早寝記録

WC「またお前か」

 怒られるのかなあ、と思いながらどこかへと向かう会長の後ろを黙ってついて行く。
 自分の意志でついて行っているような表現だが、実際は腕を捕まれたまま引っ張られていっているのだ。

 前を歩く会長をちらりと見上げる。この前までの緩い雰囲気は今では硬質なものに変わった。見た目ひとつでこんなにも変わるなんて、人は外見で決まるって実はその通りなのかなと考える。

 そういえば俺は話では聞いたことがあっても会長が怒ったところなんて見たことがない。
 腕を引かれながら、会長に怒られている自分を想像したら少しだけ胸が高鳴った。マジか。マゾか。冗談じゃない。

 俺はこのまま考え続けると一生知らなくていいはずの自分の性癖を発見してしまう予感を感じ、気を紛らわせることにした。

「先輩どこ行くんですか?」
「どこだろうね」
「行き先なかったんですか」
「そう。何も考えてねえの」

 そう言って笑った会長を見て、最近はいっぱいいっぱいで会長が笑ったとことか見てるはずなのに記憶にないなあと思った。

「何しに行くんですか?」
「別に? 強いて言うならお話?」

 会長は「ここでもいっか」と一人で納得したように呟くと、さっき俺が坂上さんと待ち合わせたあのトイレへと入った。

「よりにもよってトイレですか」
「いいだろ。キレイだし」
「まあ、いいですけど」

 改めて意識して見回すと、壁には涼しげなスカイブルーのタイルが敷き詰められており、床はゴミひとつない白いセラミックタイルで作られている。個室も一般のよりは広い。

「個室行くか」
「なんで?」
「座りたいじゃん」
「狭いよ」

 俺の意見はやはり無視される。
 会長は腕を掴んだまま一番奥の個室に入り、閉じた便器の上に座った。
 会長はわずかに口角を上げて正面に立つ俺を見上げる。
 『友達』というものはきっと連れだって個室に入り見つめ合うものなのだ。

「先輩」
「何?」

 待っても会長は俺を見るばかりで口を開こうとはしないので自分から話し掛ける。
 言いたいことがあった。だけど、これを言ったら自分が思い上がってるみたいで恥ずかしいから、できれば言いたくない。
 緊張と不安が高まる。

「俺、色んな人と噂になってるみたいなんだけど」

 俺がそう言うと、会長は知ってるとばかりに余裕の笑みを見せる。

「田中ちゃんと坂上と俺」
「……どんな噂知ってるんですか?」
「尻が軽いらしいね。キスは三ヶ月それ以上は半年経ってからじゃなかったっけ」

 会長が揶揄を含ませて意地悪く笑う。それを見て否定すれば良いのに、俺が否定しても会長は信じてくれるだろうかとか、もし信じてくれなかったらどうしよう等と考えて言葉が喉につまったまんま出てこない。

 黙り込む俺を見てどう思ったのか、会長がふっと笑ってだらんと下げた俺の左手を取った。
 左手から熱が伝わってくる。俺は会長に責められているはずなのに意図がわからない。

「噂でしょ?」

 会長が掴んだ手を強く握った。

「噂ですよ」
「だって俺とも色んな噂あるけど全部が本当じゃねえもんなあ」
「……あんまり知らないから、噂」
「結構激しいのが多いよ。聞きたい?」
「いらない」
「あ、そう」

 ミキちゃんは俺に関する噂を集めててなんでも知っているが、俺が聞いたのと軽いものしか言ってこない。なんでもかんでも知る必要はない。知るということは心が疲弊する。それが悪いことだったら尚更だ。

「俺、先生とも副会長とも何にもしてないです」
「うん」
「……何にもって先生とは化学の勉強して、副会長とは仕事してたけど」
「うん」

 会長は笑みを浮かべて相槌を打っている。

「何でそれを俺に言うの?」
「それは……」

 会長がまた揶揄を含んだ笑みを浮かべて聞いて来る。
 どう答えようかと考える。そもそも、よく考えてみたら、副会長関連では会長に助けてもらったことがあるから釈明をする必要はあるかもしれないけど、田中ちゃんに関してはする必要はない。
 だって、会長と俺は付き合ってないし、言ってしまえば俺がどこで誰と何してようがこの人には関係ないのだ。
 関係ないんだ。けど――

「誤解されたくないんですよ」
「へえ。なんで?」
「なんでって……」

 そこまで突っ込んでくるのか――と少し忌々しく感じる。
 なんて答えたら良いのだろうか。わからない。何を言うにしても一度言った言葉は覆らないから、慎重に言葉選びをしないとならない。

「わからないです」
「俺のこと好きなの?」
「……わからないです」

 俺の答えに、会長は少し驚いたように「へぇ」と目を見開いた。
 好きなの? と聞かれて否定しなかったのははじめてだ。

 別に告白したわけじゃないのに顔に熱が集まる。
 依然として握られたままの左手が尋常じゃないくらい熱い。

「なあ」
「何ですか」
「俺は好きだよ」
「そりゃどうも……」
「うん」

 なんだかさらりと告白された気はしたが、さらりとし過ぎなのでただの会話の流れだと思っておく。

「よし、そろそろ坂上のとこに送り届けようか」
「よろしく」

 そうして俺たちはトイレから出た。
 なんとなく俺の前を歩く会長の背中を見つめる。
 ぼんやりと、上から下まで真っ黒だなあと思った。