『竜宮ラブ★四季の窓』
「くっ――」
また一つ、シーツにシミが出来た。
「何だよこいつら……! ばっかじゃねえの!」
鼻水の気配を感じ、ティッシュを勢いよく取り出したが予想以上に多く取れてしまったので数枚戻す。
チーンと鼻をかんでドア近くのゴミ箱に投げ捨てる。
外れた。
そんなこと気にも留めず、思い切り腕をベッドに叩きつけやるせない切なさをどうにかしようともがくが高反発により弾き返される。
「両思いなのに付き合わないとかっあほかっ――げほっ」
何かが気管に入り盛大にせき込む。咳が咳を呼び止まらない。しばらくベッドの上で悶える。
泣きすぎて喘鳴に喘ぐなんて女々しすぎる。
たまに咳をしつつ横たえていた体を起こし壁に背をくっつけると、大分落ち着いてきた気がした。
そして、ちょっと前に聞いた懐かしくすらある音が耳に入ってきた。
すっかり物語に入り込んでいた俺は、龍宮(人気者攻め)と亀山(平凡根暗受け)と龍宮に惚れる邪魔者美形乙葉のことしか頭になかったから、無意識に息急き切らして窓を開けた。そしてそのまま閉める。
一気に頭が冷えた。
とりあえずひどい顔だから洗わなきゃと思って部屋から共有スペースに出ようとしたところで窓からの侵入者に腕を掴まれる。
おそるおそる振り向くと会長がにやにや笑って俺を見ていた。
「ずっとノックしながら見てたんだけどさ、何読んでたんだよ」
「……ご飯食べます?」
「食ってきた」
まずい。ベッドの上にはあの本が逃げも隠れもせず無造作に置かれている。丸見えだ。
(つうかなんでまた窓からくるんだよ、危ねえじゃんか、それよりこいつ今日は坂上さんと食堂行くって言ってたのになんでこんな早くにこんなとこいるんだよわけわからん)
必死に頭を働かせるが出て来るのは疑問と焦りばかり。ふと時計を見ると時刻は22時をとうに過ぎている。
6時間も亀山君と龍宮の恋に没頭してしまっていたのか――しかし物語はまだ終わっていない。字が少なそうだったからすぐに終わると思ったが、1頁二段組みは結構時間がかかる。
何より中盤までよくわからなかった龍宮の気持ちがわかる箇所があって、それからまたはじめに戻ってしまった。龍宮の気持ちを知ってから読み返すとなんと切ないことか……!
また涙が滲む。喘鳴が蘇る。
「木戸、ああいうの読むんだ」
「かっ借りて……!」
「号泣だな。どんな内容?」
そう言ってベッドに近付こうとする会長に、はっと我に返りとっさに足を払うと、見事に引っ掛かった会長がベッドの上に倒れ込んだ。
腕を掴まれていたから俺も道連れになったが、運良く会長の上に乗れたので、マウントポジションを確保しつつ素早く本をベッドの下に滑り込ませる。
昨日掃除したからベッドの下も綺麗だ。
でもミキちゃんごめん。
「なんだよ、木戸。積極的すぎ。俺今日はがんばっちゃおうかな」
「何を? つうか足払いで積極性を判断するんですか」
「めっちゃ涙声。どんなん読んでたの? 何で隠したわけ?」
「男と男のラブストーリーですよ」
「んなの表紙見たらわかる。内容内容」
「内容ないよう? ダジャレ止めて下さい。反応に困るんで」
「ダジャレじゃねえって。内容どういうの?」
「両片思い的な……まあ、すれ違いを楽しむ話」
「楽しめてねえじゃん」
「続きが気になってしょうがないんです。これ楽しめてるってことですよね」
「俺も読みたい」
「だめ」
適当に答えてのらりくらりとかわそうとして墓穴を掘ってしまった。
まさか会長が読みたいと言うとは。
会長の上で思案する。又貸しはダメです、と言ってもこの男なら直接ミキちゃんに掛け合うだろう。
「男と男のあれこれですよ。……会長ならそうだ、あの有名なこころあたりからスタートしたらどうです? あれ、海外じゃ同性愛小説って認識らしいし」
「今授業でやってるよ」
「さ、最後の章しか教科書にのってないんでしょ? そこじゃなくてひとつ目の先生と私がラブってんすよ」
「そもそも持ってるし、三回くらい読んだし。ってことはスタートしてる段階だな」
「まじっすか」
「まじっすよ」
会長は軽く笑んでからどうしようかと考える俺の隙を突いて俺の肩めがけて手を伸ばしてきた。
元々隙だらけでさらにふいをつかれた俺はすぐに会長にひっくり返される。
そしてベッドに仰向けに倒れ込んだ俺に会長が覆い被さった。
完全なる密着に白目を剥きそうだ。やばい。心臓が有り得ないくらい早鐘を打っている。あまりの密着具合に押し返すことも出来ない。
俺の手はむなしくも虚空をさまよう。
頭の中はどうしようでいっぱいだ。というか、この状況知ってる。さっき読んだ。
龍宮が亀山くんを不可抗力で押し倒したシーン。読んでる身としては二人が想い合ってるのを知っているから、いっちょキスでもしてまえやとお下品なことを思ったが、それは物語の中の話であって、しかもキスは両思いで付き合ってからじゃないとしちゃだめだから――って俺は一体何を考えてるんだ。
俺に覆い被さった会長がなにやらもぞもぞ動いた後、静止した。そして、またもぞもぞと動いた。
「とれた」
「は……?」
そう言って会長が体を起こした。さっきと真逆のポジション。腰あたりに跨られているため動けない。
「あ!」
会長の手にさっきベッドの下に隠した小説があった。
手を伸ばして取ろうとするが届かないところまで引き上げられる。
「何々……? ええと…………へえ……ふーん……ははっ」
会長は裏表紙にかかれた説明文に相槌を打ちながら読んでいる。
裏表紙に書いてあるのは物語のあらすじだからどんな話か丸わかりだ。万事休す。
あきらめた俺は一切の抵抗を止め、下から会長を観察する事にした。
どの角度から見ても格好良いなんて詐欺だ。
命あるもの必ず死が訪れる。人類みな平等です――なんてよく言うけどそんなの絶対嘘だ。同じ時間を生きたとしてもその間苦痛を多く感じるか幸福を多く感じるか、それは生まれたときに大体決まってしまう。だって美形が得をするように世界は出来ている。少なくとも日本はそうだ。
美形は誉められることが多いし、不細工はからかわれることが多い。俺は可もなく不可もないらしいから不細工といじめられることはなかったけど、普通にぼーっとしているだけで喧嘩売ってると勘違いされたりすることが多々あった。
顔が良くないほど人の悪意に晒される機会が多くなる。悪意は人を荒ませる。つまり、顔が良くないやつは荒みやすい。
「先輩さー」
「何だよ」
「ぶさいやつからかったことある?」
「は? ねえよ。俺、自分以外にあんま興味ないし。人がどんな顔しててもどうでもいい」
なんということだ。
この日、美形は不細工を虐めるという偏見が一つなくなった。
「何? なんでそんなこと聞くの? 木戸は地味だけど可愛いよ」
「……それはない」
「ホントだって。ねえ、この龍宮の完璧っぷり俺みたいじゃね?」
「龍宮さんはあんたみたくナルシストじゃないですよ。ヘタレだけどとても優しい格好いい男です」
「亀山は弱気な木戸って感じ。このふたり最後どうなんの? ちゃんとくっつく?」
「知りません。まだ途中だし」
「なんだ、一冊で終わりじゃねえのか」
「えっ」
会長はあろうことか最後のページを見ている。
最後見ちゃうとかこいつ邪道過ぎる。価値観の相違だ。信じられない。
それよりなによりこの一冊で終わりじゃないのか。ミキちゃんそんなこと言ってなかったのに。
何巻で終わりなのかが気になって仕方ない。
もしもまだ続いていたら俺は外に出て思いっきり叫ぶ。生まれてこのかた完結済みの物語しか読んでこなかったというのに。なんてこった。
俺が会長の暴挙と知りたくなかった事実に唖然としていると、会長が「これ誰の本?」と尋ねて来た。
「……ミキちゃん」
「木戸の話によく出てくる3月生まれの子か」
「そうです」
「読み終わったら貸してっつっといてくんね?」
「いやです」
「直々に行きたいけど迷惑かかるしよ」
「……読むんですか? これ」
「ああ。おもしろそうだし」
しかしもうここまで知られてしまったらどうでも良い気がする。会長が何を思ったかは知る由もないが、からかってこなかったからもうどうでも良い。
それに、会長までハマってくれたら、未完結でも妄想し合うことで完結するまで耐えられる気がした。
「ちょっと待って」
会長を制止して、ポケットに入っている携帯からミキちゃんに電話をかける。
すぐにミキちゃんに繋がった。
『恭ちゃんどうしたの?』
「『竜宮ラブ★四季の窓』完結してる?」
『あと一冊。今年の秋か冬に出るって。恭ちゃんすげえ涙声』
「亀山君切ないんだけど。ねえ、会長読みたいって言うから又貸ししていい?」
『……もちろん』
「どうも。じゃあまた明日」
『がんばー』
いきなり応援して来たミキちゃんに何も返さず通話を終える。
会長は俺の上で大人しく小説を読んでいる。
『竜宮ラブ★四季の窓』は秋か冬に最終巻が出るらしいから、それまでは妄想で気になる気持ちを抑えなければならない。
だとしたら、会長から離れるのはそれからだ。
きっとそれまでには坂上さんや常磐さんとも親交が深まり俺離れが進行しているだろう。べたべたされると心拍数が上がったり堪らない気持ちになるから、さりげなく友達の距離を教示しつつすごしていけばいい。
妄想だったらミキちゃんが一番の適役だという思いは頭のどこかにあったが、それに気付かないふりをする。
もしかしたら会長はものすごい妄想王かもしれないから、俺はそれに賭けているのだ。人生は賭博。俺格好いい。そうやって無理矢理理由付けをする。
『竜宮ラブ★四季の窓』が完結するまでは、会長のそばにいさせてもらおう。