逆カプフラグ
保健室から寮へと向かう。
俺が何かの漫画の主人公だったら神経を研ぎ澄ませるだけで相手の気配を敏感に察知できるかもしれないが、残念ながら俺は主役にはなれなかったようだ。
とりあえずきょろきょろしながら、すこしだけ挙動不審気味に寮へ戻る。
寮の一階はまるで高級ホテルのロビーだ。
入って正面のフロントには誰もいないが、中世っぽい雰囲気のステキな鐘を鳴らせば奥の寮監室から管理人さんが出て来る。
本来なら、寮の周りを不審者がうろついてました、と報告する必要があるだろうが、そうなったら色々話さなくてはいけないから面倒くさい。
断罪するには事実が必要だ。
事実を知り得るためには根掘り葉掘り聞くしかない。
旧校舎にも監視カメラは設置されているが、それも入り口だけ。しかも今は夏休みだしお盆も近いから、学校に残っている生徒も先生も数少ない。
風紀委員が旧校舎に入る怪しい影……とそれに拉致られる俺に気付いたとしても、あいつらならはぐらかせる。
風紀は結構恨まれやすいから、それを逆手にとってちょっと嘘をついてしまおう。
そう思いフロントを通り過ぎて、エレベータに乗り込む。
会長のいるフロアを押そうとして、躊躇する。
会長にはこれから行くことを連絡した。
俺の目には、7階の文字。
7階は、橘さんがいるフロア。橘さんは委員長だから会長たちと同じ最上階に住めるが、なぜか断って元いた7階のひとり部屋にそのまま住んでいる。
7階に指をあて、そのまますこしだけ思案し、指を滑らせて会長のいる階のボタンを押した。
橘さんは変な人だ。
変だけど、ふつうになりたくて悩んでいる。そして、とてもさびしい。
だから橘さんからお願いされるとなんでもやってしまう。寮に入ってから、俺もさびしかったから。
橘さんは俺とは比べ物にならないほどのさみしさを抱えていた。だから風紀で俺が助けてもらったお礼として、橘さんにとんでもないお願いをされたとき、俺が断ってしまうともっと自分の中に閉じこもってしまう気がした。
それがわかったのか橘さんのお願いはだんだんとエスカレートしていったが、俺がどこまでも受け入れてしまうせいでかえって橘さんを悩ませていたのかもしれない。
軽快な音とともにエレベータが開く。
扉の外には、嬉しそうに笑う会長がいた。
それを見て、思わずだらしなく頬が緩む。
「早いじゃねえか」
「メールしたときもう歩いてたから」
「へえ」
部屋に向かって歩く会長の少し後ろから付いて行く。
さっき俺が頭突きしたやつも見た目は優等生っぽくて格好良かったけど、やっぱり会長の方が格好良かった。
会長は暴力的じゃないし、人を拉致監禁もしないいいやつ……普通の人だし。
「先輩」
「何」
「先輩、拉致監禁したことあります?」
「……あると思う?」
「なさそうですけど」
「されたことあんの?」
「え? まあ、ちょくちょく」
「ちょくちょく!?」
さすがに2時間前までされてました、とは言えず、はぐらかす。
すると、会長が部屋の前で驚いたように振り返った。焦りと険しさが見える表情にときめく。
しかしはぐらかすとはいっても、風紀委員に入った初期はいろいろされたから、嘘ではない。ただ、その時はいつも委員長が助けてくれた。
俺ともう一人の一年生風紀省吾は、委員長と副委員長に育てられた。
今でこそ俺は副委員長――宮田さんと組むことが多いが、当初は、俺は委員長、省吾は副委員長がつきっきりで仕事を教えてくれたのだ。
「ちょくちょくってどういうこと? お前やばい奴と付き合ってたこととかあんの?」
「風紀に入ってからですよ」
「風紀委員危なすぎんだろ」
「橘さんが助けてくれてたけど」
「そのあとにわけのわかんねえお礼が待ってんのか。SMとか」
「覚えてたんだ」
「そりゃ衝撃的だったから」
会長はしみじみつぶやいた。
橘さんは、お礼して、と言って、俺に色々なお願いをする。
大体が下系だったから嫌だったが、橘さんには恩があるし、あの不思議な目で見つめられたら断れないのだ。
寂しげで強くて弱くて、様々な相反するものがこもった目はとても魅力的だ。
平凡ながらサッカーが得意そうなさわやかな風貌と、不思議な目。
風紀が嫌になることはしょっちゅうだったが、橘さんに「本当に辞めたいの? なら強制はできないけど」と言われると、「まだがんばります」と言ってしまう。
「何考えてんの?」
意識の底から注意をもたげる。
バカ正直に言うか、答えないか迷う。別に会長に関係のあることを考えていたわけじゃないし、聞かれたからと言っていちいち思考を伝える義務も何もない。
「橘さんのこと」
けど、言ってみることにした。
「橘? SMからの派生?」
「まあ、そうですね」
会長が鍵を開け、俺を部屋へと招く。俺は勝手知ったるというように、もう慣れた会長の部屋の中に収まった。そして入った途端、俺が今日どうしてここに来たか思い出した。
「そういや、さっき橘に電話したら、まあまあ上がってきたってさ」
「……結局かけたんすか」
「気まぐれだよ。別に心配してねえし」
「へえ」
「ただ、宮田が実家に召集されたから。なんとなく」
「宮田さん帰ったんだ」
「すぐ帰ってくるようなこと言ってたけど、難しいんじゃないかな。宮田んち怖いし。今回だって宮田が自分から帰んなかったら全身にいくつも傷をこしらえた素敵なおっちゃんたちが集団で寮を取り囲むハメになってた」
「じゃあ今橘さんはひとりか」
「ひとりだな」
「そうか」
「そうだ」
いや、もしかしたら坂上さんが一緒にいるかもしれないな、と思った。
ソファに座った会長がぽんぽんと隣をたたく。俺は大人しく従う。
「そういやこんなに早い時間に来るの珍しいじゃん。なんかあったの?」
いやあ、あんたの親衛隊がらみで拉致られて襲われそうになってちょっと会いたくなったから来てみたんすよお。
「別に。理由ないです」
「あ、そ」
ほら、あのかわいくない木戸が大人しくあんたの隣りに来たってのに何とも思わないんですか。押し倒せとは言わないけど(ていうかそれはやだけど)、ちょっとくらいギュッとしたらちょっと落ち込んでる木戸も元気になるんじゃないっすかねえ。
なんてことは言えず、沈黙が下りる。
会長をちらりと見たら、のんきそうにやっぱ夏は暑いなあ、とか、好きなお菓子の話をし始めた。
ミキちゃんや山田、それから比嘉に借りた本の中の会長は、みんなぎらついてた。
別に何かしてほしいとは思わないが、こいつ本当に会長キャラなのだろうか。
そこまで考えてハッとする。
「……二次元と混同してしまった……!」
「は? 何? なんか言った?」
「いえ、いえ、なんでもないです」
「そう?」
けど、考えてみたらもともと会長はノンケなのだ。いくら俺が好きだって、どこからどうみても男である俺にむらむらなんてしないだろう。
よし、6か月付き合ったら俺が押し倒す。
俺は小さく息をつき、そう決意を固めた。