朧風呂
「俺すげえ甲斐甲斐しくね? お前さ、絶対自慢するべき」
会長が俺の体に熱いお湯を掛ける。
それから会長は雑な手つきで泡を立て、力強く全身をこすった。
俺は瞬く間に泡だらけになり、ジャージ姿の会長も泡にまみれる。
「シャンプー……は、めんどうだからいいよな、この泡でやっちゃっても」
会長がボソッと呟く。
やめろ。ぱさぱさになる。トリートメントもちゃんとしてくれ。
俺はぼやける意識の中で髪の心配をしていた。
「木戸。お前みんなに会長様がやさしく風呂入れてくれたって言いふらせよ。それから――」
会長が恩着せがましく何かを言いかけたが、その言葉を最後まで聞くことなく俺は意識を手放した。
――これ、もちろん夢オチ。
*
――俺の水泳大会が終わった。
「木戸、大丈夫?」
会長のいたわりの言葉が聞こえる。けど、俺は頭を上げられない。というか、朦朧とする意識そのままに会長の部屋に連れてこられ、そのまま会長のベッドにダイブした。
それからずっと寝ていたのだとは思うが、何時間も指一本たりとも動かせずただぼんやりとしている気もする。
ひどい倦怠感だ。
「木戸ー。木戸ー。きょうやくーん?」
「……だいじょぶ」
会長は何度か部屋から出ていった気がするが、正確なところはわからない。
軋む体に鞭を打ち体を起こす。
会長はベッドサイドに腰掛けていた。
「別に起きなくても良いけどよ。腹すかねえ? なんか買ってこようか?」
「……いいです。すいませんおれ帰ります……」
「泊まってけば? もう夜だよ。どうせ明日は終業式だけだし、ずっと寝てれば?」
そう言った会長は目に掛かった俺の前髪を優しい手つきでかきあげた。お母さんかよ、というつっこみが浮かんだが、その手が心地よかったから言わなかった。
俺は事前の想像通りクラス対抗水中棒倒しで儚く散った。
「お前は泳げないから棒にしがみついてろ」と言われクラスメイトに手を引かれて棒のあるバカでかいプールの中央に連れて行かれた俺は、命を棒に預け、なんとも心許なく大きな不安を抱き必死にしがみついていた……。
相対するS組の棒には、次期生徒会補佐との声が上がっているチャラそうな美形が余裕綽々で棒のそばで立ち泳ぎをしていて、すごくむかついたのを覚えている。
しかし、俺の意識はそこまでだった。
それからのことはまるで見始めの夢のように不確かで、ピストルの乾いた音と共に押し寄せる男たち、怒号、歓声、湧き上がる恐怖、いたるところから体内に入ってくる水、反転する世界。
明晰夢の方が俺が認識できる現実よりもはるかに現実的だった。
一部始終をプールの縁に腰掛けて見ていた会長によると、俺は瞬く間に吹き飛ばされ、浮いてこなかったという。
「ほら、横になってろって」
会長が俺を弱く小突く。
倒れないこともできたが、そのままベッドに倒れてみた。
ふかふかのシーツに抱きしめられる。
会長はまるでそのふかふかのふとんのように優しげに目を細めた。
――かと思ったら一瞬で優しい微笑みは意地悪な片頬笑いに変わる。
いやな予感がした。
また体を起こしてベッドサイドに腰掛ける会長と対峙する。
「木戸、覚えてる?」
「……何をですか」
「俺、ぐったりするお前を引きずって風呂に入れてやった」
「え」
「優しいだろ。感謝しろよ。忘れてましたみたいな顔してさ、なかったことにされたらなんか嫌だから何回でも言うけど……覚えてる?」
覚えてない。嘘だ。そんな感じのこっぱずかしい夢は確かに見たが、あれは夢だった。だから覚えてない。
はっとして髪に手を入れかき混ぜる。
「ぱっパサパサしている……!」
「明日入り直せよ、良いシャンプーとかあるしさ、使えばいいよ。今はとりあえず寝ろ」
会長は高圧的にそう言うと、俺の胸のあたりをぽんと押し、ベッドに倒れた俺の目を片手で覆った。
「歌ってやろうか?」
会長がにやりと笑う。
「いらない……」
「そう?」
歌ってもらわなくても体は眠りを欲しがってるし、会長が歌う子守歌なんてなんだか気持ち悪い。だからいらない。
眠いしだるいし重いしだけど心地良い。
「木戸」
恥ずかしいが、事実は事実だ。仕方ない。諦めよう。
そう決めて、何にも考えずにうつらうつらしている俺に会長が声を掛ける。
「何ですか……?」
「おやすみ」
「……はい」
空気で会長が笑ったのがわかった。
ああ、思い出した。
風呂での会長の言葉の続き。
会長は「みんなに会長様がやさしく風呂入れてくれたって言いふらせよ」といった後、今みたいにふっと笑って「それから、あんまり心配かけさせんな」って言ったんだ。
やっぱりお母さんだ。
俺はその日会長と一緒にプールで泡にのまれる夢を見た。