早寝記録

あとまわし

 外界に飛び出してから一週間、ようやく寮へと帰って来た俺を待っていたのは、可愛い可愛い佐伯君だった。
 佐伯君は俺の部屋があるフロアの片隅で、捨てられた子犬のように体育座りをしていた。

「佐伯君じゃんか」
「すみませえええええええん!」
「ど! どどどどうしたの?」
「ぼぼぼく、木戸君の予定がわ、わかんなくて毎日部屋のま、前に来てて、すすすすすストーカー! ストーカーみたいなこと、してま、ました!」
「気にしないで!」

 ストーカーの所でひと際大きくなった佐伯君の声が心配で、周りを見ると、案の定廊下に出ていた生徒たちが俺たちの方に視線を送っていた。

「とりあえず中入ろう。今帰って来たからほこりくさいかもしれないけど」
「いいいいいいいんですか! あああありがとう! 木戸君ややややさしくて僕、好きです!」
「えっ。なんかてれる。ありがとう」
「こちらこそ!」

 顔を真っ赤にした佐伯君を促し、部屋に入れる。同室者の多田は8月の半ばまで帰ってこないようで、それまでは快適なひとり生活だ。
 部屋は思ったより汚れていなかった。
 きょろきょろと視線を動かしている佐伯君も、とくに気にする様子なく俺のうしろから付いて来ている。
 可愛くふわふわしている佐伯君にふわふわオムライスを振る舞いたいが、外界に行くときに悪くなるものは全部捨てたから、何も作れない。
 それを残念に思いつつ、遠慮する佐伯君を無理矢理ソファに座らせる。
 俺は座らずに、お茶を用意するために冷蔵庫へと向かった。

「それで、なんか用事あったの? 遊びに来たの?」
「よ、用事!」

 尋ねながら、お茶をコップにつぎ、多田が買っていたクッキーを手に取り、少し考える。俺は見た目と性格から、佐伯君はきっと甘いものが好きだろうと予想したが、これは大変に失礼なことかもしれない。
 佐伯君だって男だから、ふわふわ可愛い子と思われるのは嫌だろう。
 クッキーを置き、その代わりに『ピリ辛! ハバネロチップ』をお盆に乗せる。

「おまたせ。たくさん食べて」

 お茶の入ったコップと、袋を開けたお菓子を佐伯君の前に用意すると、佐伯君がにっこりと笑ってお礼を言った。

「あの、ぼ、僕、会長親衛隊なんです」
「知ってる」
「そ、それで、会長親衛隊の隊長さんは、今3年生なんです」
「うん。すごい綺麗な子でしょ」
「そうです! 綺麗な人です! 真壁さんです! けど、任期が9月までで……。そ、それで、あの、話せば長くなるんですけど、僕ら、結構血気盛んなんです!」
「ああ、すごい大人しそうな顔して体育会系多いよね」

 言いながら、会長が俺にかまい初めの時に親衛隊の子に胸ぐらを掴まれた思い出が蘇る。でかい男数人にちびっ子が襲われていたから助けたら、「貴様は会長親衛隊の敵! 潰す!」みたいなことを言われた。色々混ざっているかもしれないが、あの時はすこしだけショックだった。

「それで、真壁さんは強くて穏やかで絶対王政って感じなんです。僕ら、何があろうと真壁さんには逆らえないんです」
「……すごいね」
「はい! すす、すごいんです! 真壁さんがいなければ木戸君は初期段階で木っ端みじんですよ!」
「……今度お礼言っとく」
「そそ、それで、僕ら、いえ、僕は木戸君が好きです」
「……ありがとう」
「でも、親衛隊の仲にはいまだ木戸君を認められない人もいるんです」
「そうだろうね」
「で、でも、僕は木戸君を、本当の木戸君を知ったら、み、みんな木戸君と会長のことを認めると思うんです!」
「……無理じゃないかな」
「いいえ! だって、木戸君は、すす、すごい良い人で、僕、大好きです」
「あ、ありがと。俺も佐伯君のこと好きだよ」
「あああああああああありがたき幸せ!」

 欠点の方がどうみても多いだろう俺に好かれた佐伯君は、ありがたいことにすごく嬉しかったみたいで、可愛く笑ってハバネロチップを頬張った。そして、盛大にむせた。やはり見た目通り辛いものは苦手だったのだろうか。俺は立ち上がり、クッキーを持って来ることにした。

「ひぃ、辛い。びっくり! びっくりしました」

 お茶をひいひい言いながら飲みきった佐伯君のコップにお茶を注ぎ足し、甘いチョコがかかったクッキーを差し出す。佐伯君はお礼を言って受け取り、クッキーを口の中に入れた。

「舌が痛いけど甘い。お、おいしいです」
「そりゃ良かった」
「それで、次の集会に参加してほしいんです!」
「……俺、ファンクラブに入ってないから集会に出る権利ないよ」
「親衛隊です!」
「ご、ごめん。でも、会長親衛隊の敵って言ったら大体の生徒は俺を答えるらしいしさあ」

 これは、クラスのやつらが前に教えてくれたことだ。その時はおもしろ半分で言われたが、みんな大好き会長さんと毎日昼を食べたりしていたのだ。
 親衛隊には抜け駆け禁止の掟があるらしいし、大好きなやつらでさえ個人的に近づくことが許されないのだから、俺は敵と言われても納得できる。

「会長親衛隊の大部分はもう木戸君のことを敵だと思っていません! 残り少数の過激派は敵だと思っていますが!」
「かげきは……」
「今までは真壁さんとか、会長さんの人柄により木っ端微塵計画を実行するまでには至っておりませんでしたが、それはやはり木戸君と会長さんがお付き合いまで至っていなかったからでして……」
「いきおいしぼんで来てるよ……」
「会長さんが、誰もなしえなかった、木戸君を外に連れ出すという偉業を達成したと僕らの間に伝わったんです……」
「……そう」
「休み明けに動くかもしれません」

 佐伯君の目にうっすらと涙が浮かぶ。
 しかし、それがこぼれ落ちる前に佐伯君は勢いよく立ち上がった。そして、両の手で俺の手を握りしめた。華奢なからだだが力は意外と強く、握られた手がぎりぎりと軋む。

「次の集会に参加して下さい! 僕、迎えにきますから! そして、命尽き果てるまでフォロー致します!」

 佐伯君は俺の返事を待たずに、「ごちそうさま!」と叫びながら部屋から飛び出していった。
 俺は佐伯君の携帯電話の番号も部屋もわからないし、それに今日は朝からバスやら電車に乗って、疲れてしまった。
 佐伯君はふわふわしてそうに見えてきっと意志が強い。
 意思が強い人を相手にするのは面倒くさい。
 だから、佐伯君を追って、集会には出ないと言ってもきっと無駄足に終わる。
 高等部に上がってから敵意にはすっかり慣れたし、のこのこと集会に参加して、これからの対策を練ろう。どういう意味か知らないが、木っ端微塵にはなりたくない。
 俺はそう考え、今日は掃除をして早々に寝ることにした。
 会長が来るかな、と一瞬だけ思ったが、会長は4巻までしか読んでいなかったから、きっと一日かけて竜宮ラブを既刊の9巻まで読むだろう。だからきっと来ない。
 しかし、最後まで読んだら俺の気持ちもすこしは分かってくれるのだろうか。
 本を読ませて理解させるのはどうかと思うか、会長だって龍宮を出して来たからおあいこだ。

 会長は俺のことが好きで、俺もまあ、会長のことがとても好きで、ちゃんと言った。
 だけど、すっきりせず、心躍ることもないのは、劣等感とこれから先を否定的にしか感じられない俺のせいだ。
 それを会長もわかってるのか、公園以来その話題を出さなくなった。

 またいやな方向に考えが行ってしまいそうになり、掃除するのをやめて鍵を持って部屋の外に向かう。

 こうなったらミキちゃんの仲間のところに行って、大人のBL小説を借りてこよう。
 虚構を現実に生かすのはもしかしたらダメなことかもしれないが、事実は小説より奇なりという言葉もあるし、俺の小さな常識世界を広げてくれるかもしれない。

 俺はぐちゃぐちゃの頭で、とりあえずハッピーエンドを探しに行くことにした。