっている会長に声をかけた。
 集会のあとから俺は毎日のように会長の部屋に夕飯を作りに行っている。というのも、髪を黒くし装飾品を取り外した会長は前よりも見かけが幼くなったのか、学内の攻めたちの琴線に触れてしまったらしく集会の日の夜食堂帰りに襲われかけて、それから食堂恐怖症になったらしい。しばらくは飢えても行かないと言っていた。
 だから俺が甲斐甲斐しく食事を作リに行くのだ。レパートリーの問題でできることなら多くても週に三回にして欲しいが、最近は毎日呼ばれるから授業中はこっそり料理本を読んでいる。
 俺ってなんか健気じゃねえ? なんて一人で自分を褒めていると、そんな俺の状況を何一つ知らない会長が「なんで最近早く帰んの?」と聞いてきた。会長の顔には不思議そうな表情が浮かんでいて、笑みはなかった。

「風紀の仕事溜めてるんです」
「前はここでもやってたのに」
「……もうすぐ終わります」

 このような会話を交わし、俺はそそくさと部屋を出て細心の注意を払い坂上さんの部屋へと向かった。
 あとから考えるともっと他に言うことがあるだろうと思うがとっさに上手な嘘はつけなかった。本当に嘘が下手で困る。それどころか嘘にもなっていない。

 思い出して俺はため息をついた。

 坂上さんは判を押すだけだから最初は書類の受け渡しだけのために会えばそれで良いと思っていた。しかし、意外なことに彼は生粋のサボり魔であり、しかもやり始めると仕事の早さよりも正確さにこだわってしまうため、提出期限であり残り二週間と迫る終業式までに終わらせるためには監視して急がせなければならない。
 近頃は一日の半分以上を坂上さんを過ごしているため、彼の扱いにもすっかり慣れてしまった。

「木戸」
「なんすか」
「疲れましたね」
「そうですね」

 今俺は坂上さんの部屋にいる。
 坂上さんの部屋は会長の部屋と隣り合わせで、今夜も会長とご飯を摂ってからこっそりとここにきて、深夜まで仕事をする。
 そして、椅子として使うのがもったいないほどゆったりとしたソファで寝させてもらい、そこから学校へと向かう。
 ちなみに会長は朝一で生徒会室に行くから会う心配はない。台所を借りて弁当を作ってから行くから、俺はいつも遅刻ぎりぎりだし。

「木戸」
「なんすか」
「疲れましたね」
「そうですね」

 繰り返す坂上さんに目を向けると、坂上さんは手を止めてじっと俺を見ていた。
 これはいつものことで、俺は長いため息をついて坂上さんにあきれた目を向ける。はじめは綺麗なお人形さんに見つめられていたたまれず慌てたが、さすがにもう慣れた。

「手を動かしてください」
「休みませんか?」
「一回休んだらあんたもうやらないでしょ」

 坂上さんの手を掴み、無理矢理判を持たせる。
 そんな俺に恨めしげな目を向ける坂上さんを無視して、キーボードを叩く作業に戻る。

「なんで進藤は君が好きなんだか。まるで口うるさい母親です」
「……誰にでもこうじゃないです。のんきなサボり魔のあんたが悪い」

 坂上さんが口をとがらせ不満をあらわにしつつも資料に目を向け、ぽんと丁寧に判を押す。
 クールなので有名だが、実際話せばただの子どもじゃないか。疲れた。
 それにしても坂上さんは本当に面倒くさがりで、皆取にくっついていたのも仕事をさぼりたいという欲求がためだったらしい。この前、「皆取は渋々仕事をしていた私を息抜きにって連れ出してくれたんです。彼は良い子です。私は息抜きという言葉に弱いのでそりゃあもうほいほいついて行きました。それが悪かったのか、一度サボってしまえば……。魔が差すって、言い得て妙ですね……」なんて推理小説の犯人の最後の言葉みたいに言っていた。
 じゃあなんで俺をあんなに睨んだんだよ! と聞いたら、「私たちには怒ってばっかりの進藤が君にはでれでれで、なんか悔しかったんですもん」とすねていた。子どもだ。
 けど、坂上さんの良いところを見つけるなら、聞いたことをあけすけに語る素直さだ。まあ、人によるんだろうけど。
 現に会長にはつんつんしてしまうみたいだし。

「そういや、皆取とはどうなったんですか? 前まで金魚のフンよろしく一緒にいたのに、最近いないじゃないですか」
「彼は私たち生徒会メンバーといない方がいいんです。……彼は私たちといたことで目をつけられてしまっていたのでしょう?」
「へ?」
「進藤が言っていました。実際、私たちと離れた彼の生活は落ち着いてきているようです……」

 いや、驚いたのはそこじゃなくて――

「気づいてなかったのかよ!」
「……周りを見ないように生きてきましたから」
「見ないように?」
「私を見る周りの視線はいつだって異様ですから、目をそらさずにいるとまるで穴が開いてしまいそうになるんです。まっすぐ前を向いて歩くには、目を閉じるしかないんですよ」

 抽象的で曖昧な表現は、諦めたように伏せられた彼の瞼によって明確な意味を持った。

 坂上さんには坂上さんの生きてきた道があって、そこで彼も彼なりの処世術を身につけてきたんだろう。
 人に気づいて欲しいと思いながら幼少時代を送った俺とはまるで正反対の悩みだが、わからないわけでもない。同じような立場より、真逆の方がわかることもあると思う。似たような境遇だと自分と重ねてしまう。それぞれまったくの同一性を持つものなんてあり得ないのに、あたかもわかったような気になってしまうのだ。
 はじめから理解出来ないと思うことは一生懸命考える。客観的な共感が出来る。

 ただ、だからといって今この状況この瞬間にこんな考えなんていらない。

「とにかく今は判子です。あなたは書類をチェックして判さえ押しとけばいいんです」
「なんですか。そんなの機械と一緒じゃないですか」
「機械をあなたと一緒にしないでください。たまに故障しますが彼らは真面目にこつこつ仕事をこなす頑張り屋さんなんです」
「ぐう」
「ぐうの音しかでませんか」

 坂上さんを適当にあざ笑いカタカタとキーボードを叩く。皆取で大変だったときに習得したブラインドタッチが大活躍する。

 会長とのゆるい生活がほんの少し恋しくなった。