おとこのこ
「木戸!」
「なんですか」
風呂から上がった会長は水を全身からしたたらせながらパンツ姿でリビングへと入ってきた。
一応髪を肩にかけたタオルでおざなりに拭いてはいるが、歩くたびフローリングの床が濡れていく。
「ちゃんと拭いてから出てこないとびちょびちょじゃないですか」
「いいんだよ、ほっとけば乾くし」
「適当すぎ」
どうやら復活したらしい会長は、ふふんと笑って懲りずにソファに座っている俺の隣に腰を下ろした。
隣で見る会長は全身真っ赤で、近くにいるだけで体から発せられる熱気で俺までのぼせそうだ。熱いから離れてほしいが、ここは会長の部屋だし、離れるのは俺だ。
そう思って腰を上げる。すると、会長が心配になるほど熱い手で俺の腕をつかんだ。
「なんですか」
「いいじゃんここで」
「あっついんですよ。つうか水持ってきます。倒れますよ」
「あ、そう」
適当に理由をつけて台所へと向かう。学校が山奥すぎて水がおいしい。水の綺麗さと柔らかさだけでも俺はこの学校に来てよかったと思っている。
コップをひとつ取り出して水を汲み、会長のもとへ戻る。
水の入ったコップを手渡すと、会長は一気に飲み干した。
「風呂入りながら俺考えたんだけどよ」
「……なんですか?」
さっきからなかったかのようにふるまっていたけど、やはりそうはいかないのか――告ってもないのにフラれたくないな、と脳が冷える。
「夏休みどっか行く」
しかし、会長の口から出たのは俺の予想に反して意外なものだった。
「行けば良いじゃないですか」
「木戸も」
そう言う会長にフラれなくてよかったと安堵を覚えながら誘いを断る。
本当にさっきの俺はどうかしてた。省吾に言われたからって、面白いかもと思ったからって素直に褒める俺は主観的客観的に見てもおかしいし気持ち悪い。
いつもの床に腰を下ろすと、やはりソファよりも快適ではなかった。でも、今ではこの堅いけど高そうな絨毯が愛おしくて仕方ない。ソファに座ったら俺は変になるから、もう二度とこの部屋のソファには座らないでおこうと決意する。
「俺としては、木戸の実家」
「絶対ダメ!」
ゆるゆるとソファについて考えていた俺は、会長が放った「実家」という言葉に一気に現実に戻され、最後まで聞かずに叫んだ。
「絶対ダメですそれだけはダメです! 俺は意地でも帰らない! 外に出たって家だけには帰りません」
「なんで?」
「ケンカしてるんです父さんと」
「なんで」
聞くなバカと会長を睨んでみるが、俺のにらみなんて会長には全くきかないらしく、また「なんで?」と問いかけられた。
誰にも言ったことはないが、会長の名前に俺も感じる所があったから、まあいいやと口を開く。
「俺、四人兄弟なんです」
「おお。俺五人」
「……多いですね」
「まあね。それで?」
「全員男なんです」
「へえ」
「……親は、どうしても女の子が欲しかったみたいで」
「うん」
「でも、一応は俺で諦めたんですよ」
「へえ」
そう言って、膝においた手を力強く握りしめる。あの時のことを思い出すと今でも腹が立つ。本当に腹が立つ。
爪を切ってヤスリをかけていなかったらきっと血が出ているだろう。
そのくらい強く手を握る。
「……もう中学生になるという春休みのことです。俺たちは、家族でリビングにいました。俺はもう入寮のための荷造りも終えて、でも、家から離れるのは寂しいな、って思っていたんです。親友と呼べるような子もいたし、離れなければならないのもつらいし」
ぎゅっと目を瞑ると、あの時のことがまざまざと蘇って来る。
*
「恭ちゃん、何かあったらすぐに母さんに電話してね」
「何かなくても兄ちゃんのとこには電話してきて良いよ」
「えー。バスで一時間のとこに俺の行ってる学校あるんだから、来れば良いじゃん。電話よりさ。つうかなんで一緒のとこじゃないの。意味わかんないんだけど」
「だって聞く所によるとトウマ君アホほどモテてるっていうじゃない! なんか崇め奉られてるって! どこの世界も信者ほど怖いモノはないのよ。儲けるという字を見てみなさい。まさに金づる! 世知辛さがふんだんに詰め込まれているわ! そんな中にちょっとだけ生意気な傾向のある恭ちゃんをやらせられるわけないでしょ」
おれは黙って母さんと兄ちゃんたちが言い合うのを聞いていた。
四人兄弟の末っ子ということで、おれは結構可愛がられている。
でも、おれが一番可愛がってほしいのは、兄たちでも母でもなかった。
「父さん機嫌悪くね?」
一番上の兄が、複雑そうな顔をして母さんたちのやり取りを見ている父さんに声をかけた。
父さんは「なんでもない」と言いながら神経質そうに眼鏡をくいっと上げると、すこしだけ寂しそうな様子で窓へと視線を移した。
「……お父さん、それ……!」
「……なんだ?」
母さんははっとした様子で一点を見つめると、口元に手をやり何歩か後退った。
母さんの視線の先は父さんの懐からのぞく紙のようなものだった。
そりゃ、親のこんな様子を見たら誰だって気になってしまうだろう。
おれは何も考えず父さんの元へ駆け寄り、奪い取るようにして父さんの懐から紙を取った。
「あ」
誰の声だったかはわからない。
周りが気まずそうにしているから、もしかしたら母さん以外は父さんが何を持っていたか事前に知っていたのかもしれない。
紙は、聖なんとか女学院とかいう、見るからにお嬢様が通います! 的な学校のパンフレットだった。
中央では清楚な感じの女の子が可愛いセーラー服を着てポーズをとっている。
それを見た瞬間おれの今までの鬱憤や積み重ねて来た不満が頂点に達した。
「ここまで来てもおれに女の子になってほしいのかよ!」
だから、おれは気がついたらそう叫んでいた。父さんの様子がおかしいのは俺がいなくなるからだって思いたかった。
色々な感情があふれ出し、鼻の奥がつんとする。
昔から、おれはまるで着せ替え人形のように女装させられた。
父さんや母さん、果ては兄ちゃん達まで何か買って来てくれても、それはほとんどピンク。小さい頃は今よりももっと中性的だったから、親戚や近所の人たちもおれのことをピンクが好きな女々しい男の子だと普通に思っていたらしい。
親戚たちもおれに何かプレゼントしてくれる時はピンクを選び、母さんと町で福引きをしたときは、当たりということで店のおっちゃんがセーラーフーンのマグカップをくれた。おれは覆面ライダーのが欲しかったっていうのに!
けど、おれは男なんだ。
はじめは父さんと母さんが喜ぶなら、と思って大人しく着せ替えされたりしてたけど、クラスの女の子が成長して段々女の子っぽく変わっていく中、おれだって男の子っぽく変化していく。
もしかしたら、はなむけにでも可愛いセーラー服を着て写真撮影をしたらみんな満足するのかもしれないけど、おれは男なんだ。
みんな本当のおれなんて見ようともしてくれない。
大切にされてることはわかっていたけど、父さんも母さんも上の兄ちゃん二人もおれが女の子だったら良かったのに――と思ってることは知っていた。もちろん、それをおれに直接言うようなまねはしなかったけど、似合うからという理由でかわいい服を着せられたり周りにピンクが増えていったら、バカでもわかるだろう。
一つ上の兄ちゃんは自分じゃなくて良かった、と同情しかしてくれない。
もう親元を離れることに対する寂しさは吹っ飛んでいた。
おれは新たな場所で男らしく生きていく。そうだ、なんか男らしい武道を始めよう。
おれがいきなり大声を上げたことでぽかんとしている家族に背を向けて自分の部屋に荷物を取りに行く。
そうして、リビングに戻ってきたおれは家族へむかって宣言した。
「おれ、もう帰ってこない! おれは女の子でもないし、なりたくねえし、なれないし! バカ! 父さんも兄ちゃんもみんなきらいだ! 母さんはちょっとすき」
おれはそう叫んで脱兎の如く家を飛び出し、裏山に隠れて仲のいい運転手の戸田さんをこっそりと呼んだ。
「戸田さんは俺の味方で、唯一信用できる大人っていうか、覆面ライダーのフィギュアとかこっそり買ってくれたり、仕事で海外に行った親の代わりに入学式にも出てくれて――って、会長なんて顔してんすか」
会長は俺の回想をにやにやと笑いながら聞いている。
話しがいのないやつだと、すこしイラッとした。
「聞いてて思ったんだけど」
「何ですか?」
俺がうんざりと聞き返すと、会長は一層笑みを濃くした。何かをたくらむような、いたずらを計画している子どもがわくわくしているような、そんな表情だ。
「その父さんとか兄ちゃんたちの前にさ、俺彼氏できましたー! 将来結婚しまーす! もちろんおれが嫁! ってな感じで帰ってみれば? 俺、彼氏役になってやるから」
「はあ?」
「娘を夢見てたなら当然一緒にバージンロードを歩きたいって思ったこともあったろうしさ。でも息子が実際に彼氏連れて帰って来たらショック受けるだろ。だから復讐? そんな感じ」
そうやって笑う会長に、俺はそうかもなあ……なんて納得してしまい、あの父さんに一泡吹かせたいという思いも手伝って、気付いたら首を縦に振っていた。