早寝記録

褒めよ称えよ

 放課後――明日からはほとんどの生徒が待ちわびていた夏休みが始まる。
 早いやつはもう帰郷するために寮を発った。
 俺はというと、ぐるぐると悩みながら会長の部屋へと向かっている。
 会長の部屋は俺の住んでいる階よりもずっとずっと上にあり、しかも専用のカードキーがなければエレベータに乗ってもフロアに行けないし、階段から行っても鍵がかかっている。
 だから俺はいつも面倒くさく思いながらもせっせと会長のいる階まで階段で行って、フロアに通じるドアのところで待ち、会長に鍵を開けてもらうのだ。
 迎えに行くからエレベータで来ればいいのにと会長は言うが、そんなところを見られたらまたなんて噂されるかわからないから断った。
 人になんと言われてもいいが、言われないならその方がいい。

 みんな荷造りでもしているのか、人の少ない階段を上りながら考える。

 終業式では省吾とドア付近に立って気分が悪くなってそうな生徒がいないか、不審な動きはないかなどを観察していた。
 その時に、省吾といろいろ話したのだが、その中にはもちろん昨日の水泳大会のこともあって――

 無意識にため息をつく。
 俺がおぼれた時に助けてくれたのは体育委員だと思っていた。会長は部屋に連れてきてくれただけだって。途切れ途切れの意識の中で、確かに心配そうな会長の顔を見た気がしたが、それは幻覚か夢だと思っていた。
 けど、省吾の話だと、俺を水の中から助け出してくれたのは会長らしい。

「……どうしよ」

 省吾は、礼言ったほうが良いんじゃねえの、と言った。俺だってそう思う。けど、素直に言えるとは思えない。また、省吾は、これは絶対面白半分で「そこで突っぱねるから遊ばれるんだよ。逆に全力で称えたらきっと面白い反応が見れるよ」と予想し「会長だってお前が素直に褒めてくれると思ってるわけないだろ。だから、その裏をかいてすっげー素直に褒めてみろって。絶対面白いから」と提案した。
 それは確かに面白そうだし、ついでにお礼も言えそうだけど、俺にできるとは思えない。だってほめるとか称えるってどうすればいいんだ。素直っていったい何? わからない。わからない。

 けど、きっと男にはやらねばならぬ時がある。そう、あるのだ。
 どうせ会長は夏休み実家に帰るんだろうし、今日俺が恥をさらしても実家で楽しくしあわせにしているうちに俺のことなんてすっかり忘れるだろう。
 だとしたら、今日くらいいつもの自分を捨てて、やってしまおう。

「よし」

 人がいなくなった階段で一人気合を入れる。
 気が付いたらもうすこしで会長が待っているフロアだった。携帯電話を取出し、まずはミキちゃんにメールを打つ。『人をほめるのってどうすんの?』と聞けば、時間をおかず『隣に座って上目遣い』と返信が来た。
 俺はあまり人を褒めないが、こんなことをしなければいけないんなら、確かに俺に「ほめる」という経験がないはずだと合点がいった。
 今までだって褒めたことはあると思うが、隣に座って上目遣いなんてしたことがない。

 できるかなあ、と不安に思いつつ着きましたと会長にメールを打つと、すぐに『おっけー(>◇<)』と返事が返ってきた。
 いつも思うが、会長のメールはテンションが高い。ネットではじけるタイプなのだろうか。
 そんなことをボーっと考えていたら、目の前のドアの鍵がガチャガチャと音を立て、会長がぬおっと出てきた。

「……どうも」
「ああ。待ってた」

 そう言ってすぐにくるりと俺に背を向けて、会長は自室へと歩き出した。
 まずは服装から褒めてやろうと思っていたのに、会長はまさかの学校指定のTシャツにジャージの短パン姿で、その恰好はお世辞にもおしゃれとは言えず、俺は会長をほめることができなかった。

(……待てよ。ダサくても格好良いですね。これで良くね?)

 ひらめいた俺は遠ざかっていく会長を小走りで追った。
 しかし何も廊下のど真ん中で褒め称えなくてもいい。今日はまだ長いのだ。ほめる時間はたっぷりある。





「さてと、何する?」

 部屋についてソファにどどんと座った会長が立ったままの俺を見上げて聞いてきた。
 いつもなら床にあぐらをかくところだが、今日の俺は違う。
 きっと距離が近い方がほめやすい。根拠はないけど確信はある。
 俺はそう思い込んで、会長の隣に座った。会長があまりにもどどんと座ったために、二人掛けのソファに余裕はあまりなく、窮屈だったが我慢する。
 俺が隣に来たことに驚いたのか会長が一瞬目を見開いたが、それはすぐにいつもの不敵な笑みに変わった。
 大丈夫だ恭弥、まず心の中で練習しよう。ジャージでも格好良いですねジャージでも格好良いですねジャージでも格好良いですねジャージでも格好良いですね……やばい、ジャージがゲシュタルト崩壊を起こしてしまった。なんだよジャージって!

「何々? 俺にくっつきたいのか、木戸」

 まあ、ジャージがなんでもいいや、言っちゃえ!

「ジャ、ジャージでも格好良いですね!」

 半ば叫ぶようにして言い放った俺に会長が目を丸くする。
 俺は頭を抱えたくなった。このタイミングはいくらなんでもおかしいだろう。

「……何々? 木戸、やっと俺の魅力に気づいたのか。おっせえなあ」

 会長がまた不敵な笑みを作り肩をすくめた。
 大丈夫だ、思ったより引いていない気がする。
 ここで昨日のお礼を言うべきだ。目標は早く達成したほうが良い。
 ばれないように小さく息を吸い込んでなぜだかバカみたいに緊張している体をリラックスさせる。

「先輩」
「何だよ」
「き」
「き?」
「昨日はありがとうございました」
「……何が?」

 会長が柔らかく笑って小首をかしげた。その時に会長の真っ黒な髪の毛がさらりと揺れる。
 ほめるときは、隣に座って上目遣い。お礼でも、まあいいか。
 さすがにミキちゃんの言う上目遣いは気持ち悪いと思うが、会長の方が背が高いのだから自然とそうなってしまう。

「助けてくれたって聞いたんです、昨日、おぼれた時」
「ああ。それか。別に、俺近くにいたし」

 ここで会長が予想外の返答をみせた。絶対おぼれる木戸を助ける俺! 格好いい! とか騒ぐと思っていたのに、謙遜した。会長が謙遜するなんてどうしたのだろうか。心なしか会長の頬が赤い気がする。
 まさかこの人がここまでわかりやすく照れるわけないだろうし、照れているのではないだろう。
 じゃあ、きっと今日はどっか体調がおかしいんだ。きっとそうだ。
 会長が謙遜したことで緊張よりも不可思議さが勝り、いつもの会長ではないと脳が勝手に判断したのか、いつもの素直じゃない俺は姿を潜め、違う俺が顔をのぞかせた。

「ほんとうに助かったんです。ありがとうございます。あと、体もきれいにしてもらってよかったです」
「ぶはっ」

 俺が頭を下げると会長はあろうことか飲んでいたお茶を吹いた。いよいよおかしい。まさか、ほんとうに体調でもおかしいのだろうか。

「どっか体調悪いんですか? 大丈夫ですか?」
「し、心配なくていい。どこもおかしくねーから」

 会長がテーブルの上に置いてあった布巾でこぼれてしまったお茶を拭く。拭く手つきがたどたどしかったから、代わりにやってやろうと思い何も言わず布巾に手を伸ばすと、会長の手に少しだけ指が触れてしまった。

「わっ」

 その瞬間会長がはじかれたように体をびくつかせ、コップに手をぶつけてお茶をこぼした。

「なんかそれ傷つくんですけど……もしかして、俺が隣に座るのいやですか?」
「そんな……ことねえよ。だったら同じベッドで寝ない……なんか、俺、あれだ、そう。なんか今まで昼寝してたから、きっと、そのせい。なんか変なの」
「……」
「ほんとだって」
「それならいいけど」

 なんか変なら褒めてもいいか。素面の会長を相手にするよりもよさそうだ。
 この時になると、俺は当初の目的を忘れ、自分の殻を破りたい、そう考えるようになっていた。

「俺、会長は優しいと思います」
「い、いきなりなんだよ」
「よく会長、自分のこと完ぺきっていうけど、そうかもしれないなって思います」
「はあ?」
「格好良いし、まじめだし、優しいから」
「そ、そうかよ、なんだよ。……ははっ、そうだろ! 完璧すぎて惚れるだろ」
「はい」
「なっ! そ、おま、なんだ、そういう、冗談はだめじゃね?」
「冗談じゃないですよ」
「へ?」
「亀山君の気持ち、俺わかるかもしれないです」
「は、は、はああああ」
「あ」
「あ?」
「そうだ、忘れてました。『竜宮ラブ』出てるやつ全部ミキちゃんから借りてきたんです。部屋に忘れてきちゃったけど……続き、読みますよね」
「あ、ああ、読む。風呂」
「はい?」
「俺、風呂、行く」
「なんで片言なんですか」

 そういうと会長はふらふらと風呂場へと向かって行ってしまった。残された俺は変だと思いつつもまあ、結構褒めたし、もういいかと布巾を濡らしに台所へと向かう。
 このままだったらテーブルがべとべとになってしまう。こびりついてからでは面倒くささが倍増するのだ。

 省吾は「きっと面白いものが見れる」といったが、確かにそうだったかもしれない。
 ただ、俺はしどろもどろな会長よりもいつもの不敵に笑って「当然だ」と鼻で笑う会長のほうが好きだ。

「高圧的に来られるとときめく……とか?」

 この前に引き続き、このまま妄想すると自分の気づいてはいけない性癖を思い知ることになりそうで必死に意識の外に追いやる。
 俺はマゾじゃない。普通だふつう。ノーマルなのだ。

 そんなことを考えながら布巾を濡らす。
 俺は、さっき会長に何を言っただろうか。
 あの時はとにかく褒めよう褒めようと必死であまり冷静になれていなかった。
 確か、ジャージでも格好良いですねから入って。

「……!」

 思い出した途端湧き上がる羞恥。
 恥ずかしい。
 俺は、なんてことを言ってしまったんだ。
 格好良いを連発した自分にも信じられないが、今日言ったことがすべて普段本当に思ってることだというのも信じられない。
 そしてなにより「惚れた?」に「はい」なんて答えてしまって。

 濡れ布巾を手にその場に蹲る。
 顔が熱い。いや、背中が寒い。何が何だかわからない。

 しかも、流せばいいのに「亀山君の気持ちがわかる」なんて言っちゃって。告白じゃねえか、ばかが。

 会長が片言で風呂に行ったのはもしかしたら俺を振るための算段をたてているとか、いろいろ考えるためじゃないかとか、考えても仕方のないことばかりが浮かんできてしまう。

「……よし」

 今日は会長はとてもおかしかったから、風呂から上がったら全部なかったことのようにふるまおう。そうだ、それがいい。

 俺はよくわからない覚悟を胸に濡れ布巾を見つめ、テーブルへと向かった。

 テーブルは拭くたびに綺麗になる。「汚れ」がなかったことになるのだ。
 だから、俺が懇切丁寧にテーブルを拭けば、その度に会長の記憶もきれいさっぱりなくなる……と思って拭こう。

 会長がのぼせるまで風呂を堪能している間、俺はテーブルをピカピカに磨いた。


→会長視点