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「木戸でーす」
生徒会室の無駄に豪華絢爛な扉をノックする。するとすぐに会長が現れた。彼は俺を見た途端破顔した。その姿に、胸が熱くなりほっこりとするのと一緒に、わけのわからぬ罪悪感めいたものが生まれる。あとは、不安。これが幸せのピークではないのかと思ってしまう。
出会った時、俺はいつも会長を見上げていた。今もそうだけれど、あのときとは目線の高さが違う。
「早かったじゃんか。何、近くにいたの?」
「……風紀室の近くのトイレにいました」
「あ、そう。へえ、もしかして、俺に会いたかったとか? そうなのか」
からかい混じりに会長が俺の顔を覗き込むが、すぐに怪訝そうな表情に変わった。
「何? なんか落ち込んでんの? 大丈夫?」
「大丈夫です。別に、落ち込んでないし。でも、会いに来たのは当たり」
なんでもないふりをして会長を追い越し、生徒会室備え付けのソファに座った。風紀室のものよりもかなりふかふかしている。全身を弛緩させ、ソファに体を預けて目をつぶる。なんでもない。ただ、幸せだっただけ。落ち込んでいるのではない。
ケツがさらに沈んだ。会長が隣に座ったのだ。
「なんか変だな。何? 俺が聞いてやる。ほら、俺ってば先輩だし?」
「別に、幸せなだけ」
「嘘だろ。幸せな奴がそんな顔するわけねえもん」
「幸せな奴が笑ってると思ったら大間違いだ。幸せを意識したらきっと人は今の俺みたいな顔になるんです。怖くなるから」
「そうなの?」
「きっとね」
また目を瞑る。会長の温かい手が俺の頭に置かれ、かき回される。高校生にもなって頭をなでられるなんておかしいことだと思った。しかも、よく考えてみたら会長はまだ誕生日が来ていないんだし、俺と同い年じゃないか。
すべてが不思議になった。
同じ年なのに敬語を使ってる。崩れてしまうことは多いが、それは置いておく。
学年が同じだったら、俺と会長は仲良くなれていたのだろうか。
「俺と先輩って、同じ年なんすよね」
「なんだよ、いきなり」
「俺、あんたがまだ16歳とか、信じられないんですけど」
「俺だって木戸が16歳なんて信じられねえんだけど。11歳だろ。反抗期的に」
「……んなこと言うんだ」
「なんだよ。怒るなって。そうだ。俺と木戸、4ヶ月くらいしか離れてねえからさ、特別に敬語なしでもいいよ。つうか俺そういうの気にしないタイプだし」
「卒業したらね」
「もはやない! じゃあ、特別に名前で呼んでもいいよ」
「綾音ちゃん」
「ちゃん付けかよ」
「もし俺があんたと同じ学年だったら、絶対ちゃん付けで呼んでますよ」
そういうと会長は少しだけきょとんとしたあと、何も言わずに俺の頭においた手を再び動かし始めた。多分この行為に意味はない。会長は何かを考えているのだ。それかただの手持ち無沙汰。頭があったから、ちょうどそこに手を置いていたから撫でてみただけ。
「同じ学年だったら良かったのに」
気持ちの良さに目を閉じまどろんでいると、会長がぽつりと言った。
その声にかすかな寂しさが感じ取れた。
思わず目を開けて会長を見る。すると、なんの表情も作っていなかった会長がふっと笑った。
「そうしたら一年多くいられた。あと2ヶ月だよ。おれ2月生まれだから、2ヶ月遅かったらおんなじ学年だった」
「けど、それだったらきっとこんなことになってないですよ」
「なんで? なってるだろ」
俺の卑屈な言葉を気にする様子もなく会長があっけらかんと言う。
「だって、俺木戸のことすげえ好きだもん。同じ学年だったら絶対中1の時出会った瞬間惚れてるね」
「……何言ってるんですか。あんたその頃ノンケじゃん。あ、今もか」
「けど、絶対好きになってる」
「わかんないよ、そんなこと」
「わかるって。自分のことだしさ。わかるに決まってる。けど、木戸は――」
「俺?」
会長が今日はじめて言い淀む。わずかに苦しそうに刻まれた眉間の皺は端麗な顔に似合いだと思った。
「木戸はどうなの? 中学入って俺と出会っても、それでも藤崎と付き合うの?」
どきりとした。まさか、会長の口から藤崎の名が出てくるなんて思わなかったから。
他の人が聞いたら仮の話で何をこんな真剣に――と俺たちをバカだと思うだろうが、それでも真剣だった。
「俺は」
考えも定まらぬまま口を開く。
「待って、やっぱり聞かねえ。言わなくていい。今は俺と付き合ってるんだし、ずっと付き合うんだし、聞かないことにする」
会長がやけに子どもっぽく言って抱きついてくる。俺はそれを受け止めた。会長の腕はしっかりと俺の首に回され、宙に投げ出された俺の手は彼の背をつかむ。頬が会長の頬とくっついている。粉のついてるおもちみたいだけど、温かさは確かに人間のもので、かすかに鼻孔をくすぐる匂いは会長の使っているシャンプーの匂いだ。試しに彼の背においている手を、なだめるように上下に動かしてみる。会長の顔が俺の肩口に押し付けられる。首に巻き付く彼の腕の力がわずかに強まった。
「俺、綾音ちゃんのことすげえ好き」
思ったことを伝えたくて、しかしなんだか気恥ずかしかったから、ちゃん付けでごまかす。
「ちゃん付けは微妙……」
すると、くぐもった声が返ってきた。
俺は、背中をさする手を止めなかった。だんだんと会長が俺の首に回している腕の力が弱くなっていく。
それが彼に安心感を与えられているためかはわからないが、全身で会長の熱を感じられているような気がして心地よかった。
しばらくして、会長が俺の肩を押しのけ、少し距離を置いた。しかしそれでもかなり近い。密着しているよりも至近距離で見つめ合うほうが何倍も恥ずかしい。
恥ずかしさに必死に耐えようと目をそらすと、会長が俺の肩を押してきた。意味を持った行動。俺はゆるゆるとソファに背中から倒れこんだ。その俺の上に会長が覆いかぶさってくる。首筋に押し付けられる頬がこそばゆさを生んだ。
「なんもしねえから」
会長がつぶやく。
してもいいんだけど、と俺は思う。
自分勝手な思いに、殺意まで抱く。
自分勝手な思いはついに言葉に出来ず、俺はひたすら会長の背を撫で続けた。
しかしそれが俺の肩口に縋りつく会長のためとは思えない。
なだめるようなその行為は彼のためでなく自分のためのものであることを、俺はわかっていた。
好き合うだけで満足できない自分の浅ましさに羞恥を覚える。
なぜか鼻の奥がつんとした。
涙の気配に気付かないふりをしながら、俺は会長の背をなでるのをやめ、その代わりに回した腕に力を込めた。目を閉じると、重なり合っている部分全てが俺の心に幸せだと訴えかける。
「好きです」と、声にならない声でもう一度伝えた。