愛憎集会
恋は下心、愛は真心、なんていうひとがいますが、それは違います。恋は戀と書くでしょう。戀とは、“いとしいとしと云ふこころ”なんですよ。ね、素敵でしょう?
んなわけあるか、俺が会長を愛しいよう愛しいようなんて思ってたら、そりゃきもいだけだ。恋は下心でいい。ちなみに、愛は真心なんかじゃない。愛は心を隠してるだけだ。違う、こんなことを考えたいんじゃない。俺は、恋の素晴らしさについて考えていたんだ。周りがうるさくて集中できないが、とにかく恋の素晴らしさについて考えるんだ。
会長と夜な夜な調べた、ステキで滑稽な愛の言葉たちを必死で思い出す。
『愛の表現は惜しみなく与えるだろう。しかし、愛の本体は惜しみなく奪うものだ。』(有島武郎)
だめだ。意味分からん。でも、確かにこいつらは俺から何かを奪っている。
『I cannot lose a world for thee, But would not lose thee for a world. 』(Lord Byron)
『そなたのために、たとえ世界を失うことがあっても、世界のためにそなたを失いたくない。』(バイロン)
あほか。んな大層な状況来ねえよ。
『数多い恋人の情を集めても、我が胸に燃える友情の火には及ばぬ。』(バイロン)
おいおいバイロン言ってること違うじゃねえか。一つ前のそなたはどこ行った。まさか男か。男だったのか? 友情ってすげえな。
キレの悪いつっこみにうんざりする。だってそうだ。これはただの現実逃避。キレも何もあったもんじゃない。けどまあいいやとどんどん思い出す。
『恋愛はただ性欲の詩的表現をうけたものである。』(『侏儒の言葉』芥川龍之介)
そういえば、会長とこの言葉を見つけたとき微妙な空気が流れた。
『全ての場合を通じて、恋愛は忍耐である。』(萩原朔太郎)
これだ。多分、俺はこれを思い出したかったんだ。目的を決めないではじめた名言ゲームに、ゴールしてから目的が出来た。
恋愛は忍耐だ。忍耐なんだ。刃を心にとどめておかなければいけない。外に出しちゃいけない。
一瞬で、すべてが明瞭になった。
全部見えた。
俺の目には、数十もの顔が映っている。
それらは全部会長親衛隊。
幼い顔もある。おそらくは、中等部からわざわざ出張して来たのだろう。
俺の隣では佐伯君が涙目でおろおろしている。
そう、今日は、2学期に入って一番初めの会長親衛隊集会の日。
俺はいま、すごい勢いで罵られている。
時間は30分ほど前にさかのぼる。
「木戸君、む、迎えに来ました」
2学期始業式終了後、佐伯君が緊張の面持ちで教室にやって来た。
担任と入れ違いだったから、帰りの会をサボって来たのかもしれない。
「帰りの会さぼったの?」
「うっは。木戸ったら帰りの会だって! かーわいい!」
横から佐原がちゃちゃを入れるが無視をする。最近は俺の代わりにミキちゃんが佐原に突っ込むから、俺はお役御免なのだ。
「ホームル……帰りの会は僕さぼりました! 木戸君が、か、帰ってしまわぬように!」
「そっか」
そうして佐伯君は、俺の耳元で囁いた。
「今日、親衛隊の集会なんです」
そういうわけで、まあ、ただ佐伯君が迎えに来てくれただけなのだが――俺は今のこのこと敵陣にやってきた。
「みみみみんなが会いたがってた木戸君です! 連れて参りました! 会長さんと一番の仲良しですので、どうぞよしなに!」と、佐伯君の言葉を受けて、はじめは穏やかに始まったのだ。
穏やかさは30分ももたなかったけれど。
最初の頃は会長親衛隊で絶大な権力を持つ親衛隊長の真壁さんも俺をかばおうとしてくれたが、火がついた群衆は止まらなかった。
殴り掛かって来るやつはいないが、時として暴力よりも力を持つものが言葉だ。
室内に轟く大音声は、言葉の意味を識別できないほどだが、悪意しかないそれらに、風紀で鍛えられた俺の心もぽっきりと折れそうだ。
反論することは簡単だ。だって、俺は会長親衛隊でもなければ、抜け駆け禁止の掟に従う立場でもないし、そもそも会長の方から近づいて来た。だけど、言うことはしない。
きっと、この前佐伯君が言っていた、大部分は応援してくれてるという言葉は本当だ。いや、本当だった。
しかし、本人を目の前にすると感情が高ぶるのだろう。
いくら認めようとしても、出て来たのは平々凡々なただの男で、女ですらない。しかも、性格だっていいわけじゃないし、誰しもが、僕にもチャンスがあったのに――と思うだろう。
自分を卑下したくはないが、残念ながらそう思われていることは知っている。
聞こえて来るから。
いやな言葉ほど耳に届く。
聞きたくないことほど鮮明に聞こえて来る。
見えないはずの敵意が見える。
後ろ手に、ここにいるやつらからは見えないように拳を作り、堅く握りしめた。
佐伯君が、涙目でごめんなさいと言って来るのを、表情だけで大丈夫だと伝える。
握った手が痛い。
本当は、嫉妬するより告白しろよと今すぐにでも叫んでしまいたかった。
だけど、そうすることはできない。彼らは親衛隊だ。会長のことがすごく好きな奴らなのだ。好きにも色々な種類があるし、好きになる理由だって様々だ。顔、性格、雰囲気、なんとなく。たくさんあるだろう。
そして、俺は好きだけど告白できないこともあると知っている。
どんなに好きでも、伝えてはならないと思い込むつらさも、絶対に叶わない恋だと諦める気持ちもわかる。
それなのに、告白しろよとは言えない。俺がその立場だったら絶対に言われたくないし、わかってる面をされることも御免だ。
俺は、飛んでくる罵詈雑言を、ただただ聞くことしかできない。
隣の佐伯君が泣きそうになりながら再び親衛隊を止めようとするのを、大丈夫だと言って制す。
佐伯君が、ごめんなさいを繰り返す。
どのくらい時間がたったのかはわからない。親衛隊の中には激昂するもの、泣きだすもの、諦めたようにうなだれるものがいた。
一瞬、しんと室内が静まり返る。
その時だった。
「終わった?」
教室後方から、落ち着いた声が飛んだ。みな、驚いたように一様に振り向く。
「……会長さん……」
佐伯君の声。ほかの親衛隊たちも一斉にざわめきだす。教室の一番後ろに、いつものようにへらへらと笑っている会長がいた。
「みんな俺のこと好きなくせに誰一人気づかねえのな」
そう言って、会長が笑いながら室内を見渡した。みんな、顔を伏せる。
会長が俺と佐伯君のいる教壇の方へと歩き出した。どんなに異常なところでだって、人前では会長は泰然としている。
たまに、俺といるときにそれが崩れるのがたまらなく好きだ。
たとえ抜け駆けだと思われても、もしもこれが悪いことでも、俺は俺から会長を手放す気にはなれない。
会長が俺と佐伯君の間に入った。そして、今にも泣き出しそうな佐伯君の背中を、慰めるように二度叩く。
「真壁さん」
「何?」
会長が会場のどこかにいる自分の親衛隊長、真壁さんを呼んだ。
「俺、今日集会があるって知らなかったんですけど。手違い? わざと?」
「わざとだよ」
「なぜですか?」
会長が小首をかしげる。口元にはいつもの不敵な笑みが浮かんでいる。
「こうなっちゃうかもしれないなあって、俺もどこかでわかってたんだよね。だからだよ。……進藤君がいたんじゃ糾弾できないでしょ」
「すればいいのに。俺、止めませんよ」
会長は爽やかに笑って俺の後ろに回り込み、両手で俺の耳をふさいだ。
「は?」
「こうやって、聞こえないようにはするけど」
室内がざわつく。
「聞いて」
会長が俺の耳から手を放し、また俺と佐伯君との間に入った。
「今までは俺の片思いだったから言わなかったけど、付き合えたらちゃんとみんなに報告しようと思ってた」
そして、ゆっくりと、諭すように話し始めた。
あたりが静まり返る。見ると、みんな何かをこらえるような表情で会長を見つめている。
罪悪感を感じる。しかし、きっとそれは憐みだ。そう感じる方が罪だ。けれど、この時ばかりは俺はここにいる親衛隊と同じ立場には立てない。
「今まで、木戸に文句は言っても手を出さないでくれてありがとう」
会長がわずかに頭を下げる。数人がひどくばつの悪そうな表情になった。きっと、夏休みに他校生を使って俺を襲ったやつらだろう。そういえば、キンタマは大丈夫だったのだろうか。賠償金とか、そういう請求をしてこないということは大丈夫なはずだ。
「風紀委員長が、過激派が木戸を拉致監禁してたよ、とは言ってたけど、無事だったからそれはいい」
会長の言葉にぎょっとする。
知っていたのか。
「みんなが俺のこと好きになってくれたのさ、俺すごくうれしいんだよ。俺がいきなり木戸と仲良くしても、いつも通り接してくれたのもすごくうれしかった」
ただ――と会長は続けた。
「俺、木戸のことすごく好きになっちゃったんだ」