早寝記録

万能トイレ

 風紀室に入ったら委員長席に座ってパソコンで作業していた橘さんがちらりと俺を見た。いつもは手を止めずに挨拶をしてくるだけに、また何かやらかしたか? と不安になったが問題を起こした覚えはない。

「恭弥くん」
「は、はい?」
「最近副会長と仲良いの?」

 委員長に言われた言葉に胸がびくつく。俺と坂上さんは会長と仲が良い委員長にも黙って仕事をしていた。
 委員長に仕事に関する秘密は御法度だから、もしこれがばれたんならやばい。
 俺はどうにかこうにかはぐらかそうと思考を巡らす。正直に言ってしまおうなんて気はひとつもなかった。

「紅茶……」
「ん?」
「紅茶飲んでるんです。世界中の。俺、好きで。坂上さんも好きって。だから」
「……」
「……」

 我ながら下手だ。しどろもどろだし。
 嘘が下手な俺に委員長はあきれたようにため息をつく。

「もしそれが本当なら止めた方が良いと思うよ」
「……どうしてですか?」
「君、にぶいよね」
「はい?」
「まあ、いろいろあるけど、一番の理由は会長親衛隊」
「会長親衛隊?」

 3時間めに佐伯君に言われたことを思い出す。
 理由ははっきりと言わなかったが、彼は「会長親衛隊に気をつけて」と言っていた。

「進藤と恭弥くんが仲良くなったばかりの頃は彼らも恭弥くんにいらいらいらいらしてたみたいだけど、最近はそうでもなかったんだよ」
「……そういえば」

 思い起こすと、はじめは文句ばかり言われていたが、最近はそれもぱったりなくなっていた――ような気がする。
 まだ言ってくるやつや睨んでくるものいるが、前に自衛のために覚えた会長親衛隊のやつらではない。

「恭弥くんといるときの進藤は楽しそうだし、幸せそうだし、それを見るのが目の保養とか言って、最近は進藤と恭弥くんの仲を認めてたみたい」
「……ありがたいですね」
「過去形だよ。恭弥くん田中ちゃんと、ここ二,三日副会長とも噂になってるし」

 ん? 俺は首をひねった。委員長は今なんて言った。田中ちゃんと、“ここ二三日副会長とも噂になってるし”?
 田中ちゃんとの噂は知ってる。けど、それはクラスメイトとか田中ちゃんファンで俺に文句を言いに来たやつらに必死に否定してわかってもらえた。というか田中ちゃんは教師だし生徒とやんごとない関係になっちゃうのは法律的にもアウトだし、生徒の方も田中ちゃんは常識人だと思っているのが大多数だから結構すんなりガセだったと思ってくれたらしい。
 でも、どうして副会長と? 学内では会ってないし、坂上さんの部屋に行くときも細心の注意を払ってた。

「とは言っても、まだ煙くらいでみんな信じてはいないみたいだけど」
「煙?」
「火のないところに煙は立たぬって言うから。……みんな信じてはいないらしいけど進藤はどうだろうね。俺、副会長の部屋から朝恭弥くんが出てきたの会計から聞いたし。進藤も聞いたんじゃないの」

 気をつけてたつもりだったがばっちり見られていたみたいだ。やましいことはしていないが、端からみるとやましさしかないだろう。

 だから「会長親衛隊に気をつけて」なのか。せっかく認めてやったのに、他の人にふらふらされたらそりゃあ腹が立つのは当たり前だ。それどころか憎しみは増えるだろう。

 でも委員長は親衛隊どうのこうのより会長と俺の仲がこじれるのを心配してくれているようだ。
 今まで散々会長と仲良くしていたくせに会長そっちのけで副会長と繋がったんなら俺は薄情すぎる。これが「普通」のやつだったら下心なんてないしと言えるが、相手はみんなのあこがれの副会長だ。
 しかも会長は俺が皆取に殴られたときも副会長たちに対して激怒してくれたようだし、そんな俺が坂上さんといっしょにいるのは会長にとっておもしろくないことだろう。

 坂上さんと会長を天秤に掛ける。もちろん会長の方が重い。
 約束はあるが、まあ、いい。

 俺は委員長にちょっと出てきます、といって風紀室を出た。
 奥の部屋で副会長関連以外の作業をしなければいけなかったがなんとかなるだろう。

 俺は一人、風紀室とも同フロアの生徒会室からも離れたところにあるトイレへと向かった。
 一般生徒は用がなければこのフロアには来られないし、近くに使用されている部屋もないから人と会う確率はかなり低い。
 それこそ失意のどん底で泣いてたり、一人になりたいやつしか来ないと思う。

 トイレに入り、誰もいないことを確認してから携帯を取り出す。
 坂上さん宛に『電話をください』とメールすると、すぐに着信があった。

『どうしたんですか? ちゃんと判押してますよ、私』
「そうじゃないです。俺、坂上さんに謝ることがあるんです」
『……なんですか』
「今、一人ですか」
『そうですが』

 坂上さんの声色が訝しげなものに変わる。

「坂上さんすいません会長に言いましょう」
『ダメです』
「俺も一緒に怒られますから」
『木戸も?』
「もちろん」
『……わかりました』

 意外とあっさり承諾する坂上さんに拍子抜けしつつ、善は急げということで今から会長のところに行くことにした。
 何を思って自分がこうしているのかいまいちわからなかったが、会長に誤解されるのは嫌だった。

「木戸」

 しばらくトイレでぼんやりしていると、制服を着た坂上さんが現れた。

「部屋で判子を押していたんです」
「そうですか」

 そうして、俺たちは会長のいる生徒会室へと少し緊張しながら足を進めていると、ふいに坂上さんが口を開いた。

「どうして進藤に言うのです?」
「俺が朝に坂上さんのところから出てきたの、常盤さんが見てたみたいで。会長にもその話は行くと思うし、誤解されたら嫌でしょ」
「勝手に思わせておけばいいじゃないですか」
「嫌ですよ」
「どうしてですか? 皆取みたいに親衛隊に嫌がらせをされてしまいますか?」
「親衛隊は関係ないです」
「君も進藤のことが好きなんですか?」

 坂上さんの問いに、俺はいつもならそういう意味で好きじゃないしとムキになって答えるところを「さあね」と濁す。
 生徒会室に近づくにつれて坂上さんが緊張して行くのがわかった。
 扉の前に付くと、坂上さんはドアノブに伸ばした手を止め、俺に顔を向けた。待てをされた犬みたいに眉尻が下がっている。

「……怒られるのは嫌いです。それ相応のことはしたのですけど」
「誰だって同じですよ」

 そう言うと、坂上さんは気を落ち着かせようとしたのか一つ息を吐いて豪快に扉を開けた。
 室内にいた他のメンバーが坂上さんに注目する。

「進藤、少し話があるのですけれど、今いいですか?」
「あ? 話? つうかまたお前の仕事溜まってきてんだけど。ガキじゃねえし俺もいちいち言いたくねえの」
「……ちゃんとやりますよ」

 会長は扉を開けて正面のひときわ大きな机に偉そうに座っている。言ってることも偉そうだ。
 偉そうな会長を見るのは久しぶりだな、と緊張も忘れて笑ってしまいそうになった。

「本当かよ……って、木戸?」

 会長が坂上さんの少し後ろに立っていた俺に気がついたようで、机を離れてこっちに少し小走りで向かってくる。
 この様子を見ていた会計の常盤さんがにやにやと笑っているのが見えた。

 会長が扉を閉めて、俺たち二人に向き直る。

「で、用事だっけ? 何? つうかなんで木戸いるの」

 少しだけ怪訝そうな表情を浮かべながら会長が尋ねたが、坂上さんはきょろきょろと視線をさまよわせ、最後に肘で俺をつついてきた。

「器物破損、被害者、加害者、問題を起こした生徒のリストを知ってますか?」
「は? しらねえ。そんなのあんの?」
「……副会長のポストに」

 俺がそう言うと副会長はばつが悪そうにうつむき、会長は生徒会室の扉脇に取り付けられている役員専用ポストに目をやった。そこには各委員会や教師からの資料が入れられる。

「……溜めてたのか」

 そうして、会長はあきれたようにつぶやいた。こんな状況で思うことではないが真面目な姿になった会長が眉根を寄せてあきれたようにため息をつく光景は、なんとも格好良かった。
 坂上さんはといえば、首をこれでもかというくらい下げている。首が落ちないうちになんとかしなければと思うほどだった。

「このポストって今年度から取り付けられたんでしょ?」
「ああ」
「坂上さん、ラブレター入れだと思ってたんだって」

 俺の言葉に会長は片手で額をおさえた。俺も坂上さんから聞いたときは似たような反応をした。

「それで、溜まった書類ってのが風紀と一緒にやるやつで、風紀委員の担当のところに俺の名前が書いてたんです。だから最近はずっとその作業を一緒にしてました」
「あ、そう……」

 遠い目をして坂上さんを見る会長に見えるのは呆ればかりで、まだ怒りそうな雰囲気はない。坂上さんもそう思ったのか、おそるおそる目線をあげる。

「で、終わりそうなの?」
「終わらせられそうです」
「あ、そう」
「怒らないのですか?」

 聞かなければいいのに、坂上さんが会長に蚊が鳴くように弱々しく尋ねる。
 会長はすこしだけ決まり悪そうに坂上さんと俺から目をそらし「終わらせるなら良いよ」と言った。途端に坂上さんの顔が輝く。

「そうですか! それではがんばらないと! 木戸!」
「なんですか」
「そうとわかればやるしかないです。さあさあ早速取りかかりましょう!」

 いきなり元気になった坂上さんに呆れたが、まあいいかと会長に謝罪と礼を言い、坂上さんに引っ張られるがままに生徒会室をあとに――

「木戸は置いてって」

 できなかった。

「どうしてです?」
「すぐに向かわせるから。部屋だろ、お前の」
「そうですよ。まあいいです。私は今かつてないほどのやる気がわき上がっているので行きます! 木戸!」
「はい?」
「待ってますから!」

 坂上さんは輝く笑顔でそう言い残し、軽快に去っていった。
 隣にはいつの間に移動したのか会長がいて、なぜか俺の腕を掴んでいる。

 奥の部屋には戻れそうにない。