早寝記録

2ストライク

「大体理解した。お前さ、どうでもいいことで悩んでんだな。それって凄いことだと思うんだけど。悩む天才? 俺、そこに関しては素直に負けを認めるわ。むしろ惨敗。ぼろ負け。勝ちたくねえけど」

 会長が開口一番に言ったことだ。

「うざいです」
「それは木戸」
「わかってる」
「ならいいよ」

 そして、5文字の小さな諍いのあと、会長は俺に背を向けて自分の部屋へと向かった。
 その後ろ姿は、俺がついてくるのは当たり前だというように見えて、すこしだけ悔しく感じる。呼んだのは俺だけど。

「先輩さ、橘さんとこにはもう行ったんですか?」
「行ってねえよ。ただ、さっき坂上が大変ですって来たけど。大丈夫だろって言ったら、なんか知らないけど薄情者ってぷりぷり怒ってた」
「行ってみます?」
「橘のとこに? 行かなくていいって。いつも気分が上がって来たら自分から来るし」
「そうなんですか?」
「もう5年もずっといっしょにいるからよ。お前らよりはわかってるって。……まあ、一年目はさすがの俺でも大慌てだったけど。今や夏の恒例行事だよ」
「そうですか」

 そう言って笑う会長を見ながら、すこしだけおもしろくないと思う自分が悔しい。
 委員長と会長はずっと友達で、きっと俺とミキちゃんみたいなんだろうとは思うけど、なんだか悔しい。
 今日はどうでもいいことで悔しがってばかりだ。

「そういえば、先輩中等部の頃は生徒会じゃなかったですよね。なんで? 高校デビュー?」
「俺、昔からちゃんと格好よかったけど別の委員会入ってたし。それに、中等部って単位制じゃないだろ。そういうこと」
「さぼり魔か」
「宿題とかはちゃんと出してたし、反抗的じゃなかったけど、授業が面倒くさくて面倒くさくて。いっつも図書委員会の奥の部屋に閉じこもってた」
「そうですか。じゃあ俺が先輩のこと知らなかったのも納得ですね」
「それはお前が興味なさすぎだからだって」
「だって俺、前の先輩タイプじゃねえし」
「今は?」
「格好良いんじゃないですか」
「素直に言えば良いのに」
「個性を殺す気ですか」

 会長が自室の鍵を開ける。
 俺たちのところとは違ってオートロックだから、いちいち開けなければならずめんどくさいと、前にくどいていた。
 会長が靴を脱ぎ、部屋に入るのを後ろから眺める。
 のこのこと来てしまったが、とくに用も意味もない。
 ふと、どうして俺はここにいるのだろうと不思議に思った。

(会いたかったとか?)

 馬鹿げた考えに、眉が寄り、顔が歪む。
 さっきまでいっしょにいたんだし、そんなはずはない。
 恋愛に関して淡白な方ではないが、恋に恋するタイプでもない。
 そうだ、俺はきっとうじうじしている自分に腹が立ったからここにいるのだ。
 それか、会長に竜宮ラブの感想を聞くためにここにいる。そうに違いない。

「何してんの、木戸。上がんねえの?」
「……すいません」

 玄関に立ち尽くしていた俺に、会長が部屋の奥から声をかける。
 俺は、妙にすっきりしない頭をそのままに靴を脱ぎ会長のいる部屋へと向かった。

 テーブルには、竜宮ラブの七巻がおかれている。七巻は、龍宮に惚れる邪魔者美形乙葉の恋の話で、会長の家で読んでいた俺は一巻以上に号泣した。
 会長が寝ている時に読んでいたから無様な姿をさらさずに済んだが、この巻は胸から腹にかけて引きちぎられるくらい切なかった。

「……何で木戸青い顔してんの」

 心の中の形容を想像したらグロかったからです――とは言わない。想像で青ざめる男は女々しいからだ。

「俺、用もなしにいきなり来ちゃったんですけど、なんか用事とかないの?」
「今日? ねえよ、別に」
「ふーん」
「あ、ねえ、オムライス作ってよ」
「オムライス? いいですよ」

 俺が可愛気なく了解すると、会長が破顔した。

「やった。俺さ、ずっと食いたかったんだよね」
「……そうなんですか?」
「ああ、なんだっけ。遠出したときとかふとした時に思い出して、懐かしくなったらおふくろの味なんでしょ」

 会長はそう言って、それはそれは綺麗に笑った。
 きっと、世界中の誰もが――いや、太陽系すべての生物が見惚れる笑みだろう。
 買い出しにいくか、とそわそわする会長をよそに、俺は何も言わずトイレへと向かう。
 中に入り、鍵をかける。
 白く清潔感溢れる個室は、オレンジ色の照明に照らされ、穏やかな空間を作り出している。

「好きです」

 トイレに向かって告白する。
 アホみたいな光景だが、いたって本気だ。
 おふくろの味とか言われてあんなふうに笑われて、しかもそれが好きな人なのだ。
 さらに相手も自分のことが好きだと言うから、俺はあの場にいたら絶対に化けの皮がはがれる。

 というか、生意気さが売りなのに、素直に色々とやらかしてしまう気がした。
 そうしたら絶対に後悔する。いつもつんとしてる分、素の部分を見られるととても恥ずかしく、悔しくなるのだ。変なプライドだとは思うが、あの忌々しい水泳大会の翌日なんか、思い返すだけで顔から火が吹き出る。

 思えば、あの頃から俺は変だったのかもしれない。
 格好良いを連発して、変に媚びて。

「最悪!」

 思い出したらまた恥ずかしくなって来た。

「さいあく? 何、木戸腹壊れてんの? 大丈夫?」
「大丈夫です! ひとりごと!」

 思いのほか大きな声だったようで、ドアの向こうで会長が心配している。
 いいやつだ。しかも委員長のことだってちゃんと考えていた。いいやつだ。

 そんないいやつには褒美においしいオムライスを食わせなければならない。
 上から目線でこんなことを思い、俺は使用していないが、カムフラージュのためにトイレの水を流した。水がもったいないから“小”で。
 勢い良くトイレのドアを開ける。会長は、リビングの中央で財布を持ってこっちを見ていた。

「大丈夫?」
「全然平気! 小ですよ小! 大じゃなくて小! ほらよく小は大を兼ねるっていうでしょう。それ!」
「意味わかんねえ上に逆だよ」
「いいんです、さあ行きましょう、卵を買いにいきましょう!」
「あ? うん」

 会長は納得していないようで、怪訝そうな表情を浮かべていたが、無視した。
 会長の前に立って付属のスーパーに行くためにずんずん歩く。後ろを気にせず廊下に出るが、もしも会長が出てこなかったら俺は間抜けなバカだ。しかし会長は必ず付いて来る。
 廊下に出て、俺はすこしうるさい心臓を鎮めるために、久しぶりに作るオムライスの工程を思い浮かべることにした。